共保公出生の井
遠州の古刹 龍潭寺H.P
http://kazutoyochiyo.jugem.jp/?eid=1194
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
龍潭寺から歩いて数分の所に共保公出生の井 (ともやすこうしゅっせいのい)があります。
田んぼの真ん中に位置しており、周りには駐車場などはありません。
龍潭寺の駐車場に車を停め歩きで行くことをお勧めします。
住所「静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1954」
井伊氏祖 共保公出生の井
この井戸は井伊家の始祖井伊共保公出生の井戸として往古から伝承されています。
一條天皇の寛弘年間藤原鎌足十二代の子孫 備中守共資公が遠江介として村櫛へ下向、
元旦 領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。たまたま神域の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、
俊秀麗顔、常人にあらずまことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。後年共資公が自身の一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し
当地方の宰主となり家紋をこの聖井を型取り、井桁に橘を以ってし、
名門井伊氏の基を開いたと謂われます。又、史説として、天日槍命(あめのひほこのみこと)三十二代三宅好用、
醍醐天皇の延喜年間奈良より荘司として着任、この井戸の傍に居を構え、
それより三代目の井端谷(いはたや)篤茂の娘が共資公に嫁し共保を生誕したとも伝えられます。三宅の家紋は橘であります。
(引佐町教育委員会)
藤原家12代共資がこの地を訪れた際に井戸の脇に子供を見つけたそう
それが、井伊家の始祖となる井伊共保であるそうです。
まさか井伊家の始祖が孤児とは…
真意は別にして、ここから井伊家の歴史が始まったと思うと
感慨深いものがあります。