関川神社(せきがわじんじゃ) 芭蕉句碑 愛知県豊川市赤坂町関川




関川神社(せきがわじんじゃ) 芭蕉句碑 愛知県豊川市赤坂町関川

関川神社 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/関川神社

旧東海道、赤坂宿の街道沿いに関川神社(せきがわじんじゃ)が鎮座します。

関川神社(せきがわじんじゃ)

愛知県豊川市赤坂町関川に建つ神社である。
祭神は市杵島媛命。

概要
長保3年(1001年)5月、赤坂の長者・宮道弥田次郎長富が
三河国司の大江定基の命を受け、
関川地内に立つ楠の脇に堂宇を建立したのが起源とされる。
当初は弁財天と称していたが、
明治時代初期に神仏分離の影響を受けて関川神社と改称した。
昭和28年(1953年)6月5日、宗教法人として登録を受けた。
氏子はおらず、神社の運営は関川区域の住民によって行われている。
祭礼は旧暦1月15日・16日であり、福引が行われていたが、
現在は太陽暦の1月15日・16日に改められ、余興は行われていない。
同じく赤坂町に位置する宮道天神社で例祭が行われる際には、
渡御する神輿の休憩所として境内が使用されてきた。
確認できる最古の棟札は文政12年(1829年)のものであり、
「再建之辨天拝殿一宇」の文字が見える。
他には、明治20年(1887年)のものがある。
境内には、大正7年(1918年)2月に建てられた常夜灯がある。

句碑

夏の月御油より出て赤坂や

旧碑には、年号が見あたらず、新碑には、明治26年(1893)とある。

芭蕉がこの地を最初に訪れたのは、寛文12年(1672)の夏、

郷里伊賀上野で主を失い、京都で修業後、

人生の再出発を図って江戸に出たときと言われている。

この時の句は不明だが、次いで、延宝4年(1676)の夏、

江戸から帰郷途中、東海道は三河の宿、御油、赤坂での吟が、

「夏の月御油より出て赤坂や」である。

境内は決して広くないが、遠くからでも分かる楠の存在感

関川神社の楠

種別  天然記念物
推定  昭和五十六年三月一日
所在  豊川市赤阪町関川一二
管理者 関川神社総代

由来及び沿革については不明であるが古老の説によると
木の根元からえぐれている部分は慶長十四年(一六〇九年)の
十王堂近所(宮路山登山口の東側)からの出火による火災で
約三十戸が焼失しており
その時に火の粉が飛び焼けたものであるといわれている。
この木は楠としては町内一の巨木で幹のまわりは
目の高さで約七、二九メートル高さ二五、七メートルあり
推定樹齢は約八〇〇年であるといわれています。
豊川市教育委員会

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