吉野山 世尊寺跡・三郎鐘




吉野山 世尊寺跡・三郎鐘

奈良県 吉野山観光協会H.P
http://www.yoshinoyama-sakura.jp

世尊寺の創建については不明。

1875(明治8)年に廃仏棄釈により廃寺となりました。

本尊をはじめとする仏像は、蔵王堂に保存されているそうです。

現在は、石碑が立っているだけですが、

この石碑の背後の丘を登ると、世尊寺の梵鐘、通称三郎鐘があります。


ぜんそく地蔵尊


三郎鐘(国重要文化財)

この梵鐘は、平忠盛が母の供養のために寄進したものだそうです。

東大寺の「奈良太郎」、高野山の「高野四郎」と並んで、

「吉野三郎」と呼ばれ、重要文化財に指定されています。

高野山 壇上伽藍 大塔の鐘・高野四郎(こうやしろう)の記事

世尊寺跡・三郎鐘(重文)

いまは標柱一つが、その昔ここに寺が有った所だと伝えているにすぎませんが、
この上の広場が世尊寺の跡です。
明治8年(1875)廃仏の難に遭って廃寺となり、本尊とつり鐘、
それに石燈籠だけが残りました。
本尊の木造釈迦如来立像(鎌倉期)は蔵王堂に安置されており、
また石灯籠は水分神社の前に残されています。
上の丘に残る釣鐘は、俗に吉野三郎と称される名鐘で、
初めてこの鐘が造られたのは保延6年(240)で、
平忠盛が鵜飼千斤を施入した旨の銘が有り、
忠盛が平家全盛時代を築いた清盛の父であるだけに
当時のあつい信仰の様子がしのばれます。
その後この釣鐘は永暦元年(1160)寛元3年(1245)にも改鋳されているので、
現在の物は今からほぼ740年前のものということになります。

人丸塚

この上の丘の真中に、人丸塚と呼ばれている仏像石が、
ポツンと置き去りにされたようにうずくまっています。
これは昔建立された五輪塔か何かの一部だろうと考えられますが、
今となっては正体不明というほかはなく、四面のそれぞれに線刻された仏像は、
ほとんど風化しながらも藤原期の作風を示し、吉野山には珍しい石仏といえます。
人丸塚といいならわされているものの、その由来も定かでなく、
この石に願を掛けると子供に恵まれるので、「人生まる塚」ともいい、
また火を防ぐ呪力を秘めているので「火止まる塚」などとも伝えています。


人丸塚

  • このエントリーをはてなブックマークに追加