愛宕神社(愛宕山 178m)井代古城跡・新城市井代星越




愛宕神社(愛宕山 178m)井代古城跡・新城市井代星越

愛宕神社は新城市の北東

湯谷温泉の南、国道152号「別所街道」沿い愛知県新城市井代に鎮座

愛宕山は井代古城址でもあり、

井代集落の東北(鬼門)である山頂の手前には愛宕神社が祀られています。

境内からは井代の町並み、新城市の山々が眺望できます。

湯谷温泉、湯谷大橋より望む愛宕山

国道152号「別所街道」

愛宕山縁起

愛宕山縁起

当地井代は大宝年中(七〇一~七〇三)に開村、その後長年中(八二四~八三三)当村城主佐竹右近大将が八幡神社を勧請し、この愛宕山頂へも同年中愛宕神社を建立したものと伝えられています。その後天安中(八五七~八五九)に竹田式武将監が、この地に築城したといわれています。
この山頂にある愛宕神社は火伏の神 火産雷神が祭られており、又この奥には金比羅大権現の社もあります。その後幾度か改築されましたが現社は天正三年(一五七五)再建され修繕を重ねて来ましたが、平成六年にここに再び改築しました。愛宕神社は災難防除、家運隆昌の神社として村の安全と繁栄を願って建立されたもので、現在でも村中はもちらん村外からも多数の人々の信仰の対象となっています。 平成六年十二月吉日 井代区・鳳来町

井代古城跡(愛宕山)

井代古城跡(愛宕山)

この山は愛宕山と呼ばれ天安年中(八五七~八五九)に竹田式武将監という人物が、この付近を支配し、この山に城を築いたといわれている。その後、戦国時代になった永正年中(一五〇四~一五二一)に、三河の三大豪族であった山家三方衆に一人、田峯城主菅沼定広に五男菅沼定仙が、この井代付近を領有し、この城に在城したといわれているが、城は山城程度のもので、居館は山の麓の平坦地の字大貝津地区にあったと思われる。井代部落に東北に当たり(鬼門)山頂には愛宕神社がある。井代区

愛宕神社

井代地区は大宝年中(701~703)に開村、

その後長年中(824~833)城主佐竹右近大将が八幡神社を勧請し、

この愛宕山頂へも愛宕神社を建立したものと伝えられています。

その後天安中(857~859)に竹田式武将監が、

この地に井代城を築城したといわれていますが遺構などは残っていません。

愛宕神社は火伏の神「火産雷神」が祭られており、

奥には金比羅大権現の社もあります。

金比羅社

金毘羅大権現の社から北の尾根はヤセ尾根の岩稜帯となる

愛宕山(178m)

愛宕山 (178m) 山頂付近より、鳳来寺山・宇連山

境内より井代の町並

手前に中久津山・天神山、遠くに常寒山・船着山の展望

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