如意輪寺(にょいりんじ)
如意輪寺 H.P
http://www.nyoirinji.com
如意輪寺へは少し下った所にあります。
金峰山寺からは30分 強歩いた所にあります。
境内には後醍醐天皇の御陵である塔尾陵があります。
山門
如意輪寺
創建は延喜年間(901~22)と伝えられています。
延元元年(1336)、後醍醐天皇の勅願寺とされた寺である。
天皇没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣前、
鏃で記した辞世の歌が堂の扉(宝物殿に保存)に残ります。
森のなか、静寂につつまれた境内には正行一行の髷塚もあります。
宝物殿に安置されている蔵王権現像は、鎌倉時代中期、嘉禄2年(1226)の作で、
役行者が山上ヶ岳山上で感得した蔵王権現の忿怒の姿をみごとに表現しています。如意輪寺は、延喜年間(901-923)に、日蔵道賢(にちぞうどうけん)上人によって
創建された寺院です。
慶安三年までは真言宗の末寺でしたが、
荒廃していた如意輪寺を浄土宗の文誉鉄牛(ぶんよてつぎゅう)上人によって
復興されて以来、浄土宗の寺院となっています。
如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の御陵「塔尾陵」があります。
後醍醐天皇は、吉野に南朝をたて、いつか京に帰る日を夢見つつ延元四年(1339)年崩御。
如意輪寺の裏山に葬られました。普通、天皇御陵は南面していますが、
後醍醐天皇陵は、その思いを反映してか北面して京の方角を向いています。
後醍醐天皇崩御後、南朝後村上天皇の代、楠木正成の子である楠正行は
高師直(こうのもろなお)との決戦を前に、南朝の宮に後村上天皇を訪ね、
さらに塔尾陵に参拝。また、如意輪寺の如意輪堂に参詣します。
ここで正行は、髻(もとどり)を切って仏前に奉納。
如意輪堂の扉板に、鏃で「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
と辞世の句を刻み込み、死地に赴いたのでした。
それは正平二年(1347)の冬のことでした。この扉は如意輪寺宝物館に現存しています。今、如意輪寺には数多くの文化財が保存されていますが、中でも特筆すべきは、
後醍醐天皇が護持していたという蔵王権現像す。
櫻の一木造りで、その造形はすばらしく、見る者を圧倒します。
これはかの大仏師、運慶(うんけい)の高弟、源慶(げんけい)の作と言われており、
国の重要文化財に指定されています。
寺院内では棟梁が黙々と作業中。
寺院内の拝観料は¥400- ながらも残念ながら人がいません。
この中に入りたいんですが…
不動堂には石像の大きな不動明王が祀られている。
このお不動さんは難儀な事態から救ってくれるとのことで、
「難切(なんきり)不動明王」と呼ばれている。
難切り不動尊 畿三十六不動尊霊場 三十番
三門右手に位置する、石の不動尊としては日本で最大のもの。
ご神木
鐘楼
役行者のお堂もあります。