越中国一宮 高瀬神社・富山県南砺市高瀬

富山県南砺市高瀬に鎮座する「高瀬神社(たかせじんじゃ)」、
式内社にして「越中国一宮」、旧社格は国幣小社です。
創建の年代は不明ですが、大己貴命が北陸平定を終えて出雲へ戻る時に、
国魂神として自身の御魂をこの地に鎮め置いたのに始まると伝えられる他、
景行天皇の治世であるとも伝わります。
御祭神は、『大己貴命』『天活玉命』『五十猛命』を祀ります。
創祀由来の違いによって、異説があり、『神祇宝典」「特撰神名帳」では、大己貴命一座、
「神名帳考證」では、五十猛命一座、「神祇拾要」では、天活玉命一座、
「越中式内井式外之覚」では、素盞嗚尊・五十猛命の二座となっております。
諸説を総合して、現在の祭神になったようです。
戦国時代の戦乱により一時荒廃しましたが、
江戸時代には加賀藩主・前田氏の崇敬を受け手厚く保護されました。

歴史
御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。社伝に御祭神が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
越中国の人々は勿論、朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の御代に勅使を派遣され、光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、また同年、祢宜、祝等に把笏を許さる。貞観元年に正三位、その後も順次累進、治承4年に正一位を授かりました。
また社頭荘園多く又皇室の御領に宛てられたこともあり、神子屋鋪・鎌倉屋鋪・大宮司田・神子畑等、近傍に残る地名によって、往時の盛大さを偲ぶことが出来ます。
戦国時代には社頭荒廃し、見るに忍びない状態となりましたが、前田藩主の崇敬厚く漸次神威昂揚せられて、明治6年に県社、大正12年に国幣小社に昇格されました。
大正13年には摂政の宮の御使が参向され、大正14年には皇后陛下より「神ながらの道」を奉献され、昭和3年の御大典、昭和16年の宣戦また昭和20年の終戦には勅使の参向がありました。 高瀬神社H.Pより

史跡 高瀬神社
高瀬神社は延喜式内社として砺波地区を中心に、古くから人々に崇敬されている。
日本海沿岸と関連が深い大己貴命(大国主命)が祭神で能登や伏木の気多社も同じ祭神である。
奈良時代の宝亀11年(780)に「従五位下」と越中最高の位となった高瀬神社は、平安初期には正三位と昇進していった。
古くから「越中一の宮」と称され、鎌倉時代の「類聚既験抄」にも「越中一宮」とある。
明治以降は県社や国幣小社にも指定された。
室町時代には、神社周辺に東大寺荘園の高瀬庄があった。
この高瀬庄から多くの年貢が神社に納められた事が、東大寺の記録に残されている。
境内には、社務所を始め、栃破地方の戦没者や開拓者を祀る好功霊殿や宝物殿、結婚式場などがある。
例祭は9月13日、6月には古式による火縄授けの神事も行われる。

由緒書き
主祭神 大己貴命
配神 天活玉命、五十猛命当神社の鎮座は遠く、農耕文化の芽生える弥生時代の頃とされています。
延喜5年(905)の神名帳にも登載された砺波七座の筆頭にあり、御神徳の顕著な神社として皇室の崇敬も厚く、奉幣使の派遣もあり越中一宮と称されております。
宝亀11年(780)従五位下の神階を奉られ、歳を歴ると共に昇敘敘を重ねました。
治承4年(1180)には正一位に列せられて、大いに宸襟を賑わしました。
時代の推移と共に社頭衰頽衰頽に及ぶこともありましたが、明治6年(1873)県社に、大正12年(1922)には崇敬者が念願する国幣小社に昇格されました。
昭和23年(1948)社殿の造営成りて神苑は面目を一新するに至りました。
境内の功霊殿は昭和24年(1949)旧本殿を移築したもので、砺波地方の先賢文化功労者並びに戦没者勇姿の英霊を祀ってあります。
相殿 神明宮 天照コ皇大神
相殿 風宮 級長戸辺命
相殿 学神 大宰府天満宮大神
末社 稲荷社 伏見稲荷大神
社務所・授与所
手水舎
昭和45年に伊勢の神宮より御下付され、外宮から移築されたものです。
中にある水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた
「洗心」の禊場であります。石の裏には「水神」の文字が刻まれております。

高瀬神社
所在地 〒932-0252 富山県南砺市高瀬291
電話番号 0763-82-0932
拝観時間 授与所 9:00~17:00(祈祷受付は16:30まで)
駐車場 無料(約90台)
アクセス 北陸道 砺波IC または 東海北陸道 福光IC から約15分

