富貴野山 宝蔵院(富貴野山21世紀の森)・静岡県賀茂郡松崎町門野
富貴野山 宝蔵院
富貴野山宝蔵院は800年(延暦19年)弘法大師開基の古刹
伊豆での修行中の弘法大師が森の中で六条の光を放つ六本の巨木を見つけました。
大師はこれを六道衆生の苦しみを救済する地蔵菩薩に縁のあるものだと考え、
ここを富貴野山地蔵金剛法蔵密院と名づけたと伝わります。
参道の中央に苔むした200体を数える石仏が立ち並びます。
境内には「21世紀の森」と名付けられた遊歩道が整備されており、
自然と一体になれるような造りとなっている
富貴野山稲荷
富貴野山稲荷
この稲荷には、白山大権現が祭られている2月の初めての牛の日には初牛まつりが行われた
富貴野山21世紀の森 森林浴の森林(瞑想の森)ルートマップ
富貴野山21世紀の森 森林浴の森林(瞑想の森)ルートマップ
この瞑想の森は日本で初めてできたものです。心の不安や心配を取りのぞこうと、インドのヨーガや中国の気功法をあわせ計画しました。天城山の清浄な空気を体いっぱいに吸い込み、あなたの感覚器にわだかまる汚れをぬぐいさりましょう。すると風の音はさわやかに、木の香りはすがすがしく、あなたの心が大自然と融けあってゆくでしょう。明日への活力を養いましょう。 設計デザイン責任 菅原篤(神奈川県歯科大学教授)
宝蔵院石仏群
宝蔵院石仏群(江戸時代)
約120体もの石仏には弘法大師像・お地蔵さん・観音さまなどさまざま。信仰あつい村人たちが一体づつ背負って運び上げた
庫裡
富貴野山 宝蔵院(ふきのさんほうぞういん)
宗 派 曹洞宗
御本尊 延命地蔵菩薩
創 建 800(延暦19)年
住 所 静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里
礼 所 伊豆88遍路 81番札所
由 緒
800(延暦19)年に、27歳であった弘法大師が伊豆で修行中に仁科を訪れた際、森の中で六条の光を放つ六本の巨木を見つけた。大師はこれを六道衆生の苦しみを救済する地蔵菩薩に縁のあるものだと考え、ここを富貴野山地蔵金剛法蔵密院と名づけた。後に57歳となった830(天長7)年に再びこの地を訪れ、庵を修復し、お堂を建て、密法修行の地とした。
開口堂
この建物には富貴野山宝蔵院を開いた弘法大師が祭られています
富貴野山宝蔵院略縁起
富貴野山宝蔵院略縁起
そもそも当山は、弘法大師開闢の霊地にして秘法修禅の道場なり、往昔桓武天皇の御宇延暦19年大師御年27歳の時、諸国を遍歴し求法練行の砌り伊豆国に巡錫し仁科の庄に来たり、巽位の連山中翁うつたる森林より一條の白気油
然と立昇るを望み、是必らず諸仏遊化の霊地ならんと蒙耳を啓き籐累を攀じ、寺見坂に登り山上を仰ぎ望み玉へば、山容虎の伏す如く渓勢龍の蟠るに似て、中腹に欝茂する深林は恰も八業の蓮華の如く神気身に迫る、則ち当路の大石、座禅石に座禅して諸仏の愛・を念じ、書写し玉う梵網経一巻を空中に投じ玉へば、不思議なる哉金色の文字虚空に顕れ、微雲経巻を包みて、森林の中に飛び入りぬ、大師大いに喜びを越へて密林に至れば、晝尚暗き樹陰に光を放ちて
経巻の掛かれる認め、即ち跪坐三拝し玉へば、経巻自から手中に落つ、大師感喜斜ならず是宝に諸佛有縁の地なりと草庵を結び、求聞持の法を修し降魔折伏の神咒を誦して結界し玉へば、天魔群妖大に恐れて退散し、感徳は却て禽猿親み馴れて果実を供するに至る。或夜大師妙典を読誦して森林中六箇の光明ありて庵を照しぬれば奇異の思いを為し、立出見たまふに、六本の巨木より六條の光輝き、是れ蓋し六道衆生の重苦を救済引導し玉ふ地蔵菩薩有縁の霊地なるを示現し玉へるなりと霊木を以って六体の地蔵菩薩の尊像を刻み安置し奉り、山を富貴野山と號し室を地蔵金剛宝蔵密院と稱する。
