猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)・三重県伊勢市宇治浦田




猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)

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猿田彦神社公式H.P
http://www.sarutahikojinja.or.jp

猿田彦神社の歴史・由緒

天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、
高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である
「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、
この地を始め全国の開拓にあたられました。

そして、神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』等にあるように、
宇治土公宮司家の祖先で猿田彦大神の裔である大田命が、         倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営     されました。

そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。

同時に邸内では御先祖である猿田彦大神をお祀りし、
門前には全国から訪れる参拝希望者やお供えが絶えることはありませんでした。

当社は猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める神社です。

外宮・内宮と巡り、おかげ横町経由で「猿田彦神社」へ

おはらい町通りを抜け少し行った交差点の角にあります。

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日本神話の名シーン「天孫降臨(てんそんこうりん)」で、

初代天皇の曾祖父「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」の道案内をした

国津神(地元の神様)です。

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「その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、

目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように

照り輝いているという姿であった。」とあります。

このことから天狗の原形や土着の太陽神との説があるそう。

今でも猿田彦の子孫が宮司を務めるといわれています。

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猿田彦神社境内案内図

境内はこじんまりとしています。

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手水舎

鳥居手前左手に「手水舎」

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赤門

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子宝池

子宝池

池畔には神代の昔から子々孫々継承し続けて

絶えない宇治土公家の産霊神が祀られています。

手水舎後ろにある「子宝池」子宝に恵まれるご利益があるとか。

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古殿地(こでんち)

境内の真中にあるのが「古殿地(こでんち)」という方角を刻んだ石。

この石柱の立つ場所は、昭和11年の御造営まで御神座のあった神聖な位置。

この石に刻まれた文字を願い事によって順に3つ触っていくと

ご利益があるそうです。(掌に文字が写るくらいしっかり押さえる)

仕事運 「亥 → 卯 → 未」

金運 「巳 → 酉 → 丑」

家庭運 「申 → 子 → 辰」

人気運 「寅 → 午 → 戌」

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本殿

天孫降臨で道案内をした猿田彦は「みちひらき」の神様として有名です。

何か、新しいことを始めようと思ったときや、

何かを決意した時にお参りすると良い方向に導いてくれるといわれます。

ちなみに本殿の屋根の上の鰹木や柱や欄干は、

猿田彦大神の御神徳にちなんで八角形になっています。

八角は方位を意味し、猿田彦大神の方位除の御神徳を仰ぐものです。

本殿のほかにも手水舎の柱や大鳥居もすべて八角形。

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佐瑠女神社(さるめじんじゃ)

鳥居手前右手には、天宇受売命・天鈿女命(アメノウズメ)

を祀る「佐瑠女神社(さるめじんじゃ)」

アメノウズメは天孫降臨の際、ニニギに随伴して天降りし

猿田彦に名前を問います。

それが縁で、アメノウズメは猿女君(さるめのきみ)と名を変えます。

また有名な「岩戸隠れ」で天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき

舞い狂って(ストリプ)諸神を笑わせ、それによって天照大神を誘い出した。

そんなことから芸能の神としても有名です。

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佐瑠女神社の隣にあった社務所でしょうか?

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アメノウズメは猿田彦と結婚したともいわれることから

一緒に祀られている所が多いです。

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さざれ石は

「君が代」の歌詞で有名な(さざれ石)は

年月とともに成長し岩になるとされている縁起のよい石。

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当然、御朱印も八角形です。

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