養老山地 全山縦走




養老山地 全山縦走

養老山地 最南部の多度山〜最高峰の笙ヶ岳まで

主要な山を縦走して来ました

登頂した山は「多度山・美濃松山・石津御嶽・石津山・恋姫山・鎌知土・桜番所(飯盛)・

志津山・養老山・小倉山・三方山・北尾根P826峰・笙ヶ岳」の全13座

色々あり後半バテて北部の小ピークは省きました

スタートは多度大社前駐車場(平日無料 土日祝¥200-)より

下山後は養老鉄道 養老駅から多度駅まで電車移動(¥470-)し多度大社へ

多度山(たどやま)

標高 402.9m 登山日 2019年4月2日
多度大社の御神体山
所在地 三重県桑名市多度町柚井

 美濃松山(みのまつやま)

標高 612.74m 登山日 2020年4月2日
養老鉄道 岐阜県内で最南端に位置する駅名でもある
所在地  岐阜県海津市南濃町吉田

石津御嶽(いしずおんたけ)

標高 629.05m 登山日 2019年4月2日
石津御嶽神社が鎮座
所在地 岐阜県海津市南濃町太田

 石津山(いしずやま)

標高 665m 登山日 2020年4月2日
石津御嶽神社 奧ノ院が鎮座
所在地  岐阜県海津市南濃町太田

恋姫山(こいひめやま)

標高 694.06m 登山日 2019年4月2日
榑沢池(樽沢池)から少し先のピーク
所在地 三重県いなべ市北勢町南中津原

 鎌知土(田代越)

標高 639.52m 登山日 2020年4月2日
養老山地の田代越え
所在地  岐阜県海津市南濃町駒野奥条入会地

桜番所(飯盛)

標高 568m 登山日 2019年4月2日
入林者を取り締まるための番所跡
所在地 三重県いなべ市北勢町小原一色

志津山(しずやま)

標高 732.02m 登山日 2020年4月2日
山頂北の川原越には東海自然歩道が通る
所在地  岐阜県海津市南濃町津屋

 養老山(ようろうさん)

標高 858.90m 登山日 2020年4月2日
山麓には孝子伝説で有名な養老の滝
所在地  岐阜県大垣市上石津町前ケ瀬

小倉山(おぐらやま)

標高 841m 登山日 2019年4月2日
山頂に園地がある展望の良い山
所在地 岐阜県大垣市上石津町上原

 三方山(さんぽうやま)

標高 730m 登山日 2020年4月2日
養老山への登山道「三方山ルート」途中のピーク
所在地  岐阜県養老郡養老町小倉

北尾根P826峰

標高 826m 登山日 2019年4月2日
笹原峠と旧牧場(アセビ平)間のピーク
所在地 岐阜県養老郡養老町小倉

笙ヶ岳(しょうがたけ)

