二本ヶ谷積石塚群・静岡県浜松市浜北区染地台
静岡県浜松市浜北区染地台、つみいしづか広場内にある「二本ヶ谷積石塚群」は、
古墳時代後期の5世紀後半から6世紀前半の、石で造られた古墳群です。
国内では土で造られた古墳が大半で、積石塚は非常に珍しく、
県内では、二本ヶ谷積石塚群が唯一の積石塚群です。
また、朝鮮半島の積石塚と構造が似ていたり、朝鮮半島に関係する遺物の出土例などから、
その一部は朝鮮半島から渡来してきた人々の墓ではないかと考えられています。
つみいしづか広場
「つみいしづか広場」は、5世紀後半頃に築かれた石積みの古墳
「二本ヶ谷積石塚郡」の一部を復元・展示してある広場です。
中心には調整池があり、古墳をとりまくように遊歩道が整備されています。
静岡県指定史跡
二本ヶ谷積石塚群
二本ヶ谷積石塚群は、5世紀後半から6世紀前半の、石で造られた古墳(積石塚)群です。 1954・1957・1995~97・2004年に発掘調査が行われています。 三方原台地の縁にある東西の二本の谷に分かれて分布しており、東谷支群で22基、西谷支群で6基が確認されています。ここ赤門川調整池区域内で、保存・公開しているのは、東谷支群の6基です。 日本国内では土で造られた古墳がほとんどで、積石塚は非常に珍しく、また分布にかたよりがあり、九州北部・四国東部・甲信地方・群馬県などで多く見られます。静岡県内では、二本ヶ谷積石塚群が唯一の積石塚群です。また、構造が朝鮮半島の積石塚と似ていたり、周辺から朝鮮半島に関係する遺物が出土したりする例などから、日本の積石塚の一部は渡来人の墓ではないかと考えられています。 二本ヶ谷積石塚群でも、朝鮮半島に関係する遺物こそみられませんが、石で古墳を造る点や、通常古墳が造られない谷に立地する点などの特徴は、そこに葬られた人々が渡来人であった可能性を示しているといえます。
墳丘の構造
墳丘は、径10~40cmの河原石を積み上げて造られています。形状が不明なものもありますが、その多くは方墳で、墳丘の裾の部分や埋葬施設の周りに大きめの石を何重か廻らせ、規模は一辺3~9m、墳丘高は推定で0.5~1m程度です。 埋葬施設はいずれも竪穴系で、地面を掘り込むものと、地面をそのまま床面にするものがあります。どの積石塚も残存状況が悪いため、上部の構造は不明ですが、発掘調査時の状況から推測すると、直接石で覆っていたのではないかと考えられます。
出土遺物
副葬品は、群の中で最大規模の東谷4号墳で、銅鏡、鉄剣、鉄刀、勾玉等が出土していますが、他は、鉄器・玉類・石製品がわずかに発見される程度で、まったく副葬品のない積石塚も珍しくありません。 また墳丘からは須恵器・土師器が出土していますが、総じて出土遺物は少ないといえます。
見学のご案内
現在見学できる積石塚は、調査記録をもとに再現したものであり、実際の積石塚は、造られた当時の姿がわかりやすいように、失われた部分を一部推定して復元しています。 出土品は、浜北文化センターの市民ミュージアム浜北で展示されています。
赤門川調整池
浜松市により平成17年度から進められてきた、「二本ヶ谷積石塚群」の保存と、
赤門川調整池周辺の散策路設置を兼ねた公園整備事業です。
平成20年8月2日「つみいしづか広場」として、一般公開されました。
緑が豊かな池の周囲を散策しながら、6基の再現された積石塚を見学することができます。
駐車場や公衆トイレなども備えています。
つみいしづか広場のご案内
二本ヶ谷積石塚群の概要
二本ヶ谷積石塚群は、5世紀後半から6世紀前半の、石で造られた古墳群です。 東西の二本の谷に分かれて分布しており東谷支群で22基、西谷支群で6基が確認されています。ここ赤門川調整池区域内で、一部を保存 し公開しているのは、東谷支群の6基です。 日本国内では土で造られた古墳がほとんどで、積石塚は非常に珍しく、また、地域で布にか たよりがあり、九州北部・西国東部・甲信地方・群馬県で多くみられます。静岡県内では、二本ヶ谷積石塚群が唯一の積石塚群です。また、朝鮮半島の積石塚と構造が似ていたり、朝鮮半島に関係する遺物の出土例などから、その一部は朝鮮半島から渡来してきた人々の墓ではないかと考えられています。 二本ヶ谷積石塚群でも、石で古墳を造る点や、通常古墳が造られない谷に立地する点などの特徴は、そこに葬られた人々が渡来人であった可能性を示しているといえます。
8号墳(東谷支群)
8号墳(東谷支群)
1954・1995・2004年に発掘調査が行われた積石塚です。残り具合が極めて悪く、墳丘や埋葬施設の形態は不明です。 墳丘からは、須恵器・土師器に加え、副葬品と考えられる勾玉・臼玉・石製紡錘車が出土しています。 築造年代は5世紀後半と考えられます。 この積石塚は、発掘調査で検出された状態を見学用に再現したもので、実際の積石塚は直下に保存されています。
13号墳(東谷支群)
13号墳(東谷支群)
1995・2004年に発掘調査が行われました。墳丘の残り具合が悪く、上部が失われていますが、推定規模5.3m×4.7mの方形の積石塚で、裾の部分には2~3重に石を廻らせています。 埋葬施設は、地面を掘り込み、その周囲に石を廻らせています。規模は全長2.21m、幅約0.6mを測ります。 副葬品は発見されませんでしたが、墳丘から須恵器や土師器が出土しています。築造年代は5世紀後半と考えられます。
14号墳(東谷支群)
14号墳(東谷支群)
1995・2004年に発掘調査が行われました。残り具合が極めて悪いため、墳丘の規模や形態は不明ですが、径6m程度の範囲に石が集中しています。 埋葬施設は、地面を掘り込み、その内部の側面に石を配しています。規模は全長2.23m、幅約0.3mを測ります。 副葬品は発見されませんでしたが、墳丘から須恵器や土師器が出土しています。築造年代は5世紀後半と考えられます。
16号墳(東谷支群)
16号墳(東谷支群)
1957年に墳丘の一部の発掘調査が行われた積石塚ですが、その後消滅したため詳細は不明です。当時の調査記録をもとに、墳丘の推定位置をブロックで表示しています。 墳丘や埋葬施設の形態は不明ですが、墳丘からは須恵器と土師器が出土しています。築造年代は5世紀後半と推定されます。
17号墳(東谷支群)
17号墳(東谷支群)
1957年に墳丘の一部の発掘調査が行われた積石塚ですが、その後消滅したため詳細は不明です。当時の調査記録をもとに、墳丘の推定位置をブロックで表示しています。 墳丘や埋葬施設の形態は不明ですが、墳丘からは土師器が出土しています。築造年代は5世紀後半と推定されます。
18号墳(東谷支群)
18号墳(東谷支群)
1957・1995・2004年に発掘調査が行われました。東谷支群の中では、現存する最も南の積石塚です。残り具合が悪いため、墳丘の形態や規模は不明ですが、径5.5m程度の範囲に石が集中しています。 埋葬施設は、地面を掘り込まずに、周囲に石を廻らせる構造で、規模は全長2.32m、幅約0.5mを測ります。 副葬品は発見されませんでしたが、墳丘から土師器が出土しています。築造年代は5世紀後半と推定されます。