富貴野山御詠歌「迷いぬる六道衆生を救くはんと 貴き山に 法の聲々」
後々明神の示現ありて佛法守護を誓はれければ、富貴谷稲荷明神を勧請して永く山門の守護と崇め、入唐の御志あれば後に機縁を契りて下山歸落し玉いぬ、其後延暦23年御歳31歳の時勅命を以て渡海入唐し青龍寺恵果和尚に金胎両部秘法を授け、人皇51代平城天皇の御宇大同元年歸朝せられ宣下を以て真言宗旨を流布、大いに密教を興隆せらる、斯くて人皇53代淳和天皇の御宇天長7年御歳57歳の時再び登山し庵室を修め堂塔を建て永く密法修行の道場となり玉う、時に国中大いに旱して民大いに苦むを見玉い、金光明最勝玉経の四雷電の神號を書写し、鐡頭岩上に趺坐し37日間南方神泉に龍王を勧請し金剛加持水をそそぎ請雨に法並びに地蔵金剛秘密護摩の法を修せらければ八つの龍
頭ヶ峰に上りて験を示し結願の朝濛雲俄に起り雷鳴天地を震動し大雨沛然として降り人畜皆生し蘇果穀豊じゅくし国民慈澤に感泣し、亦旱魃の憂いなきに至る、後四雷電の神號及び唐土請来の宝器加持の御手判等悉く岩仲阿闍梨に相傳して一山を附属して下山歸洛し、程なく紀州高野山に退隠し玉う。岩仲阿闍梨は、実に当山の初代にして大に秘教を興隆して匕堂伽藍を建て法燈を輝かせしが、文明年間に至り24世梅翁和尚示寂の後、傳燈の密香殆んど絶へ大いに頽破に及ぶ同国堂山4世清安禅師霊山の荒廃を嘆き、文亀年中遂に入山再興して曹洞宗に改め寺を宝蔵禅院と稱し、禅法修行の法窟となし不動阿字の本体たる延命地蔵菩薩の尊像を剛み大師直作の地蔵尊一体を胎内に収めて本尊となし玉う、今の御本尊即ち是なり、余の地蔵尊5体を奥の院と請じ奉り更に遍照殿を興して大師の尊像を奉安し天翁和尚に付法相傳以来大師の奇瑞加持の秘法等今日に至るまで相承して勤修怠る事なし、神泉請雨の奇瑞乳なき産婦が大師の加持米に依りて乳汁出る等は霊験の顕著なること世人の周く知る處なり、故に一度当山に詣で信葵を捧げ専念に所願を祈るときには、地蔵菩薩の大悲願力と大師の加持力に依りて現世安穏福寿増長衆病悉除萬難潜消の利益を蒙らんこと疑なきものなり。弘法大師御直筆の四雷電神・梵網経及び御所持の笈物その他唐土請来の霊宝並びに曽我兄弟の遺書辞世等の珍品現に収めて宝庫に蔵す、聊か略縁起を記して十方の前年善女に告ぐ・・穴賢毎年3月25日より同四日御本尊祭典雨天順延、講中及び信者各々請願成就祈祷会大施餓鬼会修行毎年7月23日同4日弘法大師宝干祭典宝施。
平成13年7月 三嶋活版印刷参・ 上 市川五郎
弘法杉
弘法杉
(高さ30m・周囲6,5m)
この大杉の樹令は400年で宝蔵院の開山 弘法大師の徳をしのび、昔から「弘法杉」と呼ばれた。根元に有る2基の宝篋印塔はお経をおさめた石塔で曽我兄弟にちなんだものと伝えられている。
瞑想の森入苑の心得
伊豆・松崎町の「富貴野山21世紀の森」は、緑の中で人間が回復できる時間を過ごすように創られた森。「野鳥の森林」など8つのゾーンから成り、中でも「瞑想の森」は樹木の根元で座禅を組んだり、森の中でヨガや気功に挑戦したりできる場所として、日本初の試みがなされています。
歴代住職の墓
丸型の墓は歴代住職のもので、28世善応和尚、昭和48年没まで埋葬されている。また、角形の墓は寺属 妻子のもので明治以降のもの
富貴野・長九郎遊歩道
富貴野山宝蔵院から長九郎山までの登山道が整備されています。