足切観音堂(あしきりかんのんどう)
遠州・浜名湖魅力発信サイト
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井伊谷城跡から二宮神社と歩き足切観音堂(あしきりかんのんどう) へ
国道257号線から少し入った所にあります。
それまでとその後の記事はこちら
足切観音堂 (あしきりかんのんどう) #足切観音堂 #おんな城主直虎 #井伊谷城跡 pic.twitter.com/fuxk9tzJPT
— Yosi (@LelilasYosi) November 12, 2016
257線側から、地蔵菩薩でしょうか?
左が観音堂、二宮神社は右建物の脇を行く
お地蔵様がお出迎え
足切観世音の由来
慈は心も遠江、井伊谷の里の円通寺、本尊足切観音・・・
と念仏和讃で有名なこの寺の菩薩は弘法大師の御作で、
南北朝の争乱に二宮宗良親王の御信仰せられた霊仏であります。時は延元4年(1339年)この辺りは井伊道政を擁し、南北両軍攻防の鎬をけづっておりました。
そんなある日、宗良親王は戦乱に中、敵の流れ矢を受け落馬しました。
馳せ付けた従者がお介抱を申し上げたところ。魔か不思議や傷は消え跡もありませんでした。親王はその夜、観音さまの夢を見たので是は日頃正しく信心する観世音の効力によるものとして、
翌朝起きると早速参拝し、厨子の扉を開けて見れるならば、
どうしたことか観音さまの片足は鮮血に染まり痛々しいお姿でしたので、
是は私の身代わりとなって立っておられると、
涙を流し益々の信仰を高め終生の守り本尊として祈願なされたと伝わります。この御持仏堂を護持するために、草創されたのが二宮円通寺なのであります。
-追記-
宗良親王の去られた後、この二宮御所跡には城主井伊直宗公の御舎弟直満らの舘が設けられておりましたが、
直満公の不慮の失陥後は堂を残し荒廃し、武田軍の侵攻による戦火で本尊を残し焼失してしまいました。龍潭寺十代独兒黙念(どくじもくねん)和尚は之を興し、
慶安2年(1649年)観音堂を再建し中興の祖とされております。円通寺は昭和31年(1956年)、住職不在の為、隣の明円寺と合併し晋光寺となりました。
毎年10月18日を開帳縁日とし、遠近より善男女の参詣で賑わっております。平成元年(1989年)11月吉日 歴史と文化を守る会 引佐支部有志一同案内板より
平成29年 大河ドラマ「おんな城主 直虎」
井伊直虎 ゆかりの地の のぼりが立つがまだまだ整備されていない様子
素朴だが趣があります。
足切観音は非公開。