久麻久神社 ・愛知県西尾市八ッ面町麓
愛知県西尾市八ッ面町麓、に鎮座する「久麻久神社(くまくじんじゃ)」です。
矢作川西岸、男山と女山の大小二つの丘からなる八ツ面山の中腹に鎮座します。
大宝年間(701~704)の勧請創祠と伝えられる延喜式内社で、
御祭神は、大雀命、須佐之男命、熱田大神です。
八ツ面山は古くから雲母の産地であり、昭和の初年まで採掘されていました。
当社の創祀は、その雲母採掘にかかわる祭祀によるものと思われます。
伝承によると、往昔は社殿が八面山の頂上に西向きに鎮座していたのを
永禄年間(1558-1570)に当時の城主鳥居元忠が現在地に移し東向きに改めたとされます。
鳥居
手水舎
久麻久神社 拝殿
久麻久神社
【住所】愛知県西尾市八ッ面町麓 77
北緯34度52分28秒,東経137度4分35秒
【祭神】大雀命 須佐之男神 (配祀)熱田大神
(合祀)奧津比古神 奧津比売神 火産靈神 豊宇気毘咩神 伊邪那美命 気理比咩神
【例祭】11月第1日曜日 例祭
【社格】旧郷社
【由緒】大宝年中(701~704)素盞鳥尊を勧請
大永7年(1527)久麻久神社として再興
徳川家康がが現在地に遷
明治6年社名を「久麻久神社」に復した【鎮座地】古くは男山の山頂付近
徳川家康がが現在地に遷【祭祀対象】採掘場
【祭祀】江戸時代は「大宝天王社」「久麻久上ノ社」と称していた
【社殿】本殿入母屋造(重文)
拝殿・神饌所・舞殿(高床)・手水舎・神庫・社務所
【境内社】秋葉社
久麻久神社(くまくじんじゃ)
吉良井の中心ハツ面山に鎮座し、「延喜式神明帳」にもみられる由緒ある神社です。室町時代の建築である本殿は重要文化財に指定され、県指定文化財の木造牛頭天王神像や陶製狛犬など多くの文化財を所有します。また、吉良氏菩提寺実相寺とかかわりがあることもわかっています。
式内・久麻久神社
所在地・西尾市八ツ面町麓77番地
祭神・大雀命,須佐之男命,熱田大神,外六柱
当社の創建は古く明確でないが、延喜式神名帳所載の古社で、近郷17ヶ村の総氏神として崇敬されていた。 旧久麻久郷は、崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より、久麻久連一族が開拓したと伝えられ、その産土神が本社である。 文武天皇の大宝年間(701~4)に、須佐之男命を勧請し、山頂に祀り大宝天王宮と称した。 その後、八ツ面山西村麓、荒川城主荒川甲斐守義弘これを崇敬し、堂宇を興し荒川大宝天王宮と称した。 荒川氏没後、徳川家康は家臣鳥居元忠に命じ、現在地に奉遷させたと伝えられる。 明治六年、社名を旧名「久麻久神社」に復した。 本殿は、室町時代後期の代表的建築とされ、国の重要文化財であり、ご神像の牛頭天王は、藤原時代末期の作である。 また、古い木製や陶製の狛犬も有名である。
久麻久神社(くまくじんじゃ)
久麻久神社の御祭神は、大雀命、須佐之男命、熱田大神です。 創建は古く祟神天皇の御代、久麻久連が京都丹後半島与謝の国よりこの地に来て開拓し、その産土神が当社の始まりと伝えられています。大宝年間に旧大宝村より新たに須佐之男命を勧請し、大宝天王宮とも言われていたようです。戦国時代八ツ面城主荒川甲斐守義弘氏の信仰が篤く、荒川大宝天王宮と呼ばれ、徳川家康も西尾往還の折は参拝したと伝えられています。 延長5年、『延喜式』神名帳にその名が記されている、格式の高い古居神社です(延喜式内社)。 当社が鎮座する八ツ面山は、古くはきらら山(雲母山)と呼ばれ吉良町(旧きらの庄)の名前の由来となったとも言われています。 拝殿横の椎の木は連理の枝の古木で、男女の幸せの象徴です(久麻久神社の椎の木郡、市指定)。 本殿は一重入母屋造、三間向拝付、桧皮葦の屋根で細部の意匠も優美であり、県内でも類例の少ない形式で建立年代(1527)の明らかな社殿として貴重です(国の重要文化財)。 牛頭天王神像(県重文)、陶製狛犬(県重文)などの文化財も所蔵しています(未公開)。 ※宮参り、お祓い、地鎮祭など各種の依頼は、電話予約にてお願いします。