標高 908.33m 登山日 2020年4月2日
養老山地の最高峰
所在地  岐阜県大垣市上石津町一之瀬

難易度 ★★    オススメ ★★ 登山口(ナビ検索) 多度大社前駐車場
多度大社駐車場(05:53)→多度大社(06:02)→健脚コース登山口(06:10)→多度山(06:44)→多度山中道分岐(07:01)→多度峡分岐(07:06)→多度峡近道(黒石尾根)分岐(07:14)→美濃松山 三等三角点「多度」(07:28)→ハンググライダー発射場(07:48)→石津御嶽 四等三角点「杉生平」(07:58)→石津山(08:11)→恋姫山(08:37)→田代越(08:55)→鎌知土(08:59)→田代池神社(09:05)→桜番所(09:28)→小原越(09:47)→奥谷三角点(10:16)→二之瀬越(10:34)→庭田山頂公園(10:39~10:43)→二之瀬越(10:45)→水場(11:09)→祖古谷四等三角点(11:48)→志津山(12:13)→川原越(12:25)→川原越 東屋(12:28)→津屋避難小屋(13:12)→多芸ノ台(13:27)→養老山(13:58~14:00)→小倉山(14:13~14:18)→笹原峠(14:25)→三方山(14:30)→笹原峠(14:37)→旧牧場(アセビ平)(15:10)→もみじ峠(15:14)→笙ヶ岳(15:54)→もみじ峠(16:59)→栗の木平(17:27)→滝上駐車場(17:53)→養老ノ滝(18:07~18:10)→養老神社(18:18)→養老駅(18:41)→養老鉄道 多度駅(19:26)→多度大社駐車場(19:48) 所要時間 13時間30分  累積標高 2976m / 2975m 距離 46.0m
■笙ヶ岳は岐阜県養老郡上石津町の山で、養老山地中の最高峰である。東側の濃尾平野から望んでもあまり目立たないが、北西の不破郡関ガ原町や西の上石津町から見ると立派な山容を呈する。近年、山頂に四等三角点が設置された。
山名の由来は『濃陽志略』によると「膽吹(伊吹)山と相対し風声笙の如し」とあるが、どうも当て字に後から意味づけをしたようである。東側の山麓には、孝子泉伝説で名高い「養老ノ滝」があり、四季を問わず観光客で賑わっている。

登山道は、この養老ノ滝の北側にある林道を登る。もみじ峠を通り、大洞谷の源流部の谷を遡った後、対岸に渡って大洞谷右岸の山腹を巻くようにして西進する。地図では小尾根を越えて西から巻き込むような登山道があるが、この小尾根の手前の浅い谷をつめて東から登頂する。駐車場から約2時間30分の距離。

■養老山は岐阜県南西部、愛知県や滋賀県の県境近くにある山。山麓には孝子伝説で有名な養老の滝があり、春の桜、秋の紅葉で賑わうが、養老山への登山となると静かな山旅が楽しめる。
■多度山は三重県桑名市にある山で、岐阜県との県境にも近い。山麓には5世紀後半に建立された多度神社があり、多度祭の上げ馬神事と流鏑馬神事は有名。
山頂までは車道が伸びている。
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多度大社 第一駐車場より

多度大社は神体山 多度山(403m)の南麓に鎮座

古く「伊勢にまいらば多度をもかけよお多度まいらにや片まいり」と俗謡にあるように、

伊勢神宮に対して北伊勢大神宮と古くから尊崇されていたそうです。

高名な多度祭の上げ馬神事、流鏑馬の神事は

南北朝時代の暦応年間に始まったと伝えられています。

多度大社

御祭神
本宮 多度神杜 天津彦根命
(天照大御神の御子神)
別宮 一目連神社 天目一箇命
(天津彦根命の御子神)
例祭日 5月4日(前日祭)5日(本祭)