高瀬神社
御祭神
当神社の御祭神は、大國主命(大巳貴命)を主神に天活玉命、五十猛命を祀り、未社三社と砺波地区の村々里々に鎮座されます氏子の神々と越中国延喜式内社三十三座の神々を奉斎したお社です。
大国主命は縁結び、国土開拓、農耕の神様です。
天活玉命は無病息災、延命長寿の神様です。
五十猛命は産業の神様です。
御杜殿
千鳥破風と唐破風が巨木の森に調和よく建つ当神社の御社殿は、昭和17年より数ヵ年の計画で建立される予定で工事が始まりましたが、基礎工事が終了
した昭和20年8月終戦を迎え、GHQ(極東軍指令部)の措令によって国費による建立が中止となりました。往古の面影は消滅し、参拝する人の数は皆無といった情況でしたが、地方の崇敬者有志の方々が多額の浄財や樹令数百年の銘木を御寄進下され、多くの方々の社殿建立の情熱にささてられて、昭和22年に御本殿(流造)、翌年(昭和23年)に拝殿(入母屋造)、更に昭和62年に唐破風の向拝殿が完成し、鎮座二干年の歴史を偲ぶ御社殿の完全な竣功を見るにいたりました。
御鎮座の年代は不詳ですが景行天皇の御代だとも言われています。
天武天皇の御代に当神社へ勅使を遣され、その後、光仁天皇宝亀11年に従五位に、更に清和天皇貞観元年に正三位、治承四年に正一位に列されると共に多くの社頒荘園があり、皇室の御領となったこともあるようです。神社の氏子の地名、大宮司、神子畑、勧学院など往時の面影を偲ぶことができます。
戦国時代に入ると、往古の繁栄はいづこへ、社頭は荒廃し人心も乱れた時代でした、。江戸時代になると崇敬心の厚い加賀藩主の保護により神威は昂揚し、明治6年に県社、大正12年に国幣小社となり、翌13年に摂政宮(昭和天皇)の御使が御参拝になり、昭和20年終戦と共に国民の幸を祈るように勅使の御参拝がありました。
現在、初詣をはじめ季節の移り変る節目の祭典や神事に多くの崇敬者の参拝があります。
祈年穀祭
稲作をはじめ農作物全体に害虫の被害がなく、豊作でありますようにお祈りする祭りです。
高瀬神社は毅倉地帯の砺波平野の真中に鎮座されておりますので、高瀬神社と農耕に関する祭りが多いようです。「むかし、いなごが多く発生して農民がこまり、朝廷から勅使が参向され、夜、松明をたき、いなごを退治した」との伝承によって今日も6月10日に往古を偲んで祭礼がおこなわれています。
宝物殿は昭和59年、砺波市在住の故岩川毅氏の御寄進により11月竣功し、60年には小矢部市在住の西田東作氏の御寄進によって参道の大島居が建立されました。
これらは昭和天皇御在位六十年祝賀記念事業として二年間に亘り施工されたものであります。宝物殿には古来当神社に伝わる御神宝等を収蔵しております。また、6月30日の大祓に御奉写された大祓詞が大島居の中に収納され、大島居の下を通る人々の罪穢を祓い清めております。
大祓
神社へ参詣したり、結婚式や地鎮祭などたいせつな神事の前には、必ず参列者に神職が幣を振ってお祓いをしますが、この祓は悪くきたないものを除くことにより、災厄をまぬがれる行事で悪穢をきらい清潔なものを貴ぶ日本固有の宗教観念から生じたものなのです。
それゆえ祓の起源は古く、神話時代にさかのぼります、イザナギノミコトが黄泉国へいった穢れを禊により洗い落とし、その際出主したスサノオノミコトがアマテラスオオミカミへの乱行から高天原を迫放されたとき八百万神々の命で、アメノコヤネノミコトが祓詞を宣べたのが祓の起源とされています。これがのちに、大祓詞となったのです。
斉館
平成3年8月に完成した当神社で一番新しい建物です。斉館とは神職が祭に奉仕する前に参籠して潔斉(心身を清浄に)する場所です。この建物は小矢部市在住、ゴールドウイン社長西田東作氏と会社の皆様の御支援によって建立されました。
節分
春夏秋冬が立つ日の前目を節分と云いましたが、特にに正月の春立つ日の前日だけが残りました。
立春を年の改まる日と考えて「年取」とか「年越し」ともいいます。
節分の夜、門戸にヒイラギの枝にイワシの頭を刺した物を立てるのは平安時代初期から行なわれた厄払いの習俗ですが、原始時代の農耕儀礼と合わさったもので「福は内、鬼は外」ととなえながら豆をまくことは室町時代ごろにはじまりました。当神社では戦後、節分行事が復活しました。
手水舎
昭和45年に神宮より御下附され、外宮から移築された建造物であります。手水舎の中にあります水鉢は、新潟県只見川上流より運ばれた自然石でつくられ、洗心の禊場であります。
自然石の裏に「水神」の文字が刻まれております。
献穀田
春早々に種籾のお祓いからはじまります献穀田は、井波町の中核農業士の方々の肝煎によっておこなわれております。御田植祭、抜穂祭には早乙女が神事に奉仕します。
拝殿
御社殿は国費をもって昭和17より数ヶ年の計画で建てなおされる予定で
工事が始まりましたが、基礎工事が終了した昭和20年8月終戦を迎え、
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令によって国費による建立が中止となりました。
往古の面影は消滅し、参拝する人の数は皆無といった状況でしたが、
地方の崇敬者有志の方々が多額の浄財や樹齢数百年の銘木を寄進され、
多くの方々の社殿建立の情熱にささえられて、昭和22年に御本殿(流造)、
翌年に拝殿(入母屋造)、更に昭和62年に唐破風の向拝殿が完成し、
鎮座2,000年の歴史を偲ぶ御社殿の完全な竣功を見るにいたりました。
御本殿
功霊殿
御本殿に隣接する功霊殿は日清・日露戦争から大東亜戦争まで、
砺波地区から出征された護国の英霊と、当地方開拓の功労者あわせて
6,400余柱をお祀りしています。
功霊殿本殿は当神社の旧本殿で、天保7年に建立された井波彫刻の粋を尽したものです。
また、文化財の指定を受けています。
高瀬稲荷社
高瀬稲荷社は、古来より人々の信仰厚い伏見稲荷大社の御分霊を奉戴したお社です。
五穀豊穣・商売繁盛の神様として崇敬されるお稲荷さんです
御朱印

