秋葉街道 塩の道(南塩ルート)・(秋葉山奥の院)下平山〜大滝




葉街道 塩の道(南塩ルート)・(秋葉山奥の院)下平山〜大滝

静岡県牧之原市(旧相良町)から長野県塩尻市まで続く「塩の道の南塩ルート」、

下平山〜上平山〜大井 大滝集落までの区間を歩いて来ました。

大輪橋横の駐車場よりスタートし、竜頭山 大輪登山口から半血沢まで登り秋葉街道へ、

ここから大萩集落まで一旦南下し、久しぶりに秋葉山奥の院に参拝しました。

ここは本当に素敵な所なので多くに人に訪れて頂きたいです。

さらにラクダ山まで登り尾根へ、ここからは軌道繋ぎの意味も含めて尾根道を更に南下、

一カ月前に歩いたばかりの前不動から裏参道を下平山まで下ります。

下平山の千代集落からは、日入沢〜舟代〜大萩〜名古尾〜岩井戸〜大滝と

秋葉街道を歩いて来ました。

この山裾の斜面一帯に広がる集落の雰囲気は何処も素晴らしく、

石積みの道と幾何学模様の茶畑の中に民家が点在する感じは、

街道の雰囲気を今もそのままに残しています。

今回も恒例の2冊を参考にしました。

「塩の道ウォーキング(静岡新聞社)」 「秘境はるか 塩の道 秋葉街道(野中賢三 有賀 競)」

秋葉街道 塩の道(南塩ルート)・(秋葉山奥の院)下平山〜大滝

難易度 ★★    オススメ ★★★ 登山口(ナビ検索) 大輪橋
大輪橋(07:09)→秋葉寺奥の院(09:27)→ラクダ山(10:16)→大輪橋(16:31) 所要時間 9時間20分 累積標高 2236m / 2234m 距離 35.9km
■秋葉街道(あきはかいどう)は、各地から秋葉大権現に通じる参詣者が向かう道の総称で、幾筋の道が存在する。「塩の道」と呼ばれるのは、遠州の相良から信州の塩尻を結ぶ約200 kmのルートである。途中の静岡県菊川市には「塩買坂(しおかいざか)」、掛川市には塩問屋が集まっていたという「塩町」など、塩にちなむ地名が残されている。終点の塩尻という地名も、相良から運ばれてきた塩の終着点を意味し、そこから更に山あいの村々へと運ばれていった場所だったことに由来する

大輪橋

国道152号線 大輪橋横の駐車場より、綺麗なトイレもあります。

秋葉街道を歩く順路では三倉〜坂下の予定でしたが、

山を歩きたくなったので少し先を進めることにしました。

竜頭山大輪登山口

今では知る人も登る人も殆ど居ないルート。

半血沢を詰めて青薙で平和からのルートに合流します。

石積みの棚田跡

この辺りは昔からお茶の栽培が盛んで、信州へ続く塩の道はティーロードでもありました。

地質的には三波川変成帯と付加体の境目辺り、

日照時間も短く痩せた土地にはお茶の栽培ぐらいしか適さなかったのでしょう。

平和からのルートにもあるお馴染みの看板があり竜頭山に登っている気分になります。

この先で秋葉街道へ合流したら登山道から外れ、半血沢を渡渉して一旦 街道を南下します。

半血沢

昔ここには橋が掛かっていたそうで、基礎らしき石積みの跡も見られます。

この日は水量が少なかったので、石の上を飛び移り対岸へ。

それにしても半血沢とは何とも怖しい名前です。

後日調べてみると、やはり昔ここで天野氏と奥山氏の戦があって、

その時この川の水が血に染まったこと由来するのだそうです。

戦国時代、主要な街道の一つである秋葉街道の各所では、戦が繰り広げられました。

街道風情が残る道が続きます

岩井戸集落へ、朝日に照らされる戸口山(1026.2m)

