忍野八海「世界遺産」・山梨県南都留郡忍野村




忍野八海「世界遺産」・山梨県南都留郡忍野村

富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として

世界文化遺産に指定されている忍野八海(山梨県 忍野村)

「出口池」「お釜池」「底抜池」「銚子池」「湧池」「濁池」「鏡池」「菖蒲池」

富士山麓の伏流水が湧き出る8つの池の総称

富士山の雪溶け水が、約80年の歳月をかけて忍野八海の湧水となっており、

全国名水百選・新富岳百景・国の天然記念物にも指定されています。

現在、忍野村があるところは、その昔は 宇津湖という湖でした。

延暦(西暦800年~802年)の富士山大噴火のときに流れた溶岩流によって、

宇津湖は山中湖と忍野湖に分かれました。

忍野湖はその後、川の浸食や掘削排水のために枯れてしまい、

現在の忍野八海 へと姿を変えたそうです。

富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓い

この湧水を「清浄な霊水」と呼んだといいます。

それぞれの池には竜王が祀られています。

世界文化遺産「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」

人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として恐れ敬うとともに、美しく雄大な富士山を詩歌や絵画に描いてきました。このような「信仰の対象」と「芸術の源泉」としての文化的価値を持つ富士山は、全人類共通の保護すべき宝として、2013年6月26日、世界遺産に登録されました。

世界遺産として登録された範囲は、山そのものだけではありません。信仰や芸術と関係する山麓の神社や湖・湧水地・滝・松原などの全25か所も含めて世界遺産なのです。 世界遺産に登録された一つの理由として、富士山信仰にまつわる富士吉田市の文化的背景が深く関係しています。

富士講と忍野八海 

古来、富士山では、山頂・山域への登拝(富士山の火口部を目指し、山麓の浅間神社から金剛杖を突いて一歩一歩登る行為)及び山域・山麓への巡礼を通じて、神仏の霊力を獲得し、擬死再生を求める富士山信仰の独特の文化的伝統が育まれました。特に、江戸時代には富士講という富士山を信仰の対象とした民間信仰が隆盛しました。富士講の信者は八つの池沼において禊を行いました。「忍野八海」も禊を行った池沼であり「富士山根元八湖」と呼ばれていました。

天保14(1843)年、富士講の一つである大我講等(市川大門村(*現在の山梨県市川三郷町)の大寄友右衛門が中心)が禊池(行場)として八つの池に雨や水を司る神である八大竜王を配祀し、再興したのを契機に「富士山根元八湖」が近隣諸国に知られ隆盛しました。しかし、明治(1868)以降、富士講は衰退の一途をたどり近年は禊を行う者は皆無となりました。

平成25(2013)年6月に富士山が世界文化遺産に登録され、その構成資産(富士山の価値を構成する文化財資産)として「忍野八海」の一つひとつの池が記載されています。

また「忍野八海」は昭和9(1934)年に国指定天然記念物に指定され、昭和60(1985)年には「日本の名水百選」にも選定されています。

元八海再興図

富士講と元八湖の再興(忍草元八湖霊場)

忍野元八湖は古くから富士御手洗元八湖として、富士修験の霊場でした。 富士講の信者は、富士登拝に先立ち、8つの湖沼群において水行を行ったとされ、それぞれ「富士外八湖」、「内八湖」、「富士山根元八湖」として記録に残っています。 八つの池(現在の忍野八海)は、「富士山根元八湖霊場」と名付けられ、略して、「元八湖霊場」と言われるようになったとされています。 天保14年(1843年)に富士講の一つである大我講の禊ぎの池として再興されたのを契機として、忍野八海が関東一円の富士講の中で広く知られるようになりました。 明治元年(1868年)に成立した明治政府の廃仏毀釈によって富士信仰は衰退し、忍野八海における水行も徐々に行われなくなり、第二次世界大戦後には禊ぎを行う行者姿はほとんど見られなくなりました。 昭和40年(1965年)頃から忍野八海の観光が注目されはじめ、昭和60年(1985年)に「全国名水百選」に選ばれたことにより、一層知名度が高まったため観光地化が進み、現在に至っています。

