三倉 白髭神社(しろひげじんじゃ) 周智郡森町三倉中野




三倉 白髭神社(しろひげじんじゃ) 周智郡森町三倉中野

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周智郡森町 戦国夢街道ハイキングコース

塩の道から高塚山に登り、半命コースへ

岩の横に鎮座する「白髭神社」に参拝しました。

この辺は三倉 中野地区というそうです

こちらの集落の氏神様です。


拝殿

岩と一体となりワイルドな印象の境内

幅が狭く急な階段の参道です。


本殿

苔むした本殿

すぐ裏には森が広がる。

岩の中腹に境内社

白髭神社

この地に鎮座します白髪神社は、
遠い昔から中野村(明治以前)の氏神として祀られてきました。
勧請の年月は定かではありませんが、現存する棟札によると、
今からおよそ三百年前の享保六年(西暦一七二一年)に
再建されたことがわかります。
この棟札が記録としては最も古いものですが、神社勧請は、
もっともっと昔だと思われます。
もともと白髭神社というのは、比良明神で名高い琵琶湖西岸の
白髭神社がもとになり、各地に分霊して祀られたものと推定されます。
ちなみに今、全国に白髭神社という名を冠した神社は
約一五○社ほどあります。
この中野の白髭神社も、各地の白髭神社と同じく御祭神として
「猿田彦神」をお祀りしております。
御祭神の猿田彦命は、古事記によれば、国津神(国の神)であって、
天孫瓊瓊杵尊が高天原から此の地に降臨される際、
途中までお出迎えし、天孫瓊瓊杵尊をご案内した神様であると書かれております。
祭神の猿田彦命は、降臨の際の嚮導(道案内)の神であることにちなみ
航海・交通の安全の神とされ、また人々の幸せを導く長寿の神として
信仰を集めております。
白髭神社の歴史をひもとくと、明治六年には、明治の新体制の中で、
一度は三倉の許袮神社に合祀されましたが、
明治十二年八月に、村人の願いにより再びこの地に祀られました。
以来、「中野の氏神様」として村人の崇敬をうけ、現在にいたっております。


社務所

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