秋葉街道は集落の最も高い場所にある宮下家の軒先通りますが、

神社へと続くお宅上に迂回路があります。

八幡神社

岩井戸集落の辻に4体の石仏

不動明王(右)と智拳印の印相から大日如来(左)だと思います。

こちらの仏様は分かりません。

後で裏参道の入り口に、三十三観音石仏がまとめられているのを目にしますが、

もしかしたら街道筋には西国三十三観音霊場があったのかもしれません。

所々に鉄橋が掛かっています。

途中で何ヶ所か崩落箇所もあり通行には注意が必要です。

この辺は地質的に脆いのが特徴、災害の度に幾度となく崩壊したことでしょう。

意外にも一番安全なルートは峰道だったのかも知れません。

名古尾集落の手前 廃屋の軒先を通ります。

名古尾集落へ入ると周囲が開けます。

名古尾から大萩集落間の様子は復路で記載します。

大萩集落より。

竜頭山と天神山 山腹には先程通って来た名古尾の集落

山間の集落ではこの時間になっても日は差し込みません。

大萩集落の寺院

林道 天竜名古尾線を歩き秋葉山奥の院を目指します。

天竜川と右に大滝集落

右から愛宕山と矢岳山 奥に日本ヶ塚山〜離山

林道 天竜名古尾線から秋葉山奥の院へ

分岐には案内や杖が用意されています。

奥の院にはラクダ山 経由で一度来た事がありますが、

下からも来てみたかったのです。 沢沿いの整備された道を行きます。

奥の院が見えて来ました。やはり秘境感がある凄い所です。

御神木 8月28日の大祭日には麓の上平山地区から沢山の人が訪れるそうです。

秋葉山 奥之院

明治六年に神仏分離で、秋葉寺並びに奥の院が廃寺となりました。

竜頭山にあった奥の院不動明王堂は袋井の可睡斎奥の院として再構築されます。

明治18年(1885年)に秋葉寺・奥の院(竜頭山)共に復興したが、

奥の院は戒光院として秋葉寺から独立。

独立してしまった戒光院に代わり、名古尾沢の上流に設けられたのが

現在の奥の院になります。

新しい秋葉寺奥の院は有志の篤志を受け、観音堂を明治33年に建設。

現在は千手観音・荒沢不動尊・琢道坊を祀るそうです。

作られたのは明治中期と比較的新しいのですが、

こんな所に重厚な石積みの数々、苔生した階段や周囲の雰囲気と相まって、

古代遺跡のような雰囲気が漂います。

奥の院を後にして、 ラクダ山まで標高差400mを登ります。

マーキング・踏み跡も明確で、 前回来た時よりも歩き易くなっていました。

ラクダ山(1216m)

しばらく山頂を踏んでいなかったので、ここが今年初登頂。

八尺坊〜賽の河原までが未踏でしたので、軌道繋ぎも含めて尾根まで上がりました。

これで自宅から南アルプスまで軌道が繋がりました。

八尺坊

八尺坊は、江戸時代前期まで秋葉山奥之院(本尊)があった場所だと伝わります。

ここから竜頭山、廃寺〜独立、名古尾沢と、奥の院の歴史は転々として行きます。

秋葉古道 丁目石

秋葉古道 峰道の丁目石 127丁目・133丁目・134丁目

秋葉街道 峰道(奥の院街道)にあった丁目石がまとめられています。

遠州修験の入峰ルート(秋峰)として、秋葉山から竜頭山(奥の院)、

山住山(常光寺山)を巡るルートがあります。

こうした道は古く修験者達が開拓し歩いた道でした。

八尺坊

八尺坊への登り口があるスーパー林道天竜線沿いより、

久しぶりに来たら尾根道は途中林道でズタズタに破壊されていました。とても残念です。

八尺坊

古くより秋葉山奥の院の本尊だったが、正徳三(1713)年二月に田中藩主内藤信輝の宿願により焼津市花沢の法華寺へ移された。徳川信康が八尺坊であるとの言い伝えもあり、その旧跡に小祠が建つ。四月最終日曜が例祭日。

スーパー林道天竜線より

中ノ尾根〜光岳 灰縄山の後ろ、送電線に隠れてバラ谷の頭と黒法師岳、

京丸山〜ボンジ山〜大札山など南アルプス深南部の山々

さらに展望ポイントへ

春埜山〜大日山など、春野周辺の山並み。

中央の気田川沿いに開けた集落は野尻集落。

一杯水

ここには昔、一定量しか湧かない不思議な湧き水があったそうです。

横に案内板があります。

一杯水

解説 「一杯水」とは何と美しいひびきだろう!

