石見国一宮 物部神社(もののべじんじゃ)・島根県大田市川合町川合
島根県大田市川合町川合に鎮座する「物部神社(もののべじんじゃ)」
式内社で石見国一宮、旧社格は国幣小社です。
古来は本殿裏手にある八百山をご神体として崇めていましたが、
天皇の勅命により、継体天皇8年(513年)に社殿を創建、
その後、岩見銀山争奪の兵火などで3度焼失し、宝暦3年(1753)再建されました。
文政元年(1818)の修理を経て、安政3年(1856)宝暦時の規模で改修され
現在に至ります。
御祭神は物部氏の御祖神とされる「宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)」
宇摩志麻遅命が石見国に鶴に乗って降臨したとも伝えることから、
物部神社の神紋は赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴(ひおいづる)」となっています。
御本殿は島根県内では出雲大社に次ぐ大きさで、
春日造りとしては日本一を誇る大きな神殿として知られています。
物部神社
H.P https://www.mononobe-jinja.jp/
所在地 〒694-0011 島根県大田市川合町川合1545
電話番号 0854-82-0644
営業時間 参拝は終日自由(授与所等は8:30~17:00頃)
[授与所]8:30~17:00頃 [社務所]8:30~18:00頃
駐車場 普通車約100台・大型バス10台(無料)
アクセス JR山陰本線・大田市駅から車で10分
JR大田市駅からバス15分
物部神社 大鳥居
物部神社 大鳥居
拝殿正面に堂々たる姿を見せる木製の明神鳥居。 物部神社にお参りに来るとまず目に飛びこんで来る巨大な鳥居は、神社の多い島根県内では木造としては最大の大きさです。 平成25年の創建1500年記念事業の一環として約10年前に作られました。 物部神社H.Pより
由緒書き
物部神社
由緒
石見国一の宮である物部神社の御祭神は宇麻志摩遅命で、古代豪族物部氏の御祖神様である。
初代天皇神武天皇様の時代にご活躍になり、その後各地の兇賊を平定されて、最後に神社近くの鶴府山に鶴に乗って降臨された。国見をされた時に神社の裏山「八百山」が天香具山に似ていることから、宮居を築き鎮座された。
時が過ぎ、継体天皇8年(513)天皇の勅命により社殿を創建、修理を経て安政3年(1856)に宝暦(1751~1763)時の規模で改修されている。(県内では出雲大社に次ぐ大きさ。春日造では全国一の規模)平成25年(2013)には社殿創建より1500年となる。
古くより朝野の信仰は厚く、戦国時代武将大内義隆寄進「太刀銘了戒」(重要文化財)等、多数の社宝を蔵している。
三瓶山信仰につながる石見一宮
石見一宮の物部神社は、春日造りとしては全国最大の本殿を持ちます。古代大和の豪族、物部氏の始祖とされる宇麻志摩遅命をまつり、11月に行われる鎮魂祭など独特の祭事が伝わります。
三瓶山から流れ出る静間川が平野へ至る場所に立地し、境内社の「一瓶社」は「三瓶大明神」をまつります。御田植祭では三瓶山から田の神「サンバイサン」を迎える神事が執り行われるなど、古い時代の三瓶山への信仰の面影を留める神社です。
手水舎
「富金石」という砂金を含んだ石で作られた大変珍しい手水舎です。 石の上には「浄」「勝」「財」「健」「徳」の御利益のある曲玉が彫られており、触れるとそれぞれの御神徳を授かれるといわれています。 注がれているお水は境内の御神井から湧き出ている清らかな御神水です。 物部神社H.Pより
物部神社 拝殿
物部神社 拝殿
社殿は入母屋造、銅板葺の屋根となっています。 昭和11~12年(1936~1937)にかけて改築され、台湾から輸入した檜を用材としてふんだんに使用しています。 拝殿内には奉納品の巨大な天狗面やマーク・エステル氏の奉納絵画「神武天皇と宇摩志麻遅命の出会い」など様々な奉納品が並んでいます。 物部神社H.Pより
御由緒
