菅沼集落(すがぬましゅうらく)世界遺産・白川郷・五箇山の合掌造り集落・富山県南砺市菅沼




菅沼集落(すがぬましゅうらく)世界遺産・白川郷・五箇山の合掌造り集落・富山県南砺市菅沼

世界遺産 菅沼合掌集落
http://suganuma.info

五箇山の菅沼集落は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として

1995年12月、ユネスコの世界遺産に文化遺産として登録されました。

「合掌造り」の茅葺きの家屋は、国内の他地域にはない、

五箇山と白川郷のみに現存する大変貴重な民家の形式です。

世界遺産に登録された菅沼合掌造り集落には9棟の合掌造りが現存していますが、

約100年~200年前のものが多く、

古いものは400年前に建造されたといわれています。

世界遺産・五箇山 菅沼集落

昭和45年に国の史跡指定を受け、
平成6年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
平成7年12月には相倉合掌造り集落とともに世界遺産に登録されました。
菅沼合掌造り集落には、ありのままの自然に抱かれた9戸の合掌造り家屋があり、
のどかで閑静な環境を今に残しています。
集落内には五箇山の歴史と伝統を体験できる五箇山民俗館や塩硝の館があり、
周辺には五箇山生活館などがあります。


塩硝の館

塩硝の館

仕事場でもあった合掌造り

五箇山の合掌造り家屋の造りは、塩硝、養蚕、紙すきとも深い関係があります。
五箇山は、耕作地の狭い土地柄だったため、
人々が生きていくためには農作物以外の換金産物が必要でした。
そこで、平野部の米づくりに匹敵するほど五箇山の人々にとって重要だったのが、
塩硝づくりです。
その生産は、江戸時代に五箇山を治めていた加賀藩の奨励と援助を受けて、
五箇山の中心産業にまで発展しました。
火薬の原料となる塩硝とは、土の灰汁(アク)を煮つめたもののこと。
いろりで煮詰めては塩硝を取る、という作業を何度か繰り返して
上質の塩硝を作っていきます。
そのためには、大きないろりや広い作業場などが必要となり、
塩硝の生産量は家の大きさに比例していました。
広い作業場は紙すきにも活用されました。
また、合掌造り家屋は、屋根裏部分を養蚕のための場所として活用していました。
屋根裏部分に囲炉裏の熱が届くよう、屋根裏部分を2層3層に区切り、
天井に隙間を空けるといった工夫が凝らされていました。
すると、囲炉裏の熱とともにスス(煤)が柱の縄に染み込むため、
建物の強度を増すという効果もありました。
また、養蚕は、塩硝のもととなる土を作る際に蚕糞を入れることから、
塩硝づくりとのつながりも深かったのです。


五箇山民俗館

五箇山民俗館

厳しい自然とともに生き抜くために。

五箇山の菅沼合掌造り集落と、相倉合掌造り集落。
この2つの集落で見られる合掌造り家屋は、
全国でも有数の豪雪地帯で暮らす人々の生活の知恵によって発達してきました。
屋根の傾斜が60度もの急勾配になっているのは、
湿った雪の重みに耐えるとともに、雪を滑り落としやすくするためです。
雪下ろしの負担を軽くするための知恵といえるでしょう。
合掌造り家屋の最大の特徴は、“茅葺き屋根”であり、
その葺き替えには多くの人手と時間を要します。
昔からその作業は、人々が互いに助け合う「結(ゆい)」という制度に基づいて
受け継がれてきました。
五箇山には、その心がしっかりと根付いているからこそ、
現在の合掌造りの景観が守られているのです。
茅葺きに使用する茅は、秋に刈り、雪垣にして冬を越すことで、
春までに乾燥させるという流れで準備されます。
茅葺き作業では、朝、結の人々が集まり、屋根をむく作業から開始。
葺き替え前の茅を質によって選別し、質の悪いものだけをむいていきます。
次に、茅の束を屋根の妻の隅に結束する「ハフジリ」、屋根の軒の部分を葺く「オジリ」、
そして、一番広い屋根の面の部分を葺いていきます。
こうして丸1日かけて屋根の葺き替えが終わります。
この茅葺き作業に興味のある方のために、茅葺き体験を実施しています。

熱心な真宗信仰の地域ですが、菅沼集落は小規模なために

集落に寺院はありませんが、五箇山民俗館の横、村の少し高い所に

神明社が鎮座します。

蓮如上人の篤い地

人々が助け合う「結(ゆい)」の精神は、
五箇山に根付く真宗信仰が根幹にあると言われています。
浄土真宗は、浄土真宗本願寺8代蓮如上人が越中で布教していた時代に、
五箇山赤尾生まれの赤尾の道宗という人物によって広められました。
道宗の尽力によって五箇山の住民は真宗の信徒となり、
各集落に建てられた念仏道場では、信徒は称名念仏を唱えながら仏法を聴聞していました。
浄土真宗は、人々の心の支えとなったのでしょう。
念仏の教えを中心に結束を強め、
厳しい自然の中で助け合いながら暮らしていました。
念仏道場のひとつは、のちに行徳寺になったといわれています。
赤尾の道宗が、真宗を広めることになったのは、
幼い頃に亡くした両親に似た五百羅漢を探す旅の途中で見た夢がきっかけでした。
その夢の中に気高い僧侶が現れ、「京都の蓮如上人を訪ねれば、
別れることのない親に会える」とのお告げを受けたことから、
道宗は京都の本願寺を訪ねました。
蓮如上人の尊い姿と法話に感激した道宗は、
3日3晩蓮如上人の側を離れずに聴聞したといわれています。
道宗の名付け親は、蓮如上人です。
道宗は、ふるさと・五箇山に帰ってからも、
年に1度は京都へ赴き、蓮如上人の教えを賜りました。
道宗は日々自らを戒め、阿弥陀如来の48の誓願に似せて48本の割木を並べ、
その上に眠りました。夜中、痛みで目覚めるたびに仏様に合掌し、
念仏を唱えられることに感謝したのでした。
道宗の日々の行いは、「赤尾道宗心得二十一箇条」として今に残されています。


菅沼 神明社

菅沼 神明社・世界遺産 五箇山菅沼集落の記事

菅沼集落(すがぬましゅうらく)

時空を超えた日本の原風景へ

富山県の南西端にある南砺市・五箇山には、
9戸の合掌造り家屋を今に伝える菅沼合掌造り集落があります。
その家屋は、いくつもの歳月を重ねて、冬の豪雪に耐えうる強さと、
生活の場と養蚕などを生産する仕事場を兼ね備えた合理性を持つ建物です。
そのたくましく美しいたたずまいを筆頭に、
日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、
1995年12月に岐阜県白川郷、五箇山相倉とともに
ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
周辺の山林をも含めた地域が世界文化遺産に指定されているため、
観光地化されていない、ありのままの自然を残しているところが魅力。
遙か昔にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を味わえます。
また、集落内には江戸時代の主産業を今に伝える「塩硝の館」や「五箇山民俗館」があり、
五箇山の歴史と伝統にふれることもできます。

世界遺産の構成資産3集落の中で

最も小規模の集落である菅沼集落ですが、

白川郷などに比べ観光地化されておらず、

もっとも鄙びた集落としておすすめです。

9棟の合掌造りが現存し、うち2棟は江戸時代末期に、

6棟は明治時代に、1棟は1925年に建てられたものです。

解説員の方のお話では、確か12軒集落中の9棟の合掌造り中

4〜5棟では今でも実際に生活されているそうです。

あいにくの天候のせいか観光客の姿はまばら、

深い緑とガスに覆われた集落の姿は幻想的です。


集落全景

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