井伊谷宮(いいのやぐう) 静岡県浜松市北区井伊谷




井伊谷宮(いいのやぐう)

井伊谷宮公式H.P
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静岡県浜松市北区井伊谷にある井伊谷宮

龍潭寺の隣に鎮座します。

井伊谷宮

御祭神

御祭神「宗良親王」は、後醍醐天皇第四王子(宮内庁調べ)であらせられ、
今より約650余年、動乱の南北朝時代に一品中務卿(いっぽんなかつかさきょう)
征東将軍として、この地を本拠に50余年の間、
吉野朝方のためにご活躍になられました。
その間、遠江・駿河・三河・甲斐・信濃・越後・上野・美濃等を転戦し、
信濃宮・上野宮・越中宮と尊称されました。
親王は、御幼少の折から御出家せられ、やがて京都比叡山天台座主となられましたが、
時代の波は親王にも及び、還俗して宗良親王となり、
戦陣の中へ身を置かなくてはならなくなったのです。
また、親王は、御幼少の頃より和歌に秀で、終生和歌の道の聖と仰がれました。
唯その御生涯は、誠に悲惨な人生であり困苦辛難に満ちたものでしたが、
どんな苦しい流浪の中にあっても和歌を離さず、
準勅撰「新葉和歌集」(吉野朝の歌人だけを集めた)の編纂を始め、
親王の歌集である「李花集」など当時の歴史資料としても貴重な和歌を多く遣されました。
晩年再びこの地を訪ねられ、元中2年8月10日御歳73才を以って
この地で薨去されたと伝えられています。

御神徳

和歌に秀でておられたことから「学徳成就・合格」の神様として崇められ、
また73歳と、当時としては大変御長寿であられたため
「長寿・除災開運」の守護神として信仰されています。

御由緒

当宮は、明治5年に明治天皇の思し召しにより御鎮座、
翌6年には静岡県内でも数少ない官弊社(井伊谷宮は官弊中社)
という格式高い神社となりました。
以来昭和5年には、昭和天皇が御親拝になり、続く昭和58年には、
現在の天皇皇后両陛下がご参拝される等、
皇室とも大変関係深い神社であります。

本殿も由緒ある神明造り


井伊社

井伊谷宮 本殿の裏に宗良親王 御墓があります。

宗良親王 御墓(井伊谷宮)の記事


御朱印

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