御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、物部氏の御祖神として知られております。御祭神の父神である饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命(みかしきやひめみのみこと)を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源) 物部神社H.Pより
物部神社 本殿
物部神社 本殿
県内では出雲大社に次ぐ大きさで春日造りとしては日本一の規模を誇る巨大神殿です。 継体天皇8年(513)に創建され、石見銀山争奪の戦火などで三度消失しています。 そのことから「亀は水を呼ぶ」ということで火災予防の意味を込めて本殿屋根の千木の下に子どもの背丈ほどもある亀の彫刻が彫られています。 宝暦3年(1753)に再建され文政元年(1818)の修理を経て、安政3年(1856)宝暦時の規模で改修され現在に至ります。 物部神社H.Pより
物部神社
県指定有形文化財
物部神社本殿
(大田市川合町)
本殿は社伝によれば天文19年(1591)吉川元春により再建されたと伝えられる。享保3年(1718)に一度焼失し、宝暦3年(1753)に再建されている、現在の本殿はこの宝暦にたてられた社殿の様式をひきついでおり、県内では出雲大社につぐ大規模な本殿であり多くの人々に親しまれている。なお、祭神は物部氏の祖神宇摩志麻遅命で、石見国の一宮として崇敬されている。
本殿の建物は高さ16.3mある、正而3間、背面2間、側面2間の身舎の前面に正面3間、側面1間の前室(向拝の間)をつけている。屋根は身舎が切妻造り・妻入りの形式で、これに庇屋根をつける春日造りの系統であるが、深い庇を支えるための隅木を人れる手法を取りいれている。 春日造りの建築でありながら、高床・千木・勝男木・大棟など出雲地域の神社建築の影響が随所にみられる点が特徴である。
東五社(神世七代社)
東五社(神世七代社)
「日本書記」において天地開闢のあとに現れた13柱(神世七代)を祀る末社です。
須賀見神社・乙見神社
須賀見神社・乙見神社
本殿東側に鎮座する末社。 御祭神はそれぞれ宇摩志麻遅命の子孫にあたる六見宿禰命と三見宿禰命で、第6代孝安天皇の御代に活躍された神様です。
後神社
後神社
御祭神・宇摩志麻遅命の妃神である師長姫命を祀る摂社です。 2本の杉の木に守られるように静かに鎮座しています。 物部神社H.Pより
一瓶社・眞名井神社/御神井
一瓶社
佐比売山三瓶大明神を祀る末社です。 石見国を制した宇摩志麻遅命は3つの聖なる瓶を各所に納めて平和を祈りました。 その1つが一瓶社です。 そして2つめは浮布池の邇幣姫神社に、3つ目は三瓶山の麓の三瓶大明神に奉納されました。 これが三瓶山の名前の由来になったと言われています。 12月には一瓶社内で正月節分に皆さまにおわかちする白酒を造る酒造神事が執り行われます。
眞名井神社/御神井
平安時代から枯れることなく豊かに御神水が湧き出ている御神井。 その昔「石見国安濃郡川合郷に甘露降る」と古文書に書かれ、時の国司が朝廷に献上したところ、天皇は吉兆だと喜ばれ、元号を仁寿と改められました。(851~854) 御神井に湧き出る御神水はこの流れといわれ、枯れることなく現在に至っております。 手水舎にもこの御神水が流れているほか、正月節分でおわかちする物部神社特製の御神酒にも用いられています。令和5年7月に崇敬者様の御奉納のより御神井にお社が建立され、眞名井神社として新たにご遷座されました。御祭神は彌都波能賣神。水神様です。
禊石と狛鶴
禊石
神職が神事の時に身の穢れを祓い清める祓所です。
狛鶴
御祭神・宇摩志麻遅命が鶴の背に乗って降臨されたという伝説が残っていることから物部神社の神使(神さまのお使い)は「鶴」、御神紋も太陽を背に負った鶴「ひおい鶴」となっています。 そのことから境内各所には鶴の像や御神紋ひおい鶴が多数配置されています。 物部神社H.Pより
社務所
物部神社 御朱印