信貴山 朝護孫子寺 信貴山真言宗総本山・奈良県生駒郡平群町
信貴山 朝護孫子寺公式H.P
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奈良県生駒郡平群町の朝護孫子寺へ
信貴山自体が一大宗教施設になっています。
信貴山
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと
河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。
太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、
必勝の秘法を授かりました。
その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。
太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、
信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。
以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。朝護孫子寺
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が
毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。
加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。
よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」
の勅号を賜ることとなりました。
また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
千体地蔵
千体地蔵
仁王門の近くに色鮮やかな前掛けをつけた千体地蔵が安置されています。
仁王門
仁王門
信貴山の山門である仁王門です。
宝暦10年(1760)に大阪宝栄講が再建、
明治14年(1881)に大修理、大正11年(1922)に成福院鈴木恵照師の代に
この場所に移転されました。
猪上神社
猪上神社
仁王門から本堂へ向かう、参道の右側に鎮座しています。
明治維新の神仏分離令により、大正11年(1992)現地に遷座しました。
天足彦命・国押人命(説に天照大神)が祀られています。
また、『阿婆縛抄』にも「命蓮上人が猪の助けをかりて再建した」と
記されているように、信貴山の総鎮守として、延喜式内に列した古社でもあります。
一の鳥居
開山堂 参道
鳥居を通過するとすぐ左側には開山堂への参道
開山堂
開山堂
享保17年(1722)建立。願主は河内国本堂村教心坊(盲人)他2名。
信貴山開祖 聖徳太子、宗祖 弘法大師、中興開山 命蓮上人 歓算上人、
四国八十八ヶ所ご本尊さまをお祀りしているお堂です。
八十八カ所各寺のお砂も敷いております。
お砂踏みめぐりをされ、心洗われる仏縁のひとときをお過ごしください。
開山堂の厄除ローソクは、白:息災(除災招福・当病平癒・交通安全等)、
黄:増益(開運招福・学業成就・商売繁盛等)、白+黄で「開運厄除け」になります。
剱鎧護法堂
鳥居近くの絵馬堂横から剱鎧護法堂へ
剱鎧護法堂
今から約1000年前、醍醐天皇が重い病にかかられた時、
命蓮上人が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願をされました。
数日後、加持満願の日、剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現されて、
霊感を授けられると忽ち天皇の病は癒され心安らかになられました。
そこで、この地に剱鎧護法を当病平癒の守り本尊として、祀られ日夜勤行されました。
以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として篤く信仰されています。
境内案内図
信貴山といえば「虎」
聖徳太子が寅の年の寅の日、寅の刻に現れた毘沙門天を感得し
祀ったことという言い伝えによります。
トラはこの寺の守護神でシンボル、境内の至る所でトラを見ることができます。
赤門
赤門
寛政5年(1793)7月に再建いたしました。
平成21年5月に塗り替えられ、美しい姿を現しています。
参道はここから二手に分かれる。
どちらへ行っても本堂へ行くことができます。
聖徳太子像
聖徳太子像
日本を代表する彫刻家、北村西望作の馬に乗る聖徳太子像です。
またこの近くには、日本最初多聞天出現霊地の石碑があります。
かやの木稲荷
かやの木稲荷
樹齢1500年の榧の木です。
蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、
一粒の榧の実が萌芽して以来、有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。
この御神木を敬い稲荷社を建立しました。
宝寿橋
宝寿橋
本坊から成福院へ行く手前にある橋です。
橋の下には池があり、たくさんの金魚が泳ぎ、
夏にはホタルが放たれます。
弁天堂
弁天堂
本坊に隣接し、弁財天が祀られているお堂です。
弁天堂 付近から赤門前の道と合流
銭亀堂
千手院
千手院
信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「千手院」。
銭亀堂、護摩の毘沙門天王、子安観音等が祀られています。
商売繁盛・家内安全の護摩の毘沙門さんとして親しまれ、あがめられています。
成福院
宝寿橋方面へ戻ってきました。
成福院へ、心配していた雨が降り出す
成福院
信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「成福院」。
如意融通尊、鎮宅霊符神、寅大師、三福神堂等が祀られています。
融通殿にお祀りしております融通さまは福徳・開運・金運・良縁等々
すべてのことを叶えてくださいます。
銅製の鳥居をくぐると本堂域へ
経蔵堂
経蔵堂
当山の経蔵堂は、中央に回転できる経厨子があり、
中に仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」を納めてあります。
その経厨子は、一回転させる毎に「一切経」を
すべて読誦したのと同じ功徳があると言われています。
霊宝館
霊宝館
国宝「信貴山縁起絵巻」、平群町指定文化財「菊水の旌旗」ほか、
朝護孫子寺の宝物を展示しております。
本堂
本堂
大般若祈祷が毎日行なわれている本堂は、
文禄年中(1592)豊臣秀吉により再建、
または慶長7年(1602)秀頼の再建とする説があり、定かではありません。
後に修復を加え、延享3年(1746)に完成しました。
舞台造りとなっており、そこからは大和平野が一望でき、素晴らしい眺めとなっています。
戒壇巡り
覚鑁上人が約800年の昔、当山において唯一納めたという如意宝珠がお祀りされています。
本堂階下の暗闇の中を進んでいただき仏像にお祈りし、
次に進んだところの錠前に触れてください。心願成就のご利益が大変あらたかです。
戒壇巡りは¥100-です。
本当に真っ暗な本堂地下を壁伝いに歩きます。
暗闇の中、精神が研ぎ澄まされ瞑想のような感覚
玉蔵院域、巨大なお地蔵様が見えます。
虚空蔵堂
虚空蔵堂
虚空蔵菩薩を安置しています。
虚空蔵菩薩は弘法大師・空海が青年時代に修行された
「虚空蔵求聞持法」の本尊で宇宙全体に満ちている
仏様の無量無尽の知恵や功徳を蔵する菩薩です。
特に「入試合格」「学業成就」に霊験顕たかな菩薩です。
鐘楼堂
鐘楼堂
建物は一丈四方に袴腰が付いています。
貞享4年(1687)再建されました。梵鐘銘に信貴四郎とあります。
南部遠明の家臣・田部井十郎が鋳造して奉納したとのことです。
多宝塔
多宝塔
祭壇に大日如来が祀られています。
坐像丈三尺、説に恵心僧都作とすることから、
古くは天台宗との関わりがうかがえます。
元禄2年(1689)に建立、明治15年(1882)に修復しました。
玉蔵院
信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「玉蔵院」。
浴油堂、玉蔵院融通堂、三重塔阿閦如来、日本一大地蔵等が祀られています。
その他、約250人までの宿泊ができる玉蔵院富貴閣や、茶室古厘庵があります。
行者堂
修験道の開祖とされる役行者ゆかりの霊場です。
神変大菩薩はは役行者の尊称として使われています。
信貴山城跡
信貴山城跡
標高437mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、
奈良県下最大規模を有する中世城郭です。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、
特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として
保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡です。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間篭城、
10月10日に落城。その後、廃城となりました。
空鉢護法堂 (一願成就)
空鉢護法堂 (一願成就)
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)の如く、
空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して
福徳を授けたという出来事に由来します。
山頂に竜王の祠を建てて以来、多くの参詣者から、
「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されております。
山道は険しいものの、途中に信貴城址と行者の篭堂、星祭り本尊があり、
また、空鉢護法堂(空鉢堂)からの眺めはたいへん素晴らしいものです。
御朱印