与楽鑵子塚古墳・奈良県高市郡高取町大字与楽




与楽鑵子塚古墳・奈良県高市郡高取町大字与楽

奈良県高市郡高取町大字与楽に所在する与楽鑵子塚古墳(ようらくかんすづかこふん)は、

与楽古墳群の内の1基であり、築造時期は6世紀後半の早い時期と考えられています。

国の史跡に指定されています。

与楽鑵子塚古墳

貝吹山の南西丘陵に位置しており、墳丘の直径28メートル、高さ9メートルの円墳である。南に開口した片袖式の横穴式石室が確認されており、玄室の長さは4.15メートル 幅は3.15メートル、高さは4.5メートル以上、また、羨道部の長さは2メートル以上、幅は1.4メートル、高さは1.4メートル以上である。

発掘調査がおこなわれていないため、出土品などは確認されていないが、築造時期は6世紀後半の早い時期と考えられている。

きわめて高い玄室を有する特徴が指摘されており、南に200メートルほど行ったところにあるカンジョ古墳と同じきわめて強力な権力を持った氏族の墳墓であると考えられている。 Wikipedia

与楽古墳群

与楽古墳群は、貝吹山南麓に分布する古墳時代後期から終末期の横穴式石室及び横口式石槨を埋葬施設とする総数100基からなる古墳群で、墳丘規模等が卓越した3基が平成25年に国指定史跡になりました。横穴式石室の玄室の規模と比較して床から天井までの高さが極めて高く、ドーム状の天井をもつ与楽カンジョ古墳、与楽鑵子塚古墳と巨大な切石を用いて構築された石槨の寺崎白壁塚古墳があります。与楽古墳群から金銀が装飾された指輪・耳環等の装身具、馬具、ミニチュアの炊飯具等が出土したことから、被葬者は渡来系氏族東漢氏の首長層と考えられます。

国指定史跡

与楽鑵子塚古墳(ようらくかんすづかこふん)

大字与楽にある与楽鑵子塚古墳は直径28cm・高さ7.5mを測る円墳である。墳丘南面に横穴式石室があり、石室玄室は長さ4.2m・幅2.8m・高さ4.2mを測る。閃緑石(飛鳥石)を7~8段積み上げた片袖式で、羨道の長さ5.4m・幅1.4m・高さ1.8mで羨道にある閉塞が高さ約1mで残存している。石室から金銅装・銀製耳環・ガラス小玉等、銀装指輪、金銅装鞍縁金具、鉄製轡・鉄製杏葉・鉄製雲珠・鉄製辻金具等、鉄製釣針、鉄製刀子、須恵器・土器等が出土した。杏葉は三葉文(パルメット)が施された鉄製の馬具である。土師器に竈・甑・鍋のミニチュア炊飯具が含まれる。古墳の増築は6世紀後半と考えられる。

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