正林寺(塩買坂の戦い)今川義忠公の墓・静岡県菊川市高橋
静岡県菊川市にある曹洞宗の寺院「正林寺」
1476年(文明8年)、氏親の父今川義忠は横地氏と勝間田氏の討伐戦で、
両氏の残党による襲撃により戦死しました。
今川氏親は父の菩提を弔うために1517年(永正14年)に「正林寺」を創建しました。
塩買坂
今川第6代義忠(義元の祖父)が横地氏の残党に襲われ悲報の死を遂げた場所で、
徳川・武田の戦跡でもあります。
武田陣場跡
元亀2年(1571)、武田信玄は高天神城をうかがい塩買坂に陣を張り、また、天正2年(1574)には武田勝頼もまた高天神に向かって出兵し、塩買坂に布陣したという。相良からの旧信州街道は新野原からもとの正林寺坂(旧坂)に下る。この坂を塩買坂(性海坂)と呼んだ。この坂からは眺望絶景で小笠平野を通し、高天神城が指呼の間にあり、立地条件から戦略上最適の地といえよう
塩買坂古戦場跡石灯篭
文明八年(1476年)4月6日、横地城と勝間田城を落とした今川義忠が、
凱旋途中の塩買坂にて残党に襲われて討死しました。
塩の道
正林寺 山門
今川氏親が塩買坂で亡くなった、父 義忠菩提を弔うために
永正14年(1517年)に建立。当初は昌桂寺と称しました。
ちなみに氏親は父の死亡時、まだ幼少で家督争いが起きていました。
それを調停したのが伊勢盛時、後に「北条早雲」と呼ばれることになる人物である。
これらの経緯により、当寺には義忠の位牌や今川家家臣の墓などがある。
また氏親の正室寿桂尼の画像や義忠の木像もある。
正林寺 本堂
正林寺
文明8年(1476年)、今川義忠は横地氏・勝間田氏を討ち取った帰り道に、「塩買坂」へさしかかったところで、横地氏残党に不意をつかれて討ち取られてしまいました。 その後、永正14年(1517年)に義忠の子・氏親が弔いのためこの地に「昌桂寺」を建立。のちに「国源山正林寺」となりました。 現在、義忠の位牌と五輪塔・家臣の墓があり、市指定の有形文化財「今川六代義忠の木像(香を聞く義忠像)」が安置されています。 また、本堂には雅号・月花園が描いた、4枚1組で左右1対の見ごたえある襖絵があります。 (菊川市H.Pより)
今川義忠公の墓
文明八年(一四七六)この地で絶命した今川義忠公迫善のため永正十四年(一五一七)その嫡子氏親公 国源山昌桂寺を開創し後、昌林、正林と寺名を改めて今日に及んでいる
法名 長保寺殿桂山宗昌大禅定門
今川氏家系図
範忠(五代)ー義忠(六代)ー氏親(7代)ー氏輝(8代)ー義元(9代)ー氏真(十代)
今川義忠公の墓