諏訪大社 上社 前宮・信濃國一之宮




諏訪大社 上社 前宮・信濃國一之宮

上社前宮 | 信濃國一之宮 諏訪大社 公式H.P
http://suwataisha.or.jp/honmiya018.html

諏訪大社の神体山、守屋山へ登り

麓の諏訪大社 上社 前宮(まえみや)へ

ここ前宮は、今は南東約2kmの地にある本宮が元々鎮座していた地で、

諏訪信仰の発祥地とも言われております。

守屋山登山口より、国道152号安国寺西交差点から直ぐ

鳥居前に駐車場があります。


荒玉社

駐車場内にある荒玉社

152号沿いの鳥居、

前宮は比較的空いている印象です。

諏訪大社上社前宮神殿跡

ここは、諏訪大社大祝の始祖と伝えられる有員が
はじめて大祝の職位について以来、同社大祝代々の居館であったところで、
神殿は神体と同視された大祝常住の殿舎の尊称である。
この神殿のあった地域を神原といい、代々の大祝職位式および
旧三月酉日の大御立座神事(酉の祭)をはじめ、
上社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われた。
境内には内御玉殿・十間廊・御宝社・若御子社・鶏冠社・
政所社・拍手社・溝上社・子安社等がある。
文明15(1483)年正月、大祝と諏訪惣領家の内訌による争いで
一時聖地が穢れたことはあったが、清地にかえし大祝の居館として
後世まで続いた。
後、この居館は他へ移ったが、祭儀は引き続いて神原に於いて行われてきた。
諏訪大社上社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡である。


溝神社

鳥居をくぐった直ぐ右手の大木の下にある溝神社

かなり目立たないので通り過ぎてしまう人がほとんどです。

溝神社

祭神は高志奴奈河比賣命といわれ御射山へ出発する際に
まず参詣された社であった。
水眼の清流をたたえた「みそぎ池」の中にあり、
西の方に「神の足跡石」があった。
この社は武田支配時代には山浦の南大塩郷によって造営奉仕がされていた。


手水舎

境内 案内板


社務所


十間廊

十間廊

古くは「神原廊」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、
すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。
毎年4月15日の「酉の祭」には鹿の頭七十五が供えられたが、
これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから
諏訪の七不思議の一つに数えられた。
上段に大祝の座、次に家老、奉行、五官の座があり、
下座に御頭郷役人などの座も定められ、
左手の「高神子屋」で演ぜられる舞を見ながら宴をはった。


内御玉殿

内御玉殿

諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である。
「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように
諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち
眞澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝は
まさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。
現在の社殿は昭和7年改築されたものであるが
以前の社殿は天正13年に造営された上社関係では最古の建造物であった。

小町屋の中小路

小町屋集落は前宮を中心として大まかに三本の道筋が通っている。
その真ん中を上がって行く道を中小路と呼んで、
戦前までは一般の人々の前宮本殿への参詣道路であった。
中世の古文書史料等から想定されるところではこの中小路の両側には、
水眼の清流を挟んで、前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する
家臣たちの屋敷地が立ち並んでいたと思われる。
また精進潔斎し、穢れをとって前宮の、神事や祭礼に奉仕する人たちの
精進小屋なども設けられたところで、景観は他大事に保存したい。


拝所

上社の神紋「諏訪梶の葉」

神紋は上社が四根の梶で下社は五根の梶。

上社前宮本殿

前宮とは上社本宮に対して、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。
前宮の祭神は、建御名方命と、その妃八坂刀売命と古くから信じられ、
ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。
古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。
四方には千数百年の歴史を有する御柱が7年毎に建てられ、
現在の拝殿は昭和7年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。

拝所の裏に本殿、圧倒的な存在感のご神木。

諏訪大社は「御柱(おんばしら)」で有名。

ご神域の四隅に、千数百年の歴史をもつ御柱が

数えで7年ごと(6年に1度)に建てられるのですが、

上社(前宮・本宮)下社(春宮・秋宮)の 4社に4本ずつ

計16本もの柱が建てられます。

大きな御柱は、長さが16.5メートル、重さが12~13トンにも及ぶそう。

この大きな御柱を、山から人の力のみで、急な坂から引き落としたり、

川を引き渡したりしながら、運びます。

20数キロそのような過程を経て運ばれてくるので、

御柱の裏側を見てみると、すり減っていることがわかります。

この行事が「御柱祭(みはしらさい)」または「おんばしら」とも呼ばれ、

お祭りを見るために数十万人の観衆が訪れます。

4社いずれも御柱を見ることはできますが、

4本すべての御柱を触れてまわれるのは、「上社の前宮」だけ。

御柱(おんばしら)

前宮一之御柱である長さ五尺五寸(約17米)
直径一・二米(目通り)の樅ノ木である。
御神穂の更新を祈る氏子の魂を結集した御柱である。
上社綱置場(御柱置場)より二十数キロの行程を数千人の氏子の奉仕により
曳行されるので裏側は擦り減っている。
茅葺の御宝殿と共に寅歳と申歳の七年目毎に
建て替えられる御神木で神域の四隅に建立される。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり。
次回の御柱大祭は平成三十四壬寅歳に行われる。


名水「水眼」の清流

名水「水眼」の清流

古くから「すいが」と呼ばれ、山中より湧出する清流は、
前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔からご神水として大切にされた。
中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、
前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されている。
この水眼の源流はこれより約1kmほど登った山中にあるが、
昭和5年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、
はじめて科学的調査がされ、
その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取りあげられている。

御朱印

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