若い方々の現代風の旅に対する感覚は理解しがたい程、昔の旅は一般に想像以上難儀なものであったという。わが信遠山岳地帯は険しい尾根伝の径が延々と北上する。歩み続けて喉の渇きをいやすところもないというきびしい旅でもあった。しかし、秋葉山から山住まで三里(十二キロ)の 程のその間に「一杯水」と呼ばれている不思議な救いの水が湧くところがただ一箇所ある。この不思議な聖水は、土地の人々の間にも永く伝えられ、今に行きて、真理の水を湛えている。寛政十年に発行された「遠山奇談」にも次の様に述べられている。「此巌の平なる所に一杯水という麗水あり、ここにて人々休息、手にむしびてのみほすに、暫して、又もとのごとく一盃にたたへ湧くといへども少しもあふるることなし。此ゆへに此名あり。」「一杯水」の呼び名は長い間ここを通りすがった多くの旅人たちが共感して口ずさんだもので、その韻は生きて麗妙である。一杯水の傍に、天明名間に新城の三人の方が建てられた碑が現存している。

賽の河原

欅や杉木立に囲まれた窪地に苔むした積み石が十塔ほど点在し、天折した幼子や水子の苦しみを救済するための地蔵菩薩二体と不動明王一体の石仏が祠に安置され河原を見守っている。不動明王像の船形の刻銘から、佐久間町上平山の片桐家と太田家の先祖が願主であることがわかる。

旧 春野町と旧 佐久間町の境に 塩の道(龍山村)の碑

前不動

ここから秋葉道は下平山へ下る道と山住へ向かう峰道に分かれる。二体ある石仏の右が聖観音菩薩で左が不動明王

前不動

今回もここから下平山へ

出来るだけ同じ道は歩きたくない性分なのですが、

ここは気に入ってしまったので、今回迷わずルートに組み込みました。

歴史の道 秋葉古道の木札

前回、あまり下調べをしないで来てしまったために、

壱町目の常夜塔(丁目石)と石仏群を見忘れたのが気がかりでした。

今回はその確認と常夜塔探しをしながら下って行きます。

第十九丁目

早速、前回見落とした丁目石を発見

何故か十九だけ石塔タイプのこの形。

壊れて作り直したとか、そんな感じなのでしょうか?

秋葉山 常夜塔(丁目石) 前回も最初に見つけた物です。

秋葉山表参道と同じ常夜塔と丁石が一緒になったタイプ。

やはり全く読めません。

この後の間隔的に、第十六丁目か第十七丁目だと思うのですが..

第十五丁目

今回は埋もれている個所を少し掘って確認しましたが、

これも風化が酷く読めません。

しかし、この後直ぐ十四丁があるので間違いないと思います。

第十四丁目

第十三丁目

第十一丁目

十二丁目は探し出す事が出来ませんでした。

多分、枯沢の辺りなはずなので、流されてしまった可能性もありそうです。

第十丁目

第九丁目

第八丁目

第七丁目

この先、作業用の林道が何度か古道を寸断しています。

辺りを探すと前回見つけられなかった第七丁目を発見。六丁目は不明です。

第五丁目

前回読めないと書きましたが、枯れ木を避けよく見ると、読めるじゃないですか。

この先、周辺を探しながら下るも四丁目・三丁目は見つけらませんでした。

八幡神社へ、前回は神社の参道を下ってしまいましたが、

秋葉街道は南側を通っています。

八幡神社

今回も八幡神社にお参り

日入沢(ひるさわ)には、南北朝時代「宗良親王」の遺臣、御室氏の屋敷が残っています。

ここ下平山の八幡神社の勧請も御室氏によってなされました。

第ニ丁目

街道へ戻ると直ぐに二丁目を発見

裏参道の入り口の石仏群

寄進した人物の名の横には 西国三十三と刻まれています。

何処かに祀られていた物を一ヶ所にまとめたような印象を受けました。

千手観音像(右)・如意輪観音像(左)

裏参道 第壱丁目

集落付近のためか状態も良く、 嘉永五年(1852)と刻んであるのが確認出来ます。

表参道沿いの常夜塔は、嘉永五年(1852)2月の秋葉山御開帳のときに、

現在残っている殆どの常夜塔が建立されました。

裏参道にある物もその時にまとめて建てられた可能性が高いと思います。

下平山 千代集落

裏参道と八幡神社の参道入口横の宮下家

ここには石塔タイプの壱丁目石もあります。

廃屋と秋葉街道

前回離脱した場所、今回はこの続きを歩きます。

日入沢石仏群

千代集落と日入沢集落の境に、

周辺の街道脇に祀られていた観音像や道祖神12基をまとめて保存している場所があります。

(やはり西国三十三観音の可能性が高いと思うのですが?)

