甘樫丘(あまかしのおか) 蘇我氏居館跡 甘樫丘東麓遺跡




甘樫丘(あまかしのおか) 蘇我氏居館跡 甘樫丘東麓遺跡

甘樫丘 / Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/甘樫丘

孝元天皇御陵(劒池嶋上陵)より、

少しディープな道を通りたいと菖蒲町の住宅地を抜け和田池へ

遠くに甘樫丘(あまかしのおか)が見えてきます。

地元の畑道を抜けようやく甘樫丘へ

甘樫丘(あまかしのおか)

地理
標高148mの、東西数百m、南北1kmほど広がる丘陵である。
丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。
丘の北側には甘樫丘展望台、南側には河原展望台が整備されており、
明日香村内や橿原市内の大和三山や藤原京などの風景を望むことができる。
散策路は万葉集などで歌われた植物が植えられた「万葉の植物園路」が整備されている。
この他、芝生広場・休憩所・駐車場なども整備されている。

歴史
古くは日本書紀などにも記述が見られ、
誓盟の神(甘樫坐神社)が鎮座し允恭天皇の時に盟神探湯(くかたち)が行われた。
大化の改新以前には蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が権勢を示すために
丘の麓に邸宅を構えていたという。
山腹には明日香村の保全に尽力した犬養孝揮毫の万葉歌碑(志貴皇子)がある。
2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から
中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、
蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。
甘樫丘 / Wikipedia

頂上からは飛鳥一円が眺望できる標高145mの小高い丘である。
この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸があったと言われているが、
大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、
蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれている。
『多武峯縁起絵巻』などにも炎上する蘇我邸が描かれているが、
甘樫丘の東麓にあたる場所(甘樫丘東麓遺跡)が発掘された結果、
焼けた建築部材・土器などが出土した。
この位置が大化の改新の際中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、
土器の年代観が、この時期に一致することなどから、
調査地の上方に蘇我邸が存在していたであろうことが想定されている。

今朝、登拝してきた金剛山と葛城山が見える。

邪馬台国説もある桜井市付近、三輪山も見えます。

石舞台古墳方面

飛鳥寺・飛鳥坐神社・飛鳥宮も一望できます。

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