当社の歴史は古く、太古は標高403メートルの多度山全体を神体山として仰いでいましたが、五世紀の後半、雄略天皇の御代になって御社殿がはじめて現在のところに建てられました。
奈良時代末期には満願禅師が多度神の託宣を受け、天平宝字7年(763)に我国で三番目に古い神宮寺が建立され、後に国分寺に準ずる扱いをうけ、寺院70房・僧侶300余輩を数える大寺院となりました。
当社は『延喜式』巻九神名帳に桑名郡十五座のうち「多度神社名神大」とみえ、いわゆる延喜式内名神大社であり、後一条天皇の御代には東海道六社のうちの一社にも数えられました。また、南北朝時代の暦応年間には多度祭の上げ馬・流鏑馬の神事も始まったと伝えられ、御神徳はいよいよ広大無辺となり、皇室からも度々幣帛が献られています。
本宮『多度神社』の御祭神「天津彦根命」は、天照大御神と須佐之男命との御誓約による五男三女の御子神の第三皇子です。御祭神の関係から「北伊勢大神宮」と称され、「お伊勢まいらばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」とも謡われていて、庶民の伊勢参宮の折には当社へも必ず参拝したことがうかがわれます。『新撰姓氏録』に「桑名首、天津彦根の男、天久之比乃命の後なり」とあるように、北伊勢地方を支配した豪族が氏神としてお祀りした神様で、産業開発、商工業繁栄の神と仰がれています。
別宮『一目連神社』の御祭神「天目一箇命」は『古語拾遺』により伊勢忌部氏の祖神であることが知られ、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった際に刀、斧を作り活躍された神様で、日本金属工業(製鉄・金作り)の守護神です。さらに両宮親子の神々力を協せて雨や風を支配され、生きとし生けるものの命の源となる農業・水産を守護し、諸難を滅し、諸願を成就される神様です。又、一目連神社の神殿が御扉を設けない珍しい造りになっているのは当社の故実の上で見逃せない一例です。
明治6年には県社、大正4年には国幣大社という高い社格が授けられ、御社頭も益々栄え近年では健康で幸せな日々をお守り下さるとの信仰があり、近畿東海はもとより、東京、大阪方面からも多数参拝があります。
私たち日本人は、おまつりをとおして無意識のうちに神と人との接点を見出し、「神人一体」となって和み楽しみ、そこに神恩感謝の誠と確かな祈りを捧げるのです。
歳旦祭(元旦)、
「一年の計は元旦にあり」と、言われるように新しい年の新しい朝にまず大神様にお祭りをお仕えし、迎春を寿ぎ、清々しい気持で今年一年幸多かれと祈ります。
折年祭(2月7日)
「年」とはお米のことで、おまつりをする事によりほどほどに恵みの雨風をいただき、種々の災禍を免れ、豊かな収穫の秋を迎えられる様に祈る大変重要なおまつりです。
多度祭り(5月4日・5日)当杜の例祭神事で氏子の中より神占いによって選ばれた少年騎手六人が、武者姿にて3m余りの絶壁を人馬一体となって駆け上る古式上げ馬神事が、とり行なわれます。5日(本祭)には、早朝御本殿大前にて祭典が厳粛に斎行され勇壮な上げ馬の後、古代絵巻さながらの神輿の渡御があり、御旅所の馬場では、流鏑馬神事も行なわれます。
多度祭では古くから農作の時期や豊凶が占われてきましたが、近年は景気の好不況等が占われ、又、勇牡な神事にあやかって、商売繁昌、杜運隆昌、学力向上等を願う人々も参拝されます。
夏祭り(7月下旬)
ちょうちんまつりとも言われ、多度の夏の風物詩となっています。境内を隈なく照らす数千灯のちょうちんは我々を神秘的な幻想の世界へと誘います。千々の願いを御灯明に託し、心願成就を祈りましょう。又、境内ではさまざまな催物がとり行なわれます。
