妙雲寺(みょううんじ) 自耕庵 おんな城主 直虎 ゆかりの地




妙雲寺(みょううんじ)臨済宗 妙心寺派(自耕庵)

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日本の神社・寺院検索サイト 八百万の神
https://yaokami.jp/1225723/

井伊谷城跡から二宮神社と歩き足切観音、

晋光寺・井殿の塚と巡り井伊家居館跡

さらに渭伊神社・天白磐座遺跡の後、

最後に 自耕庵(現 妙雲寺)ヘ立ち寄りました。

それまでの記事はこちら

井伊谷城跡(城山公園)の記事

二宮神社(にのみやじんじゃ)の記事

足切観音堂(あしきりかんのんどう)の記事

晋光寺(しんこうじ)の記事

井殿の塚(いどののつか)の記事

井伊家居館跡(いいけきょかんあと)の記事

渭伊神社(いいじんじゃ)の記事

天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)の記事

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17:00少し前、妙雲寺は閉まっています。

ここ妙雲寺から渭伊神社での間が北神宮寺遺跡と呼ばれる

井伊谷でも最大級の遺跡。

現在は発掘調査を終え、真新しい住宅が立ち並ぶ。

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妙雲寺

現在は臨済宗 妙心寺派に属する寺院で、もともとは自耕庵とよばれていました。

戦国時代、井伊氏の苦難を支えた次郎法師(井伊直虎)の場菩提寺であり
寺号は次郎法師の法名、妙雲院殿にちなみます。

次郎法師は井伊氏当主であった井伊直盛の娘で、
幼い頃の井伊直政(虎松)の後見人となりました。
没年は大正10年(1582)です。

現在、妙雲寺がある場所とその周辺には北神宮寺遺跡という
井伊谷でも最大級の遺跡の所在地です。

土地区画整理事業に先立ち、2003年から2007年にかけて発掘調査を行い、
縄文時代から江戸時代にかけて、人々がこの地に住み続けていたことが明らかになりました。

戦国時代についても、大型の建物が確認され、鍋がまとまって出土した一画があり、
井伊氏を支えていた有力者の住まいがあったと考えられます。
平成28年3月 北区まちづくり推進課

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本堂も閉められている。

ここ妙雲寺は龍潭寺(りょうたんじ)と同じく直虎の菩提寺

なんと昨年11月と今年の1月に本堂内を整理していた際に

井伊直虎と、直虎を支えた南渓瑞聞(なんけいずいもん)和尚の位牌が見つかったと言う

ご住職がいれば拝観も可能だという。(公開時間は午前9時半~午後4時)

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寺院内のお堂

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お地蔵様も、

裏手にも案内板が。

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浩徳山 妙雲寺 臨済宗 妙心寺派

永禄四年(1561年)五月造立
本尊 虚空蔵菩薩

井伊家二十二代 直盛が永禄三年 尾州桶狭間の合戦で戦死したので
直盛の息女 直虎(次郎法師)が父の菩提のため剃髪し一字を建立自耕庵と号した。
その後、帰俗し井伊家御家役となり大正十年死去。
法号にちなみ妙雲寺と定めた。

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