伊吹山(1377m)・滋賀県米原市 岐阜県揖斐郡揖斐川町 不破郡関ケ原町
伊吹山 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊吹山
百名山・新花の百名山にして、滋賀県最高峰「伊吹山」へ
神戸・大阪から電車で2時間とアクセスが良く
3合目まではトイレも完備された歩きやすい登山道
四季を通して季節の花々を愛でながら登ることが出来る人気の山です。
梅雨の合間、(予報では晴れてくるはずでしたが)あいにくの天気
上野 登山口より
人気の山だけあり駐車場は早い者勝ち
駐車料金は登山口近くで (¥500-)〜
民家も駐車場を提供しており最安 ¥200-程で終日の駐車が可能です
最寄りの駅は『近江 長岡駅」
1時間強に1本のバス(¥360-)を利用すれば伊吹山登山口バス停へ
三之宮神社
伊吹山 上野登山口横に鎮座する「三之宮神社」
車でのアクセスの場合、この神社を目的地に設定するといいと思います。
伊吹山登山口ゲート横にあるログハウスの建物で
「伊吹山入山協力金」¥300ーを支払います
早朝はまだ係の方は居りませんでしたが、
ホストに入れればOK、係の方に支払えば地図など頂けるようです。
「登山者届け」などもここで出来ます。
登山口
登山口からしばらくはゴツゴツとした岩の道
ひろきち地蔵
炭焼きに出かけた「ひろきち」さんが山で見かけたお地蔵さんを持って帰ったが、
その後病気になってしまい山に戻したという謂れがあるそうです。
伊吹山では「みんなが楽しい伊吹山プロジェクト」と題され
各所に伊吹の元気応援事業の方による案内板が設定されています。
休憩ついでに目を通すとまた違った伊吹山の魅力に出会えます。
一合目 伊吹高原荘
ここからはあまり木陰のない登山道
今日は歩きやすかったですが、
天候により、灼熱・強風の道となりそうです。
クサフジ
シャクシの森と白山神社
一合目と二合目の間に鎮座する白山神社
この森が杓子の形に似ていることから「シャクシの森」と呼ばれているそうです
またこの神社脇にある石灰岩の磐座は昔から伊吹山登拝の重要な霊場でした。
山頂を一之宮、ここを二之宮、麓を三之宮としたとも伝わっています。
シャクシの森を抜け、車道を横切ったあたりが二合目
横にベンチなどもあります。
二合目登山道より
伊吹高原荘・シャクシの森を望む
徳蔵山・鞠蹴場
二合目から三合目の中間に開けた草原は鞠蹴場と呼ばれ
伊吹弥三郎が鞠を蹴ったところだといわれています。
昭和四十三年に高松宮杯西日本スキー大会では
ここにジャンプ台が設けられました。
ヒメウツギ
3合目周辺はオカメガハラと呼ばれ、
春から秋にかけて70種ほどの草花が見られます。
この辺では伊吹山の全容が見られるはずですが…
三合目「オカメガハラ」
ヤマトタケルノミコトが伊吹山の神に襲われたのがこの辺りと伝わります。
休憩所や最後のトイレがあります。
オカメガハラ周辺に咲く70余種のうちいの主な草花
新花の百名山の伊吹山では沢山の高山植物や
固有種が数多く見られます。
防護柵が設けられていて、
中で季節の草花を観察することができます。
少しづつ草花にも興味が出てきてましたが
なかなか覚えられません。
距離で言えば中間地点の四合目
再び岩の道へ、振り返るとオカメガハラの美しい景色
五合目には自動販売機もあります。
(全て売り切れでした…)
五合目「山頂まで2.4km」標高880m
この辺から可愛い「オドリコ草」の姿
六合目付近の避難小屋
中を覗かせてもらいました。
伊吹山の核心部となる六合目
この辺から登りがキツくなります
ヤマガラシ
当然採ってはいけませんが、
若芽や若苗は天ぷらやおひたしにして食べることができます。
標高1,000mを越え七合目へ
クサタチバナ
八合目
行導岩
八合目の西に位置する巨岩は行導岩(平等岩)とも呼ばれる修験道の霊場で、
伊吹山を開いた高僧 三修や円空がこの岩の上で修行したと伝わります。
山肌から数十メートル突き出た大岩は、山麓からも眺めることが出来ます。
手掛岩
伊吹山は修験の山でかつては六合目より女性の登山は許されていませんでした
昔、出家した夫を探し山に登り始めた女性が七合目付近に差し掛かったときに、
強風が襲ったそうです。
最後まで振り落とされまいとしがみついた岩には指の跡が残るとの伝説があります。
このことからここから上は神の領域であるという、山岳信仰の結界を示す岩とされています。
またここから上の斜面にはカレンフェルト(石塔原)と呼ばれる
石灰岩地帯特有の地形が広がります。
イブキシモツケ
イブキシモツケの群生地 幻想的です。
この辺が九合目付近
山頂域に入る前に防護柵を通過
山頂域へ
まだお店も開いていなく誰も居ません
回復に向かうはずのお天気も… 真っ白です。
ヤマトタケルノミコトの像