ふいご祭り(11月8日)
古くより鍛冶・鉄工業には「鞴」は欠くことのできない道具として使われ、年に一度感謝の意を込めてふいごを清め、縁の深い大神様に家業繁栄、作業安全をお祈りします。
流鏑馬祭り(11月23日)
上げ馬神平と並んで馬に関わる躍動的なおまつりで、古式に法り馬上の射手が三ヶ処の的を矢継早に射抜く妙技に人知れず感動の拍手が沸き起こります。
新嘗祭(11月23日)
祈年祭、例祭と共に三大祭の一つに数えられ、春に豊作を祈願して農作業に励み、実りの秋を迎え、新穀の初穂をまず大神様にお召上りいただく感謝のおまつりです。
芭蕉の句碑
芭蕉が貞享元年、当社へ参拝の折に詠んだ『宮人よ我が名を散らせ落葉川』と云う句が記されています。
第一・第二神楽殿・社務所
この御殿は神様にお神楽、舞楽をお仕えする為に建てられています。皆様の御祈祷や、結婚式などの儀式もここで厳粛にとり行なわれます。
一拳社
御祭神は一言主神と申し上げ、一言で願いをお聞き届け下さる神様です。
御社の傍らには年中清水が湧き出ていて、この神水で身体の一部を洗うと病気が治るといわれ、特に眼病に効験があると伝えられています。
美御前社
この御社は、市杵島姫命と申し上げる美しい姫神様をお祀りし、本宮・天津彦根命の御妹神です。古くから耳・鼻・口の病・帯下の煩い(婦人病〕の治癒を祈る人々の信仰があり、丹塗の御殿の前には病気平癒を願って、穴のあいた石がたくさん奉納されています。
宝物殿
奈良時代の多度神宮寺伽藍縁起並資財帳一巻・平安時代の銅鏡三十面・金銅五鈷鈴一口(重要文化財〕その他、数多くの宝物が展示収蔵されています。
新宮社
階段を昇った正面に位置するお社で多度両宮の幸魂をお祀りしています。11月1日の発向祭には神事のあと餅まきが行なわれています。
神馬舎
当社の大神様は特に馬との御縁故が深く、社頭では人気者の神馬が毎日元気に大神様にお仕えしています。
社宝
神宮寺伽藍縁起並資財帳一巻 延暦7年(788〕(重要文化財〉
多度神宮寺の僧が、当時の役所に提出した文書で、由来・建物、宝物、所領等の財産を記したものです。奈良時代からの神仏習合のきざしを示す重要な史料で、写経体の書風で記されています。
金銅五鈷鈴 平安時代後期(重要文化財〉
密教法具の一つで、平安時代の五鈷鈴としては多度神宮寺跡から日本で初めて発見されました。鍍金も清淡で典雅、且つ重厚な感じを保つ逸品です。
銅鏡三十面平安時代後期(重要文化財〉
明和7年(1770)七月、この地方一帯を襲った集中豪雨の際、山崩れにより多度山中の経塚跡から鉄弓・古鈴(平安時代)と共に出土したもので、いずれも精妙な花鳥の文様が刻まれています。
白馬伝説
多度山は昔から神が在わします山と信じられ、人々は、農耕に恵みの雨を乞い出生に安産を祈るというように、日々の暮らしの平穏や家族のしあわせを祈り続けてきました。その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが、ここ多度大社に1500年前から棲むといわれる白馬なのです。
古来より神は馬に乗って降臨するといわれるように、神と馬との関係は深く、馬の行動を神意の現われと判断することから、多度大社でもその年の豊作、凶作を占う「上げ馬神事」を毎年五月四日・五日の多度祭〈三重県無形民俗文化財〉で行っています。
かつて、多度山の小高い丘の上には、遠くに広がる街並を見はるかせ、人々の折節の喜怒哀楽を静かに見つめている白馬の姿がとらえられたと聞きます。天翔る馬には翼を与えられたように、その姿を変えて神の懐へと走り去ると、人々の幸せや出会い、喜びを乗せて、再びこの地へ舞降りてくると語り伝えもれているのです。

