三方ヶ原古戦場跡(みかたがはらこせんじょうあと)
三方ヶ原古戦場碑/浜松市 H.P
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/tanbo/201512.html
浜松三方原墓園、駐車場の一画に「三方ヶ原古戦場跡」の石碑が立つ。
三方原墓園には日本庭園・多目的広場・芝生広場があり
お墓参りでなくても散策が出来る。
三方ヶ原古戦場跡
上洛を目指した武田信玄は元亀3年(1572)10月3日に
2万5000の軍勢を率いて甲府を出発、同年12月22日には浜松城の北側に広がる
三方原に進出してきた。
徳川家康は家臣の反対を押し切って1万1000(徳川軍8000と織田信長の援軍3000)
の軍勢を率いて浜松城を出発、武田信玄の軍に迫った。
徳川軍はいつでの攻撃出来るような鶴翼の形をとり、
家康の陣形の確認した武田信玄は魚鱗の陣形をとった。
戦いは日暮れに近いころ、ここ三方原の根洗付近で開始されたが、
徳川軍は武田軍の前に惨敗、総崩れとなって浜松城に退却した。
この戦いで敗れた家康は多くの教訓を得た。
「浜松市史」ではこれをつぎのように記している。
「この敗戦によって弾力のある積極性の重要さを身をもって体験した。
また、野戦のかけひき、短時間で勝敗を決するという哲学を学びとったのである。
家康が野戦の名将となったのは、三方原の敗戦によってえた経験が大きく作用している。」
戦いがあった場所ついては、三方原台地であるということ意外、
詳しいことはわかっていないそうだが、
1984(昭和59)年、その歴史を長く伝えようと有志の手により、
三方原の一角であるこの地に碑が建立された。