寺野六所神社(てらのろくしょじんじゃ)
引佐町情報・いなさサイトより
https://inasa.site/a/0308000440-六所神社-渋川
引佐町渋川にある寺野六所神社へ
ここ寺野六所神社には井伊直親(亀之丞)が、
井伊谷に帰還する道筋で、寄進したと伝わる「青葉の笛」が所蔵されている。
六所神社
14等級 無資格
鎮座地 浜松市北区引佐町渋川823番地
ご祭神 天照皇大神・須佐男之命・八刀賣之命
表筒男之命・中筒男之命・底筒男之命
天之子屋根命・建御名方之命・建御賀豆智命由緒 往古建立の時代詳かでないが文献棟札等により天慶年間と云う。
(1060~1070)
後承久年間に至りこの土地は三河国及び信濃国に通ずる要衝にして、
寺野村と称し氏神を中心とし七十四戸となり農耕を業す。
生活民度相当に高く其証據には住宅建坪大きく又抹茶を挽く
茶臼昔は各戸に在りえを使い茶の湯を嗜好したり又刀剣類の保存しあ るは、
其開拓の先哲が想當の由緒ある一族と思われる。
其後建武中興の時代に至り、領主たりし伊井遠江守道政、
井伊谷城に宗良親王を迎へ奉り官軍に従テ王事に盡す。
宗良親王に於かれては常に信濃の国の同志義運に連絡を計り賜り、
信濃へ御越し遊被る為屢々當地を御通過の砌り当六所神社に参籠遊せ
三七、二十一日の御祈願遊され武運長久、王政復古を願掛けられた り、其の満願の当日に神社へ寶物として横笛一本を寄進せられたり。
此を青葉の笛と称し當神社の寶物として氏子畏敬し
毎年一回旧九月十九日(中節句)祭典を行う。
古説に曰く青葉の笛とは昔宮廷に於て青葉の木 (当地にてはミツバの木と云う)
一本にて三個の笛を作り往古より三本より無しと云う。
現に歴史上有名なる中国、須摩寺にある平敦盛が一の谷で
吹奏したる笛と同と云う。
氏子一同信迎の中心にして村民多く舞楽の技を好み、 男子は六七才に至り
横笛の吹奏が出来名手出すことあり。
遠近各地より諸芸人古来参詣する者多かりけり。
明治七年勅令に依り當神社も渋川郷社に合併廃止となる。
其當時の寺野六所神社は實に廣大なる神域にして鬱蒼たる森に社殿も
整ひ廃止時き神社の御坂石の切石の如きは他の神社に持運び
神社の巻石となしたりと云う。
大正十一年六月には部落全域に腸チフスに罹り
患者六十余名中十三名死亡者ありたり、
誰云うとなく氏神の祟りならむと云う者出て、 御嶽行者の祈祷を依頼したり、
然る所氏神様が元の鎮座地に戻り度き為め、氏神の祟りと云う、
人皆半信半疑なりしも、衆議一決し氏神遷宮を実行しするため
社格を付度き要望を二千六百年記念事業として時の内務大臣閣下、
知事小浜八弥閣下の副申を得て出願した処、 当神社の承認賜り現在に至る。
毎年正月三日寺野観音堂で火踊りの芸能が行はれている。
引佐神社誌
青葉の笛とは、亀之丞が信州の松源寺で過ごしていた頃、
故郷を偲びながら奏でていたもの。
上から引佐協働センター2階ギャラリーに展示されている複製
高森町歴史民俗資料館の複製画像です。
ちなみに福井県和泉村の和泉村笛の資料館にも
レプリカがあるそうです。
ここ寺野六所神社にある本物の青葉の笛は
うるう年の4月第1日曜日、一日だけ公開。