夏焼城ケ山(889.1m)・愛知県稲武町
浅間神社|愛知県豊田市 – 八百万の神
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稲武町の中央に位置する城ケ山は
南にある同じ名の中当城ケ山と区別して
夏焼城ケ山(なつやけじょうがやま)と呼ばれています。
山頂は御岳山と恵那山の展望が抜群で人気のお山です。
山中も登山道や道標が整備されていて家族連れでも安心して登れます。
夏焼温泉側からの「夏焼ルート」
野入川沿いからの「井ノ入ルート」
大井平公園と途中の浅間神社からの「大井平・浅間ルート」
林道馬野線を通る「馬野ルート」
とバリエーションも豊富。
今回は国道257号沿いの大井平公園から馬野ルート経由で登って来ました。
大井平公園駐車場
国道153号線と国道257号の合流地点から
ほど近い所に大井平公園があり、無料の広い駐車場があります。
紅葉の名所で、吊り橋や遊歩道も整備されており、
5月頃はシャクナゲ、夏は蛍と季節により様々楽しむことができる。
稲武観光マップ
綺麗なトイレ横の「稲武観光マップ」
自販機もあります
夏焼城ケ山 登山ルート
大井平公園
大井平公園
大井平公園は、古橋家6代暉皃(てるのり)が、
天保の飢饉に際して郷民を救い、郷学校を興し農談会を創始、
共存共栄の林業を実践、その逝去に当たって郡農会が頌徳碑を建立し、
古橋家が造成した公園です。
現在では稲武の紅葉の名所となっており、
「風のつり橋」から見る名倉川の紅葉はとてもきれいです。
また、6月には蛍を見ることができ、6月下旬~7月上旬にはホタル鑑賞が開かれます。
古橋翁頌徳碑
シャクナゲの道
登山口
大井平公園からしばらくは林道へ歩き、
浅間神社を横目にしばらく歩いくと登山口
こちらの登山口をスルーしさらに林道沿い進めば馬野ルート登山口へ
(馬野ルートの方が登りやすいです)
1kmもないですが、
登山口からは本格的な山道へ
山頂へ
夏焼城ケ山(889.1m) 山頂
二等三角点
山頂より
この日は少し見にくいですが御嶽山・恵那山
下山は馬野ルートへ
こちらの方が道が整備されていて全然歩きやすいです
馬野の巨石
馬野 登山口
林道へ合流し、先程の登山口まで戻ります
浅間神社
登山道分岐から浅間神社へ参拝
浅間神社駐車場からも登ることが出来ます。
大井平公園内の祠
夏焼城ヶ山の歴史
永正年間(1514~1527年)に田峯の菅沼氏により
田峯城の支城として武節城が築かれました。
夏焼城はこの武節城の【詰めの城】または【退守の城】として築かれました。
武節城が落城した際、最後に立て籠もり再起を図るためのお城でした。
お城の規模は削平地、2段で面積は約7アール、
地名は夏焼町取手といいお城の名残をとどめています。
また、武節城は三河、信濃、美濃の国境であった為、
他国の情勢をいち早く見方に知らせる必要がありました。
【狼煙】により信濃の武田方の情勢を国境の上郷城から柏洞物見石を経由して
野入城に繋ぎ、夏焼城から武節城へ知らせるという
重要な役割を果たしていました。
武節城は武田方にも織田方にも情報網の要として重要視されていたので、
たびたび戦乱に巻き込まれましたが、
戦うだけの戦力はなく武田になったり織田になったりを繰り返していました。
天正18年(1590年)徳川家康が天下平定し江戸城に入る際、
最後の城主、奥平信昌の関東移封とともに武節城が廃城となり
夏焼城も役割を終えました。
太平洋戦争時代には標高889メートルの高台を利用して、
アメリカ軍の戦闘機を見張る監視哨が設置されていました。
当時の稲橋小学校の4年~6年の児童が勤労奉仕で
瓦を背負って城ヶ山に登ったそうです。 城ヶ山景を愛する会H.P より