社務所
久麻久神社(くまくじんじゃ)の御祭神は、大雀命、須佐之男命、熱田大神です。 創建は古く祟神天皇の御代、久麻久連が京都丹後半島与謝の国よりこの地に来て開拓し、その産土神が当社の始まりと伝えられています。大宝年間に旧大宝村より新たに須佐之男命を勧請し、大宝天王宮とも言われていたようです。戦国時代八ツ面城主荒川甲斐守義弘氏の信仰が篤く、荒川大宝天王宮と呼ばれ、徳川家康も西尾往還の折は参拝したと伝えられています。 延長5年、『延喜式』神名帳にその名が記されている、格式の高い古居神社です(延喜式内社)。 当社が鎮座する八ツ面山は、古くはきらら山(雲母山)と呼ばれ吉良町(旧きらの庄)の名前の由来となったとも言われています。 拝殿横の椎の木は連理の枝の古木で、男女の幸せの象徴です(久麻久神社の椎の木郡、市指定)。 本殿は一重入母屋造、三間向拝付、桧皮葦の屋根で細部の意匠も優美であり、県内でも類例の少ない形式で建立年代(1527)の明らかな社殿として貴重です(国の重要文化財)。 牛頭天王神像(県重文)、陶製狛犬(県重文)などの文化財も所蔵しています(未公開)。
久麻久神社 本殿
久麻久神社 本殿
本殿は一重入母屋造、三間向拝付の大永7年(1527)に造立されたもので、国の重要文化財に指定されています。 重要文化財 久麻久神社本殿 指定・種別 国指定・建造物 員 数 1 棟 法 量 身舎桁行4.3m 梁間4.2m 向拝軒出1.2m 時 代 室町時代後期 大永7年(1527) 付(つけたり) 鰐口:宝徳元年(1449)・棟札2枚:①大永7年②貞享3年(1686)・厨子 所蔵・管理者 久麻久神社(八ツ面町) 一重入母屋造、桁行三間、梁間二間、向拝三間。桧皮葺の蟇股や手挟みなど軒周りの彫刻の美しい本殿。昭和44年の解体修理によって棟札や墨書から大永7年に再建されたものであることが明らかとなった。向拝中央と南側の蟇股に「大永七?丁/亥卯月廿一日」「参河刕実相寺住僧有□」などの墨書がある。
境内社 天満社と稲荷社
御神木「連理の枝のシイの木」 境内社 山之神社と御鍬社
久麻久神社の御神木「連理の枝のシイの木」
『連理の枝のいわれ』
連理とは、一本の木の枝が他の木の幹と連なって木目が通じ合っていることで「連理の枝」といいます。
その語句は、中国の唐の時代の詩人、白居易(白楽天)の「長恨歌」の一節で、玄宗皇帝が楊貴妃に囁いた「天に在りては、願わくは、比翼の鳥と作り、地に在りては、願わくは、連理の枝と為らん」と歌われていることから始まり、夫婦・男女の仲睦まじいことのたとえです。
又、「連理の契り」と言って男女の間が永遠に睦まじく、変わる事のない契りを表します。連理の枝の木があることは珍しく、神社の祠の前に連理の枝が在るということは、神様の思し召しの様に思われます。
神社の周辺には、多くの椎の古木が生い茂り西尾のパワースポットとして、神聖な雰囲気を醸し出し地域の安泰と繁栄を祈る神社を守っています。
久麻久神社のシイ群(連理の枝のシイ含む)は西尾市の銘木として指定されています。