中池

中池は「忍野八海」ではなく人工池ですが

池の周りにお土産屋や食事処が集中しているため、

一番にぎやかで中心的な場所となっています。

「忍野八海」は神聖なもので「池」と呼ばず「海」と付けられたといいます。

「忍野八海」は占星術により「出口池」を北極星として、

そのほかの池を北斗七星の形に見立てられました。

それぞれの池には「八大竜王」が祀られています。

各池にはその竜王が住んでいるといわれ、

池のそばにある石碑には、和歌とともに竜王の名前が刻まれています。

菖蒲池

八番霊場『祭神:優鉢羅竜王(ウハツラリュウオウ)』

富士山世界文化遺産構成資産20番

忍野八海 菖蒲池(しょうぶいけ)
キショウブが自生しており、初夏には美しい花を咲かせ、石碑越えに見える霊峰富士の美しい景色を見ることができます。
細長い形の池で、菖蒲が周辺に繁り、香りが立ちこめていたとさえ言われていたそうです。
和歌 「あやめ草 名におふ池ハ くもりなき さつきの鏡 みるここちせり」

鏡池

七番霊場『祭神:摩那斯竜王(マナシリリュウオウ)』

富士山世界文化遺産構成資産19番

忍野八海 鏡池(かがみいけ)
富士山の姿が鏡のように映るので鏡池と呼ばれており、古くは鰶池(このしろいけ)とも呼ばれていたそうです。
この池にはすべての事の善悪を見分けるという伝説があるそうです。
和歌もあります。
「そこすみて のどけき池ハ これぞこの しろたへの雪の しづくなるらん」

濁池

六番霊場『祭神:阿那婆達多竜王(アナバダッタリュウオウ)』

富士山世界文化遺産構成資産18番

忍野八海 濁池(にごりいけ)
湧池に隣接し、阿原川に注いでいる景観は美しいです。
みすぼらしい行者が一杯の水を求めたが断られ、池の水が濁ってしまったという伝説があるそうでう。
水が濁っている箇所がありますが、全体的に清く澄んでいて、もともとは村人の飲料水となる澄んだ水を湛えていたといわれているそうです。
和歌 「ひれふらす 龍の都のあらましき くみてしれとや にごる池水」

五番霊場『祭神:徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)』
富士山世界文化遺産 構成資産17
忍野八海 湧池(わくいけ)
忍野八海を代表する池で、珪藻土からなる水中洞窟からの湧水量は豊富でセキショウモを揺らしています。昭和58年(1983)この池の水がNASAのスペースシャトルチャレンジャー号に搭載され、宇宙で人工雪を作る実験に使用されました。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)により湧出したという伝説があります

和歌 「いまもなほ わく池水に 守神の すへ(ゑ)の世かけて かわ(は)らぬぞしる」

湧池

四番霊場『祭神:和脩吉竜王(わしゅきつりゅうおう)』
富士山世界文化遺産 構成資産16
忍野八海 銚子池
祝言の日、この池に銚子を持ったまま身を投げた花嫁の伝説と、かつては銚子の形に似ていたことが池名の由来となっています。池の底から砂を巻き上げて水が湧いているのがよく見えます。また、縁結びの池とも呼ばれています

和歌 「くめばこそ 銚子の池の さわぐらん もとより水に なみのある川」

銚子池

底抜池

三番霊場『祭神:娑加羅竜王(シャガラリュウオウ)』

富士山世界文化遺産構成資産15番

忍野八海 底抜池(そこなしいけ)
八海の中では一番昔の風景を保っており、お釜池と底抜池は地底で水脈がつながっているといわれているそうです。
洗い物がたびたび行方不明になるという伝説から「この池で洗い物をすることは神様の怒りにふれることになる」といって恐れられたそうです。

和歌 「くむからに つみはきえなん 御ほとけの ちかひぞふかき そこぬけの池」

二番霊場『祭神:跋難陀竜王(うぱなんだりゅうおう)』

富士山世界文化遺産 構成資産14

忍野八海 お釜池(おかまいけ)
忍野八海の中で最も小さな池です。釜の中で熱洲が沸騰するように湧水していたことから、この名が付けられたといわれています。水量は豊富で、バイカモが掲れ動く景色や水深の青さを観賞できます

和歌 「ふじの根の ふもとの原に わきいづる 水ぞこの世の おかまなりけり」

お釜池

出口池

一番霊場『祭神:難陀竜王(ナンダリュウオウ)』

富士山世界文化遺産構成資産13番

忍野八海 出口池(でぐちいけ)
忍野八海の中でこの池だけが離れた場所にあり、他の池が北斗七星を表すのに対し、北極星を意味しているとされており、溶岩塊の下より湧水があり桂川の水源の一つとなっているそうです。
忍草地域出口に位置することから名づけられたそうです。
和歌 「天つちの ひらけるときに うごきなき 御山の水の 出口と(た)ふとし」

阿原川と新名庄川に掛かる「はっかいばし」より

富士講の遺構

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