旧龍山村の「日入沢石仏群」は、秋葉街道沿いに残る最大の石仏群という事で、

浜松市指定有形民俗文化財に登録されています。(1975年10月1日指定)

道祖神(中央)

12基ある観音像のうち道祖神は1基のみ。

男女がレリーフに彫られている「相体道祖神」は信州系の特徴です。

遠州地方には数基しかない珍しい道祖神です。

こうした信仰も街道によりもたらされたものの一つ。

古道と秋葉信仰に思いを馳せる場所です。

日入沢には、南北朝時代「宗良親王」の遺臣、御室ご三家の一つの屋敷が残っています。

塩の道は南北朝の動乱期に宗良親王が南朝の拠点として

征東府を置いた大鹿郷大河原へと続く道でもありました。

街道沿いには南北朝時代の逸話も数多く残っています。

日入沢集落の林道の分岐に「塩の道(龍山村)の碑」

ここ日入沢は旅籠が集中した宿場町でもありました。

そのうちの一件、集落の少し上には「万年屋」と言う旅籠があり、

幕末の頃に6人の脱獄囚と同心による大捕物(万年屋騒動)があったそうです。

ハンガレ沢

名前が嘘のような水量の「ハンガレ沢」

ここが下平山と上平山の境目に当たります。

舟代集落周辺は林道の上に断続的に古道が残っています。

(民家の軒先を通るため迂回箇所も有り) この先、出来るだけ古道を歩きます。

橿山(1059.2m)

茶畑から抜けて来た所 民家の上にはお社があります。

舟代集落と茶畑

標高約450m付近に広がる美しい集落です。

牧ノ沢 舟代集落

牧ノ沢 舟代集落のP434付近から再び古道へ

作業用の道が複雑に交差し迷いやすいです。

意突然現れる渡渉ポイント「牧ノ沢」には立派な橋の基礎跡が残っていました。

大萩 諏訪神社

大萩集落に入り諏訪神社に参拝。

ちょうどお参りに来ていた集落の方に会い、色々と話を伺う事が出来ました。

竜頭山と天神山

朝も撮影した場所より

大萩集落の方とは喋りながらご自宅前のこの付近でお別れ。

このまま下る予定でしたが、名古尾を再び歩きたかったので先を進めることにします。

右側の山腹に集落(大滝・岩井戸)が見えますが、この辺りを秋葉街道が通っています。

名古尾沢に掛かる橋の前には街道の道案内をしていた犬を祀る石碑があります。

こんな小話も実際に歩いてみないと得られません。

名古尾集落へ、ふと石垣の上を見ると石仏があったりして、

こんな瞬間にとても癒されます。街道歩きの醍醐味ですね。

名古尾集落

名古尾の集落は現在、一世帯が家を管理しているのみで、

実際にここに住んでいる方は居ないそうです。(大萩集落 住民談)

お茶の木の延び具合からも少し前まで人が住んでいたのでしょう。

車では来る事が出来ない山間にすっぽりと開けた集落跡、

ノスタルジックな雰囲気に駆られます。

やけに新しい東家が哀愁を誘います。

小道を上がり、サザンカの咲くトンネルを抜ける。

集落の奥に半鐘

モノラックの直ぐ右側には、午前中にお参りした石仏が祀られています。

名古尾集落にも石仏がまとめ安置されています。

「消防信号」こんな信号があるんですね!

見入ってしまいました。この先、岩井戸〜半血沢と来た道を戻ります。

大滝集落の石仏群

大滝集落の手前に石仏群 再び半血沢を渡渉し、

竜頭山大輪登山道 分岐から秋葉街道を歩き進めます。

ガイド本には道祖神とありますが、六地蔵と書かれているものもあります。

見た感じはお地蔵様に見えます。

集落の入り口に神社があります。

すぐ側のお宅の番犬3匹がけたたましく吠え続けるので、足速に通り過ぎました。

大滝集落へ

細い茶畑と集落を縫うように秋葉街道が通ります。

空き家も少なく昔ながらの生活が残る場所、

なんだかタイムスリップしたような感覚に陥ってしまう雰囲気ある集落です。

歩いて来た尾根が見渡せます 既に日が陰って来ました、

山間の集落は本当に日が短い。

大滝集落の石仏群

大滝集落の辻に石仏群、

国道152号まで下る林道と、集落上に向かう林道の分岐、

P322からは秋葉街道が並行して続きます。

道路が新設されたため、道が変わっていてかなり迷いました。

祠の中には大滝村中と彫られた青面金剛像(庚申塔)、

他に馬頭観音石碑などが並んでいます。

この先、秋葉街道は西渡まで尾根を下って行きますが、

道は崩落しており現在は通行不可です。

ガイド本では迂回路として国道152号から西渡へ歩くことになっています。

歩ける所まで歩き、ショートカットして下りました。

手前の林道まで下り 国道152号を戻ります。 次回は西渡〜水窪です。

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