日本武尊が東征から都(当時は大和の国)に帰る途中、
伊吹山の神(豪族)を征伐するために伊吹山に来てみると、
伊吹山の神 白猪(日本書紀では大蛇)の毒気に当たって
高熱を出して倒れてしまったという神話が残っています。
とりあえず頂上を一周、一時間弱時間稼ぎ
防護柵を鹿が飛び越えてましたが…
伊吹山ドライブウェイ山頂駐車場へ
一瞬の晴れ間
グンナイフロウ
再びヤマトタケルノミコト像前へ
伊吹山寺 覚心堂
由緒
伊吹山は現滋賀県米原市と岐阜県揖斐郡春日村の境に位置する、
標高1,377メートルの霊山である。
古代の修験道において重きをなす「七高山」のひとつに選ばれ(釈家官班記)、
また記紀神話には「荒神」の山として霊威が知られていた。
したがって「伊夫伎」の名も「吹き棄つる伊吹」(古事記)
すなわち「息吹き」から出たことが推測され、
こうした荒々しい霊のとどまる霊の山で修行する山林修行者は、
優れた霊力を保持する宗教者として周辺の住民から期待された。
平安初期には沙門三修の活動が『三代実録』元慶2年(878)2月13日条に見え、
三修の建てた「伊吹山護国寺」が定額寺に列せられている。
これはのち伊吹四箇寺(弥高・観音・太平・長尾)が護国寺へと
発展する基礎になったものであるが、
その背景には伊吹山の山岳修行者が「七高山阿闍梨」として、
護国を目的とする祈祷を行ったと考えられる。
山岳宗教における「三宮三院制」という近年の説にしたがえば、
山頂には上宮上院があり、
平成元年に253世山田恵諦天台座主より「覚心堂」の命名を戴き復興された。
下院である「発心堂」は255世渡辺恵進天台座主の命名によるもので
平成16年にダムで水没する2つの寺院を移築再建したものである。
伊吹山之神 白猪の由来
伊吹山神は、英雄日本武尊を退け、
死に至らしめた「荒ぶる神」として「古事記」に登場します。
日本武尊は、伊吹山の荒ぶる神の話を聞き、
これを鎮めるために、素手で伊吹山に向かいました。
そして、伊吹山の山中で「神の化身」白猪と出会いました。
しかし日本武尊は、神の使いと見誤り、
悔った日本武尊は、挑戦的な言葉を吐きました。
怒った伊吹山の神は、氷雨を降らせて日本武尊を打ち惑わせてしまいます。
ほうほうの体で、山を降りた日本武尊は、山麓の冷水で覚醒するものの、
伊勢へ向かう途中ついになくなってしまいました。
日本武尊神話は、奈良の都の人々がいかに
伊吹山を畏れ敬っていたのかを物語っているのです。
日本書紀では、大蛇が神の化身です。
猪は、多産、豊穣の象徴であり、大蛇は水神。
水を司り、豊穣を呼ぶ一つの動物が伊吹山の神の化身である事は、
この山の神が水の神として信仰されてきたことを見事に物語っています。
弥勒堂
伊吹山山岳信仰の中心的な施設で、
18世紀前半の絵図にもここを目指して登拝する修行の人々が描かれています。
かつて、ここに多くの石塔・石仏が祀られていました。
現在、伊夫岐神社(米原市伊吹)の対岸の秋葉さんに移されている弥勒の石仏は、
もともとここに祀られていたものです。
山麓上野地区の雨乞いでは、弥勒堂の前の窪地で松明を焚く「千束焚」をおこない、
雷踊りを踊って降雨を祈りました。
雨乞い唄では、山頂を「弥勒の庭」と唄っています。
南弥勒堂と日本武尊石像
明治45年に、尾張国御嶽照王教会員の方々によって
日本武尊の石仏一体と、弥勒仏の石像とこれを安置する石室が建設され、
大正元年11月21日に開眼供養が行われました。
日本武尊石像は岐阜県関ヶ原町の石清の一大プロジェクトだったのです。
また、大正9年には4合目の高屋に日本武尊遭難の地の祠と木像が安置されました
伊吹山頂上 標高1,377m
1.お互いに手を取り合って秩序を守り
楽しい登山をつづけましょう1.お互いに自然のめぐみに心をよせて
花と緑をそだてましょう1.お互いに霊峰伊吹の山に精進し
みんなの幸せをきずきましょう
伊吹山(1377m)山頂
一等三角点
下山開始、再び二合目登山道より
天気も少しずつ回復してきました。
下山時にはすごい数の登山客をすれ違いました。
登山口よりさらに先に進ん所にあるために
見落としてしまいがちな「ケカチの水」
ケカチの水
神の坐す伊吹山は、江戸時代までその神の力を得るための山岳修行の山でした。
山頂から湧き出る「ケカチの水」で身を清めた行者たちは、
山中のの行場を巡って、山頂の弥勒堂を目指しました。
その修行のひとつに「悔過の行」があります。
仏の前でこれまでの罪過を悔い改め、心身ともに清浄の境地になって
天下泰平・五穀豊穣などを祈願するものです。
かつてこのあたりに「お池さん」と呼ばれる泉があり、
ケカチの名の由来は「悔過の池」からきているようです。
またこの水は、ヤマトタケルノミコトが熱を冷ました
「命の水」とも伝えられています。