大塚山寳性院念佛寺 浄土宗・奈良県天理市中山町




大塚山寳性院念佛寺 浄土宗・奈良県天理市中山町

天理市観光協会 HP
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天理の石上神宮と三輪の大神神社のちょうど中間、

日本最古の道とされる山の辺の道沿いに大塚山寳性院念佛寺があります。

畝傍山・耳成山・香具山の大和三山、そして遥かに二上山・葛城山・金剛山。

神々の物語と悠久の歴史を秘めた、美しい日本の原風景が広がっています。

佛寺の歴史

奈良時代、天平17(745)年に行基僧正によって開山されました。
現在お寺の東側墓地の中腹に「行基大菩薩」の石碑があります。
行基僧正が中楽寺の十一面観音を参籠された時に、
現在お寺があるこの場所を「長山(おさやま)」と名付けました。
そこで土の中に光るものを見つけ、拾ってみると1本の朽ち木でした。
行基僧正はこれを彫って本尊とし、この時にお寺の名前を「念佛寺」としたそうです。
その後、道源法師にお寺が引き継がれましたが、行基僧正が現在の場所にお寺を移すべし、
という内容の夢を見たのです。
時を同じくして、村人も同じ夢を見たことからこれは佛勅だと思い、
みんなで現在の場所にご本尊を移して、ここを「大塚」としました。
このことからこのお寺を「大塚念佛寺」とし、お寺の東側にある塚は、
ここで毎晩燈籠を用いて供養したことから「燈籠山」と呼ぶようになったそうです。
しかし、戦国時代、明應7(1498)年に地震に遭い、本堂が焼失しました。
なんとかご本尊様だけは助かりました。
その後、天文11(1542)年、十市兵遠忠と言う人物が病にかかった際、
この阿弥陀如来様に祈誓したところたちまち快復したとして、
そのお礼に本堂が再建されました。
ところが、江戸時代の寛永6(1629)年、またもや本堂が全焼。
しかしこの時もご本尊のみが焼け残りました。
人々はこれを「焼け残りの弥陀」と呼び、丁重に奉ったそうです。
その後、寛永10(1633)年、円誉上人と村に人々の力により本堂を再建。
承慶元(1652)年、常誉上人によって浄土宗へと改宗され、今日に至ります。

境内墓地の半分は古墳時代前期の前方後円墳「燈籠山古墳」です

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