伊勢国一宮 都波岐奈加等神社(つばきなかと)・三重県鈴鹿市一ノ宮町




伊勢国一宮 都波岐奈加等神社(つばきなかと)・三重県鈴鹿市一ノ宮町

都波岐神社・奈加等神社 – Wikipedia

伊勢国にある一宮2社の一つ、三重県鈴鹿市に鎮座する

都波岐奈加等神社(つばきじんじゃ)へ参拝しました。

雄略天皇の二十三年三月(5世紀末)に

都波岐神社と奈加等神社を造営したのが始まりと伝えられて、

明治時代に都波岐神社と奈加等神社を合併され都波岐奈加等神社とも称される。

御祭神は都波岐神社には伊勢の地主神 猿田彦大神を、

奈加等神社には、 天椹野命中筒之男命を祀る。

平和之碑

境内横の社務所に数台の駐車場

もう一つの一宮、椿大神社(つばきおおかみやしろ)に比べ

住宅地にあり小さな印象の神社です。

一の鳥居

鳥居の前には、都波岐神社と奈加等神社の社号標

忠魂碑

手水舎

本社奉賛の手続き等について

都波岐奈加等神社

(本社は通称、都波岐奈加等神社と呼習わしていますが、二社が相殿の神社で主な祭神は次の通りである。)

本殿

都波岐神社】 猿田彦大神
奈加等神社】  天椹野命・中筒之男命

境内社

小川薬王子社】(本殿前左右の社)
天宇受賣命・大穴牟遅神・少毘古名神・宇迦之御魂命・品陀和気命・鷹司房輔公・菅原神・須佐之男命・大山津見神
神明春日社
天照大御神・天児屋神

由緒

都波岐奈加等神社は、延喜式内で小社ではあるが、伊勢国一の宮である。創立は、雄略天皇の二十三年三月で、猿田彦大神八世の孫、伊勢国造高雄柬命(たかおわけのみこと)が勅を奉じて伊勢国河曲県中跡里(現鈴鹿市一ノ宮町)に二社を造営し、その一社を「都波岐神社」、また他の一社を「奈加等神社」と称したのが始まりである。社殿は、一つで二社が相殿の神社である。
創立の際、天椹野命(あまのくぬのみこと)十五世の孫中跡直山部広幡が宣旨を受け初代の祭主を務め、その子孫が代々神主を継承し、当代で第五十八代である。
平安時代の初めの淳和天皇の天長年間には、弘法大師が本社に参篭し、獅子頭二口を奉納したと伝えている。平安時代を通じて歴代天皇の崇敬が厚く度々神階を進められたが、特に白河天皇は承暦三年当二社に対して正一位を授けられ宸筆の勅額を賜った。
本社は、中世に入り更に大きな発展を示した。花園天皇の正和年中に、摂政冬平公の執奏により「神伝記」を天覧に供し、嘉慶年中には、室町幕府の征夷大将軍足利義満が、富士登山の帰途本社に参拝し、幣帛を供え社領を寄進したので多くの武士が参詣したと伝えている。
また、本社の神宮寺が存在していたことも、当寺所蔵の鰐口が奈良市富屋中町の霊山寺に伝えられていることからも知られる。その銘に、「応永十三年伊勢国河曲庄中跡神宮寺、大工藤政吉」ときざまれている。
永禄年中、織田信長は伊勢平定の軍を進め、近くの神戸・高岡の二城を攻略した。その際、本社は兵火にかかり社殿が焼かれた。その時、本社に伝わる白河帝の勅額以下の文書・記録の類が多く焼亡したが、幸いにも獅子頭は他所へ移し難を免れることができた。奇しき謂れのある獅子頭は、本社の大切な宝物として今日に伝えられている。
因みに、往事には、閏年の祈年祭に、獅子頭を出して祭式を行い各地を舞い歩くことを例としていた。
社殿は、江戸時代に入り、寛永年中に、神戸城主一柳監物によって再建された。そして、江戸時代末期には、熊本県阿蘇神社・茨城県鹿島神宮と同じ、摂政家である鷹司家の執奏社として大宮司職が置かれ、大きな勢力を有した。
平成九年三月二十四日早暁、明治九年の建立になる木造・瓦葺の拝殿・祝詞殿が不審火によって焼失したが、その後、氏子の計らいによって、新拝殿が翌年に再建された。

境内

二の鳥居

拝殿

平成9年3月24日早暁、拝殿・祝詞殿が不審火によって焼失しました。

その後、翌年に鉄筋コンクリート造りの新拝殿が再建されという。

そのためか辺りに大木がなく、コンクリート造りと相まり淋しい感もある。

中戸流舞神楽の由来

鈴鹿市は獅子舞が古くから各地で隆盛をきわめ互いにその伝統を競い合つてきました。伊勢地方では昔「四山の獅子」と呼び、四つの流派元がすべて鈴鹿市内にありました。その一つが本杜の中戸流舞神楽でその起源は古く、特に本杜では信長の兵火を免れた謂のある獅子頭を擁し、広く各地に出向いて近郷近在に「中戸の獅子舞」としてその存在を知られてきました。
また四日市々高角町.鈴鹿市玉垣町・同白子寺家町などの各地に中戸流舞神楽が伝えられておりました。ところが残念なことに昭和二十九年を最後として行なわれなくなっていたところ中戸流舞神楽の伝統が絶えることを惜しんだ当神社の氏子達は、昭和五十六年に復活をくわだて保存会を結成して練習に励み同年秋の例大祭に盛大に舞神楽の奉納がおこなわれました。
その舞方は雌雄二頭の獅子による舞で、四方拝・飛の尾・起し舞・扇の舞.花起し・花の舞の順が基本となっています。
往時にならって毎年秋の例大祭には、由緒深い優雅な舞神楽が披露され大祭に一段と花を添えることとなり多くの参拝者で賑っております。尚、社頭での舞が終りますと氏子の家の門舞が続いておこなわれることになっており、夕闇の中で見事な舞神楽が演ぜられ見る人々を楽しませています。

社殿

本殿と神明春日社(左)

猿田彦大神の石碑

往古より、猿田彦大神の御神徳を慕い遠く北海道・東北・関東・東海・近幾.中国.四国など広く全国各地から崇敬を受け今日に及んでいます。

猿田彦大神の威徳と御霊験
猿田彦大神は古くから方位・道祖の大神として、また、衡の神として尊び敬われてきました。即ち、方向、方針、月的などを指示し給う霊験あらたかな大神でありますので、今日では家屋の新築・移住・転居・旅行.結婚・開店などの場合に人々の方災解除を祈願するのであります。県内は申す迄もなく広く県外からの方災解除の御祈祷の依頼に応じ本社の神札を初め、清めの砂「鎮め物の御幣」等を授与致しております。その他に、病気平癒・家内安全・商売繁昌・交通安全・学業及び合格祈願等、開運や諸願成就に霊験あらたかであることが知られています。昨今は全国各地から一ノ宮巡拝の人々が跡を絶つことなく本杜に参拝致されますが、本杜では、崇敬者の人々の「方除」「地祭」を初め「厄除」「家内安全」などの祈祷の申し出に応じております。

御朱印

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