吉野神宮 (よしのじんぐう)・奈良県吉野郡吉野町




吉野神宮 (よしのじんぐう)

奈良県 吉野山観光協会H.P
http://www.yoshinoyama-sakura.jp

吉野山観光駐車場から最後に下千本エリアにある

吉野神宮 (よしのじんぐう)へ参拝しました。

県道沿いに一の鳥居があります。

吉野神宮の在る辺りは吉野山の北端で「丈六平」と呼ばれています。

昔は「勝福寺」と云う修験寺院が在り、身の丈1丈6尺の蔵王権現を祀っていたそうです

俗に「丈六山一之蔵王堂」と呼ばれていました。


参集殿


大鳥居

大鳥居を裏から、

ここ吉野神宮にも一人も居ません。

貸切状態、贅沢です。


境内 案内図


祓所


表手水舎


神門


東 鳥居


斎館


東手水舎


東門


摂社

摂社は御影神社・瀧櫻神社・瀧櫻神社の3社を祀る


摂社 御祭神

御影神社
贈従二位 藤原資朝卿、贈従三位 藤原俊基卿
船岡神社
贈従三位 児島高徳卿、贈正四位 児島範長朝臣、贈正四位 櫻山茲俊朝臣
瀧櫻神社
贈正四位 土居通増朝臣、贈正四位 得能通綱朝臣

御由緒
近代日本の繁栄の基は 明治維新にあり。
明治維新の 根源は後醍醐天皇の建武 中興と吉野朝の歴史に ありといわれます。
それ故に明治の御代と共に 後醍醐天皇を祭る吉野神 宮を初め、
鎌倉宮湊川神社 など建武中興関係の皇族 忠臣を祭る官幣社が十五社 御創建になりました。
正面の三社には格別の御功 臣でありながらこれら官幣社に 祭られていない方々をお祭り 申上げております。


拝殿

建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社。

建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)とは、

建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社。

後醍醐天皇による建武の中興の思想は明治維新により政権を取り戻した

明治天皇にとって意義深いものであり、その創建が命じられた。


幣殿

吉野神宮

御由緒
吉野神宮のご祭神は、建武中興の御偉業をなし遂げられた後醍醐天皇です。
今を遡る650年昔、理想に燃え、邁進せられた第96代後醍醐天皇は
まさに激動の時代を生き抜かれた行動派天皇と申せましょう。
そのご活躍ぶりは「太平記」に詳しいところですが、
その御志は、江戸幕末の尊皇攘夷運動にも大きな影響を与え、
明治維新として結実したといわれています。
一方、後醍醐天皇はご幼少の頃より学問の研鑽に御心を注がれ、
また、歌道についても格別ご堪能で、文化面に深くご修養をつまれました。
さらに、神道をはじめ、真言、天台、禅等の奥義も極められました。
従って、吉野神宮への参詣は、後醍醐天皇の御偉徳を偲び、
ご祭神の広大無辺な御神徳に触れることになると申せましょう。
吉野神宮は、明治22年に創立され、
同25年の御鎮座祭には明治天皇の勅使が参向されました。
また後村上天皇の勅命で刻まれ吉水神社(吉水院)に祀られていた
後醍醐天皇の御尊像が、550年を経て吉野神宮の本殿に遷座奉鎮せられました。
現在の社殿はその後の御造営で、昭和7年に竣工しました。
2万7千坪の森厳な境内に、流れ造りの本殿、
入母屋造りの拝殿などが美しく調和し、
「玉骨はたとひ南山の苔に埋まるとも、魂塊は常に北闕の天を望まんと思ふ」と
都に思いを寄せられた後醍醐天皇の御心を偲び、京都に向かって、
北向きに建てられているのが印象的です。
また、拝殿右に並ぶ摂社には建武中興に功績のあった日野資朝卿、
日野俊基卿らの忠臣をお祀りしています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加