阿知ヶ谷アルプス・白岩寺山(160m) 地蔵山(184m) 金谷沢山(170m) 八幡山(159m)




阿知ヶ谷アルプス・白岩寺山(160m) 地蔵山(184m) 金谷沢山(170m) 八幡山(159m)

静岡県島田市の「阿知ヶ谷アルプス」へ

黄檗宗 都智山 白岩寺の上にある白岩寺山「白岩寺公園」(160m)から

八幡山(211m)まで続くハイキングコースが整備されています。

白岩寺山(はくがんじやま)

標高 160m 登山日 2020年7月30日
阿知ヶ谷アルプス
所在地 静岡県島田市阿知ヶ谷

地蔵山(じぞうやま)

標高 184m 登山日 2020年7月30日
阿知ヶ谷アルプス
所在地 静岡県島田市阿知ヶ谷

金谷沢山(かなやさわやま)

標高 170m 登山日 2020年7月30日
阿知ヶ谷アルプス
所在地 静岡県島田市阿知ヶ谷

八幡山(はちまんやま)

標高 159m 登山日 2020年7月30日
阿知ヶ谷アルプス
所在地 静岡県島田市阿知ヶ谷

難易度 ★     オススメ  登山口(ナビ検索) 白岩寺公園駐車場
白岩寺公園駐車場(09:07)→白岩寺山(09:23)→地蔵山(09:29)→金谷沢山(09:38)→八幡山(09:52)→八幡パノラマ台(09:57)→四等三角点 波田(175.14m)(10:26)→白岩寺公園駐車場(12:50) 所要時間 3時間44分 累積標高 451m / 453m 距離 12.4m

はなみずき通り登山口より

島田市のご当地アルプス「阿知ヶ谷アルプス」へ

黄檗宗 都智山 白岩寺

黄檗宗 都智山 白岩寺

今も残る 円山応挙作と云われる幽霊の掛け軸

白岩寺は、隠元禅師を宗祖とする黄檗宗の末寺で、山号は都智山。隠元禅師の法統を継ぐ宝山最頂禅師が、当時の島田代官長谷川藤兵衛と小塩孫十郎真之の助力により寺は建立されました。

白岩寺の寺号は以前、島田北部の伊太村白岩に朽ちかけた禅寺があり、その堂の再興を意味することと、地名をとって白岩寺と名付けられました。

正徳4年の火災で伽藍が焼失し、彦根城主井伊候の寄進により間もなく再建されました。

境内地にある地蔵堂の本尊地蔵菩薩は慈覚大師の作と言われ、井伊候の婦人 栄香院殿が寄附されたものです。また、堂内には千体地蔵菩薩、弘法大師の木像などが安置されています。

白岩寺の秘蔵に、円山応挙の筆と云われる、乱れ髪の湖畔に立つ幽霊の掛け軸があります。

この掛け軸は画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起るため、転々と人から人に譲り渡され、最後に白岩寺に納められることとなりました。

西国三十三ヶ所のお地蔵様

白岩寺からハイキングコースを登り「愛宕大権現」へ

白岩寺山(160m)

白岩寺山「白岩寺公園」山頂は常連さんで賑わう

島田市街と大井川の奥に牧之原台地

手前は大津谷川、奥に富士山静岡空港が見えます

はっきりしない天気が続きます

曇りの予報でしたが、しっかり降り始めてきました

地蔵山(184m)

金谷沢山(170m)

八幡富士展望台より

八幡山(211m)

阿知ヶ谷アルプスはここまでですが、もう少し奥まで歩いてみます

四等三角点(175.1m) 波田

無名山ピークを経て林道 大草線

この辺の地名にもなっている「天台宗 東光寺」へ

天台宗 池沢山 東光寺

天台宗 池沢山 東光寺

慈覚大師が開いたといわれる天台宗の古刹

東光寺は、山号を池沢山といい、千手観音を本尊とする天台宗の古刹です。

寺の伝えによると、天長7(830)年に慈覚大師が開いたといわれています。

寺に残る多数の中世文書の中には、室町幕府 足利尊氏から発給された禁制があり、当時の東光寺の格式や地域での勢力を物語る資料とされています。

また、今川家七代の帰依が厚く、今川範氏、範政、氏親、義元などが寺領安堵等をして庇護し、後に、武田、徳川に領収されますが名刹として今に至っています。

【日吉神社の猿舞】

東光寺には古くから猿舞と呼ばれる奉納舞が残っています。猿舞は毎年4月14日に東光寺の伽藍神である日吉神社の祭典の際、二人の子どもが猿の面をつけて舞うものです。

舞は二人の舞人と九人の楽人とで行われます。音曲、舞とも優美でいわゆる田遊びのような土着的色彩はなく、古式典雅なものです。祭りの神事の後、東光寺本堂前の広場を特設の舞台とし、約15分にわたって奉納されます。

猿舞は昭和52(1977 )年12月20日、県指定無形民俗文化財になりました。

「千葉山 尾川丁仏参道口」へ

ここから千葉山智満寺までの旧参道沿いに

約100mごとに33対の石仏が立っています。

静岡県道217号(伊久美元島田線)から

大津谷川沿いを白岩寺公園駐車場まで

日蓮宗 智運山 法信寺

日蓮宗 智運山 法信寺

開 山  延文元年(1356)
開山上人 智圓房日祐上人 貞治元年(1362)一月十一日没
開基檀越 九島兵庫頭一族 大津庄司九島佐久馬尉良詔入道
應安六年(1373)十月十三日没
法名…法信寺殿日敬大居士

法信寺の裏手に連なる山に沿って南北数kmにわたり、数多くの古墳跡が確認されています。太古の昔より、近隣には村落が形成され多くの人々が生活していたのでしょう。
時は下り、日蓮大聖人の立教開宗よりさらに100年余り経た南北朝時代、当山の開山上人である智圓房日祐上人は各地遊化の後、晩年当地に留まり、大津庄司九島佐久馬尉良詔入道の外護を受けて当寺を建立します。
その後についての記録などはなく、お寺の過去帳により歴代上人が分かるのみであります。
江戸時代最後の年号である慶応元年(1865)、第51世智法院日芳上人の時に間口6間・奥行5間半の現在の本堂が建立され、明治43年(1910)に本堂の屋根を修繕し茅葺きから瓦葺きとし現在に至っています。大正5年(1916)に間口2間半・奥行2間半の位牌堂を新築、さらには昭和30年(1955)に山門を建立し伽藍が整えられました。 法信寺H.Pより

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