法隆寺 経蔵 鐘楼・世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物




法隆寺 経蔵 鐘楼・世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物

法隆寺 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺


経蔵

法隆寺 経蔵(国宝)

創建
710年(和銅3年)793年(延暦12年)
建築様式
楼造
切妻造
大きさ
桁行三間(約:7メートル)
梁間二間(約:5メートル)
屋根の造り
本瓦葺
重要文化財登録指定年月日
1899年(明治32年)4月5日
国宝指定年月日
1951年(昭和26年)6月9日

法隆寺経蔵

法隆寺の西廻廊が五重塔背後で屈折し、大講堂に向かうその中間地点に位置する。
天平様式を基調とすることから奈良時代の建築とみられ、
現存する楼造の建物のなかでは最も古い遺構である。
一階を高く二階を低くする上下のバランスもよく、簡素な切妻造の屋根と、
二階床高さにまわる縁・高欄が全体をひきしめる役目をになっている。
部分的に後補の材もまじるが、奈良時代の楼造建築を考えるうえでは
かけがえのない作例である。


鐘楼

法隆寺 鐘楼
国宝 1棟

平安中期
1005年~1020年(寛弘2~寛仁4)
桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺
重要文化財
指定1899.04.05(明治32.04.05)
国宝
指定1951.06.09(昭和26.06.09)

法隆寺鐘楼

大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つ。
奈良時代創建の鐘楼は延長三年(九二五)に講堂とともに焼失し、
現建物は十世紀おわりごろに再建された。
再建にあたっては旧規模を踏襲し、それまで回廊外にあって独立していたが、
北回廊が大講堂まで延長したので、鐘楼・経蔵ともに回廊の中間に建つことになった。
その後数回の小修理を経て、慶長の大修理では軒、破風、高欄に変更をうけている。
回廊と一連の基壇上に建ち、自然石の礎石上の丸柱は、
平安時代としてはめずらしく柱上部で細くなる銅張りをもつ。
正面中央間には低く内法長押を打ち扉口を開き、他の柱間は白壁で閉じる。
白壁中央の腰貫は中世以後の補強である。
腰組は出三斗組で、通肘木上に上層の柱盤をおく。
上層の柱位置は経蔵では下層よりやや内側にあるが、鐘楼は下層柱の直上に建て、
柱にはわずかに胴張りがある。
組物は平三斗で断面小判形の桁をうけ、軒は二軒で先端の反りの強い角垂木を用いる。
架構は二重虹梁蟇股で経蔵と同形式であるが、虹梁先端に増しがつき、
蟇股の形や虹梁の曲線は平安時代の特徴をよく示す。
上層の桁行中の間は吹放しで、上層には床も張られていないが、
重い梵鐘を支えるために土台、支柱を入れて大虹梁上の中梁を支えるなど、
補強が加えられている。
鐘楼は平安時代の楼造の唯一の遺構であり、経蔵と同形式ながらも、
やや軽快さに欠けて時代を示している。

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