本殿 (左)本宮 多度神社・(右)別宮一目連神社

多度大社 本宮・別宮 社殿裏に滝や岩が祀られていてとても良い雰囲気

多度観音堂

多度大社を後にして多度観音堂横より

登山口の愛宕神社まで舗装路を行きます

桑名市指定文化財 多度観音堂
千手観音菩薩立像  
十一面観音菩薩立像

観音堂
明治にいたるまでたびたびの洪水にあい、もとの御堂の
位置は確かではありませんが、明治三十四年の本堂再建以
来現在の場所になりました。その後、本堂が古くなったた
め、各地の信仰者の寄附をもって昭和三十八年に改築され
現在にいたっています。

千手観音菩薩立像
像高一一八・八cmの一木造 。腰部に十分な量感を持ち薄い布をき
らびやかに表現しています。このような表現や技法から製作年代は
平安時代前期 と考えられます。仏師や依頼主は不明ですが、多度神
宮寺にかかわりのある仏像と考えられます。また、四日市市善教寺
阿弥陀如来立像 胎内文書の内、藤原實重 (ふじわらさねしげ)筆「
作善日記 (さぜんにっき)」(鎌倉時代 )記載の多度千手堂千手観
音菩薩像が、この像にあたる可能性は考慮すべきものでしょう。

十一面観音菩薩立像
像高一一一・六cmの寄木造 で玉眼を嵌入しています。衣文(えも
ん)は複雑にひるがえり、それ自体が模様のようになっています。
この処理方法から南北朝時代 前後の製作と考えられます。この像の
伝来も不明ですが、多度神宮寺 に関係があると考えられます。

二体の仏像は傷みが激しく、修理の手が入っていますが
流行にあわせた化粧直しがおこなわれていることなどから
大切に守られきた仏像であることが伺われます。
これらの仏像を研究することによって多度神宮寺の歴史
もしだいに明らかにされていくでしょう。

桑名市教育委員会

登山口の愛宕神社へ移動

多度神宮寺の再興のため、時の桑名藩主が江戸初期に京都愛宕社の御霊を受け、

多度権現(大社)第四別宮として寄進、以前は中腹に祀られていたそうです

多度山ハイキングコース案内版

桑名市のH.Pによるとバリエーション豊かな全8コースが選定されています

トレランやヒルクライムも盛んに行われています。

多度中宮 愛宕神社

多度中宮 愛宕神社

御祭神

火之迦具土神・火之弦毘古神・火之夜芸速男神 (火の神3柱)

大山津見神 (経営、戦勝、成功の神)

市杵島姫命 (国家守護、海の神)

山の神 (山の神 2柱)

火霊産神 (火の神別宮)

天神 (学問の神)

別宮 多度稲荷神社

倉稲魂命 (稲造・食物・商売繁昌の神)

由緒

多度神宮寺の再興のため、桑名藩主松平氏が、江戸初期(1616年)に、京都愛宕社の御霊を受け、 多度権現(大社)第四別宮として代々寄進された。

多度山中腹に位置し、伊勢平野と伊勢湾を望む。多度山は古代から、戦勝のろし場として火の神、 海交通の基点として海の神としても信仰された。

多度山散策道の道楽
多度大社から愛宕社までの散策道を、奏楽します。演奏しながら、猿や猪に出会うこともありますよ。

途中の展望地より南側の展望

濃尾平野と伊勢湾 木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)

愛宕神社跡

多度山上公園

高峯神社

御神木 多度の三本杉 案内

「剣を持って人を守る鞍馬の天狗

火を防いで人を守る秋葉の天狗

利を通して人を守る木曽の天狗

一株より三本を生じ天空に伸び繁るご神木です」

古戦場戦没者忠霊碑

多度山(402.79m) 二等三角点(柚井村)

多度山上公園

『相場振り跡、木曽三川の展望、内務大臣山縣有朋都庁の地』

標高403メートルの山上からは、木曽、長良、揖斐川と流域に整備された国営木曽三川公園、豊かな濃尾平野
遠くアルプスや木曽の山を一望できます。
また、明治時代に赤・白の旗を振って東西の米相場を知らせる「相場振り」が行われました。
園内にある高峯神社にはご神木の三本杉があり、商売繁盛・家内安全・進学祈願の神様です。

恵那山や御嶽山 名古屋方面も見えるようですが、

この日は黄砂の影響か霞んでいて残念でした。

よく踏まれいて歩きやすい尾根

椿の群生地

ほとんど散ってしまっていましたが

凄い数の群落の中を歩きます

美濃松山(612.74) 三等三角点(多度)

パラグライダー発射台より、霞む木曽三川

三笠山社

道は明確ですが、

複雑に林道が交差しているので要注意

石津御嶽(629.05) 四等三角点(杉生平)

