丹野城跡・御堂山(363m)・愛知県蒲郡市
丹野城跡 – 愛知県蒲郡市公式H.P
http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/bun-c-97.html
丹野城跡は文明元年(1469年)、三河守護・細川成之の被官
萩原芳信が敵を防ぐために全福寺の僧徒を動員して築城した山城。
文明2年(1470年)の丹野城の戦いで牧野氏の攻撃を受け、わずか1年で荒廃しました。
城が築かれた御堂山(みどうやま)は標高364m。
現在も一部に堀跡らしい地形が残っています。
頂上からは三河湾の眺望を楽しむことができます。
御堂山 登山口
丹野城跡
蒲郡市相楽町
築城
萩原左衛門芳信丹野城は文明年間(1469-1486)に萩原芳信が
一時の敵を防ぐため全福寺の僧徒を動員して構築した山城と伝えられている。
標高363.3mの御堂山山頂に 築かれた山城であり腰郭や堀切などの遺構が残る
御堂山山頂 丹野城の本丸(主郭)跡
わずか1年、敵兵に山を囲まれた芳信は自ら手勢を率いて城を打って出た、
御堂山合戦という短命の城跡。
八海山御神
登山口からは舗装路と階段の山道が続く
随所に石仏が立ち並ぶ
不動明王
白山御神
最後の頂上手前の石仏
石仏の横に祠
御堂山(363m)頂上
頂上の周りには堀切などの遺構がみられる。
丹野城跡
市指定史跡
歴史
1469年御堂山〔標高364m、比高250m〕山頂に
三河守護細川成之の被官萩原左衛門芳信が全福寺の僧徒を動員して築いた城とされる。
萩原氏は藤原鎌足の血筋で筑後国春日山城主であったと云う。
1467~1477年「応仁、文明の乱」時代、この地に落ち延び、
丹野・山神・大塚・赤根を領して丹野城を築いたと云う。
1470年「丹野城の戦い」で牧野氏の攻撃を受け、全福寺と共に荒廃した。
芳信は敵軍襲来の報で備後林〔御津町大字赤根〕へ落ち延びたところ、
部下の反逆に会い、馬上で自刃した。
現在、山頂に石碑が立ち、曲輪、堀切が残る。