御嶽山木曽本宮・長野県木曽郡木曽町福島和合
長野県木曽郡木曽町福島和合にある御嶽山木曽本宮です
国道19号線然沿いにある「道の駅 木曽福島」から木曽川を挟み対岸に見える
御嶽教の神社です。
一の鳥居
参道
鈴蘭のせせらぎ
手水舎
拝殿
御嶽教
御嶽教(おんたけきょう)は奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ。創始者は下山応助とされている。『宗教年鑑 平成29年版』における信者数は、56,300人。長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。 御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。御嶽大神を崇拝する信仰者が集団結合して1882年に立教独立。 経典は「御嶽教経典」と、準経典として「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」がある。
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。
修験道を起源としているが、仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
Wikipediaより
大鳥居
御嶽山について
日本の中心に位置し、長野県と岐阜県にまたがる標高3067メートルの複合成層火山、我が国の最も有名な霊山の一つで信仰登拝の歴史は古く702(大宝2)年、役の小角の開山に始まると言われています。
江戸時代末期までは一部の武家のみにしか登拝は許されず、しかも百日間の重潔斎を満行した者に限られていました。
一般に登拝されるようになったのは、1785(天明5)年、覚明行者の黒沢口開山、1792(寛政4)年、普寛行者の王滝口開山以来で、軽潔斎での登拝が許され、毎年夏山には白衣に金剛杖の登拝者でにぎわっています。御嶽教大本庁 御嶽山大和本宮より
御嶽大神
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
天地開闢のはじめに出現し、造化育成を司る神様
大己貴命(おおなむちのみこと)
産業発展、縁結び、子宝繁栄を司る神様
少彦名命(すくなひこなのみこと)
延命長寿、病気平癒、まじないを司る神様
この三柱の神様を御一体として御嶽大神と称えお祀り申し上げております。
御嶽教は御嶽山を根本道場として発生し、ここに登拝する崇敬信仰者が集団結合して明治15年5月17日に立教独立を明治政府より公認、同年9月28日に開教されて以来136年の歴史を歩んでまいりました。
木曽本宮本殿
社務所
真新しい神社ですが、元々は木曽福島駅近くに鎮座
最近遷座されてきたそうです。
清明龍 社
清明不動明王
御神徳の由緒
清明瀧
天水の恵みを拝受して大地に玲瀧と澄んで流れる天地清明と玲瀧に因んだ六根清浄の禊潔斎の瀧
清明不動明王
大日如来の化身としして鎮座。天地人一切を守護
御嶽山五大龍王御嶽山の一ノ池から五ノ池に座す青龍・黄龍・赤龍・白龍・黒龍を御一体と崇め尊称
三十六童子
高齢、足の不自由な方も御嶽山頂上の御鉢巡りを此の神域にて体験体感いただけるように奉斎
清明瀧
三十六童子
大教殿
大霊殿
天地の磐座 大岩権現(おおいわごんげん)
天地の磐座 大岩権現
御神名
正哉吾勝速日天忍穂耳尊
天照大神と素戔嗚尊の誓約の際に出現された神様で天孫瓊瓊杵尊の御父神
八意思金神
天照大神が天の岩戸にお隠れになった際に、あれやこれやと智慧を巡らして岩屋戸の外にお出ましいただくことに導いた神様で造化三神の一神であられる高皇産霊神の御子
御神徳
天手力男命が天の岩屋戸をを押し開いて天照大神の御出現を願い、二度とお隠れにならないように注連縄を張り巡らしたらしい、その巨石の岩戸を信州戸隠へ投げた際、その一部が天忍穂耳尊と八意思金神の御神戒と共に此の地に鎮座となった。必勝の神、苦難克服の神、抜群の企画力の神として崇敬が篤い。この地は標高七七七メートルであるのも奇しくも妙なることである。さらに晴明龍神池の黒光真石の大燈籠と併せもって万事にパワー増強のパワースポットとして近年、若い男女の注目を浴びている。
御朱印