横手 駒ケ嶽神社・山梨県北杜市白州町横手
山梨県北杜市(旧白州町)
山梨県と長野県の県境に聳える甲斐駒ヶ岳(2967m)の東麓に鎮座
山梨県側の甲斐駒ヶ岳への登山口(黒戸尾根)は
ここ横手と竹宇(ちくう)にあり、それぞれ登山口に駒ヶ嶽神社がある。
地元では横手駒ヶ嶽神社・竹宇駒ヶ嶽神社と区別されている。
駒ヶ嶽神社
■鎮座地: 北巨摩郡白州町横手三四四九―二
■所属支部: 峡北支部
■御祭神: 大己貴命
■例祭日: 四月二十日
■宮司名: 今橋武(宮司代務者)
■境内地: 二〇〇坪
■氏子戸数: 崇敬者数一五、〇〇〇余人
創立年月は詳らかでないが、雄略天皇二年六月出雲大社より遷祀されたと伝へられてゐる。当神社は駒岳山頂本社及前宮(社務所々在地)より成り隔絶型神社として両部神道の遺風を残してゐる。安政年間神祇官領家より駒嶽神社の額字を賜り前宮鳥居に掲げあり、又一月十四日夜半より筒粥神事を奉修その年の晴雨豊凶を卜す。平成五年に頂上本社、平成七年に前宮の本社を建て替へてゐる。(前宮 白州町横手三八〇四―二) 山梨県神社庁H.Pより
手水舎
駒ヶ嶽神社 由緒
駒ヶ嶽神社
鎮座地
本社 横手字駒ケ嶽四三四九番の二(駒ケ岳山頂)
前宮 横手字宮沢三八〇四番の二(当所)
祭神
大己貴命(大国主命) 少彦名命
祭日 四月二十日
特殊行事
一、筒粥の神事 一月十四日
二、開山式 七月一日 夏山開きの祭典
三、閉山式 十月一日 夏山じまいの祭典
四、大祓 十二月二十五日
五、霊神祭 三月社日
御由緒
神の代に建御名方命この地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿に うたれ、「この山はいと高く清々しき地なり、かれここにあが御親 の神を祭るべし」と云うに始まる。雄略天皇の御代二年六月に改めて 雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝えられている。祭神は国家鎮護、五穀守護の神大己貴命(大国主命)にして造化の 神天之御中主神、高皇産霊神、少彦名命、素盞鳴命、保食之神等 の諸神を合祀している。駒ケ嶽は甲信に誇る高山であり、懸崖数千 丈の絶壁にして、上古より神仙の集る霊山として知られ白鳳二年役の 行者小角が当山にて仙術を修め、富士山とともに当山の開闢とも伝え れている。往古新羅三郎義光はこの神に祈願して子を授かり、 その子孫が武運に勝れ繁栄するよう、山頂の巨石に延久主義光の 五字がかすかに残っていたと社伝に伝えられている。釜無川等四川が 駒ケ嶽に源を発し、その下流一帯には牧場があり馬の産地であった 当山の源流には神馬の精が宿っているといわれ、この水により育った馬 の中から多くの名馬がうまれたと云われる。厩戸皇子の御愛馬は この渓流によって神馬と云われ、郡名も本山より巨摩郡と称すと 云う。また広大な山中には珠玉、薬草を産し沢山の人がその恩恵 に浴している。牧場からの貢馬は神前にて安全を祈願し、山中から採 集された薬を共に朝廷に献上され、大同年間畏こくも天皇の病を癒 し奉ったと伝えれられている。文化十三年六月、信濃国の延命行者(小尾 権三郎)は入山禁止の駒ケ嶽に特に許されて入山し、幾多の苦難を克 服し嶮岨なこの山に始めて登山の途を開かれた。世に駒ケ嶽開山として 尊敬せられ神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。以来駒ケ嶽教(神仏習合)として発展し広く県の内外に多くの講社が結成され 境内及び御嶽には神々の石碑が奉納され文政六年元三大師を勧請 の砌り東叡山の宮様より慈恵大師尊形を御下賜になり、同年 神祇管領卜部朝臣長卿より巨摩嶽神社の軸物を賜わった。 また神祇管領家より駒ケ嶽神社の額字を賜わり、刻して前宮の鳥居に掲げ ている。昭和五十五年、代太神楽が白州町無形文化財に指定された。
神楽殿
拝殿
本殿
刀利天狗 (猿田彦大神)
駒嶽大権現 (大己貴命)
七丈嶽子安大明神
駒嶽馬頭観世音
威力大聖不動明王(御開山)
霊神碑
境内
お話を伺った所、山頂手前の白い社が横手駒ヶ岳神社の本社
元々はここだけだったが 色々あり分家したそうです
山頂 本社
御朱印