石津御嶽神社

石津山(665m)

石津御嶽神社 奥ノ院

恋姫山(694.06m)

少し離れた所にある恋姫山は南部で最も高いピークです

三等三角点(田代)

鎌知土(田代越)(639.52 m) 四等三角点(鎌知土)

アセビ

桜番所(飯盛)(568m)

悟入谷国有林と桜番所(北田代番所)

『ここは約1200ヘクタールの国有林が県境養老山地に連なる悟入谷で桜番所跡です。明治維新、桑名藩有林が国有林となったもので付近にそびえるヒノキは明治40年頃植栽したものです。養老山地の県境沿いには古くから岐阜県側に通じる山道があり、桑名藩は(1710年~1868年)各要所に美濃からの入林者を取り締まるための番所を設けていたもので、往時はここ桜番所の外に八つの番所があったと伝えられています。

平成十年三月吉日 三重県森林管理署』

四等三角点(飯森)(582.86m)

特にルートにこだわりはありませんが

踏める三角点は通過していきました。

養老山地 北部の山々 まだまだ遠い

庭田山頂公園

庭田山頂公園

山頂からの眺めが素晴らしい、四季折々の自然に浸れる静かな公園です。

三重県と岐阜県の境にある標高450m、敷地面積約1.5haの公園で、遠くアルプスの山々を望むことができます。山頂駐車場までは、道路が結構狭い上にカーブが続くので、ゆっくり運転で行きましょう。市街から20分程ですが山奥に来たかのような、春には鳥の声や桜、さつきの花、夏には平野部より5~10℃涼しく、秋には紅葉が楽しめるという四季折々の自然が味わえる公園です。公園の一角からは、岐阜市西部の綺麗な夜景を眺めることができます。

この辺が養老山地の中間地点

標高も400m程度と最も低い

アナグマに遭遇

四等三角点(祖古谷)(577.48m)

志津山(732.02m) 三等三角点(田辺1)

津屋避難小屋(795m)

アセビの群生地

多芸ノ台(808m)

養老山(858.90m)

一等三角点(養老山)

木段の登り下りが続く

気持ちの良い稜線歩き

小倉山(841m)

山上園地 東屋がある展望地より

笙ヶ岳

笹峠と先端の三方山

三方山(730m)

北尾根P826峰にはケルン

目指す笙ヶ岳

アセビ平には なぜかテーブルと椅子 もみじ峠から笙ヶ岳へ

養老山地 最高峰 笙ヶ岳 (908.33m) 四等三角点(笙ヶ岳)

養老の滝

滝百選・名水百選
養老の滝

養老の滝は、「日本の滝百選」並びに環境庁の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水です。また、水がお酒になった親孝行の「養老孝子伝説」など故事来歴のある優れた霊水です。
奈良時代、元正天皇は「万病を癒す薬の水」との報告を受けられ、美濃の国多度山の美泉に行幸されました。
史書「続日本紀」に記述されている元正天皇のお言葉があります。
「自分で手や顔を洗ったら、皮膚はつるつると綺麗になり、痛むところも治った。また、この水を飲み、浴した人は、白髪も黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくくなった目も明るくなった。目出度いことです。この水は、真に老を養う若返りの水です。」
元正天皇は、「醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし。蓋し見ずの精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め、養老元年と為すべし。」と詔なさって、西暦717年に年号を「養老」と改めました。
名水百選「養老の滝・菊水泉」は、滝から約500m下の養老神社内にあります。今では、滝と泉が上と下に分かれていますが、もともとは滝の瀬として一つの流れでした。
養老山から流れ出る水は、石灰岩層を浸透してきたもので、炭酸分やミネラルを含み爽やかで甘美な水です。元正天皇がお言葉された「長寿、若返り、健康」の霊水でもあります。

養老鉄道 養老駅

養老鉄道 多度駅

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