金櫻神社(かなざくらじんじゃ)奥宮・金峰山(2599m)山頂 「五丈岩」




金櫻神社(かなざくらじんじゃ)奥宮・金峰山(2599m)山頂 「五丈岩」

金櫻神社 / Wikipedia

山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村の境界に聳える金峰山

山頂付近には金櫻神社の御神体「五丈岩」があります。

第十代崇神天皇の御代、各地に疫病が蔓延した時に各地に神を祀ったそうですが、

甲斐国の金峯山山頂に少彦名命を祀ったのが金櫻神社の起源と伝わります。

そのため金峯山山頂には本宮(奥宮)があり、麓には里宮が何社か鎮座します。


千代の吹上 より

江戸時代までは修験道の色が濃く修験道のご本尊である

蔵王権現(ざおうごんげん)を合祀した神仏習合霊場、

日本三御嶽として広く知られ、隆盛を極めました。

蔵王権現は奈良吉野の金峯山寺(蔵王堂)本尊で、

金峰山の名もここに由来します。

武田家代々の祈願所であり、修験者・武士からも崇拝され数々の奉納を受けています

(弘法大師が自筆経文を奉納、日蓮聖人が法華経を奉納、

鎌倉幕府執権・北条時頼が大般若経を奉納、武田勝頼が能面八面を奉納 等々)

また、三峯神社や武蔵御嶽神社と同じく、ヤマトタケル尊のご眷属・

狼信仰の神社でもあります。


金櫻神社 本宮(五丈岩)

金櫻神社由緒

御祭神
少彦名命
大己貴命
須佐之男命
相殿
日本武尊命

第十代崇神天皇の御代(約二千年前)各地に疫病蔓延し
天皇 深く憂慮され諸国に神祇を祀って悪病退散萬民息災を祈願せしめられる
この時、甲斐国では金峰山(北方約三十キロ)山頂に少彦名命を祀られたのが
当社の起源である。
其の後第十二代景行天皇の御代日本武尊命が東国巡行の際詣でられて、
大己貴命と須佐之男命を合祀され後に之を奥宮とし現在 の地に里宮として
金櫻神社を創建された。更に奈良朝第四十二代文武天皇 二年(約一千三百年前)
大和国金峰山より蔵王権現を勧請し、神佛両道と なり別当以下神官、
僧侶百余名が常時奉仕し、頗る盛大を極める
以金為神 以桜為霊 - 金櫻神社々名の起源となる
東国の名社として関東全域を始め越後佐渡、信濃、駿河に迄其の御神徳は 及び、
各国の領主、武将の崇敬も篤く、寄進された社殿は実に、
壮観を極め鎌倉時代の建造物は国の重要文化財に指定され、
左甚五郎 作の昇り龍、降り龍の彫刻類は稀にみる貴重な文化財であった。
古くから日本水晶の発祥の地として火の玉・水の玉のご神宝と金の成る木と言われる神木、
鬱金の櫻は生涯守の水晶のお守りと併せ特に有名である
日本渓谷美第一位の昇仙峡の景観と共に名実共に関東の大社であった境内は千古の老杉、
巨木、枝を交え社有林三千町歩、秀峰奇 岩屹立し、
全山樹木に覆われて、真に仙境の感があった。
-金櫻神社 境内案内板より


金峰山(2599m)山頂

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