佐藤忠信花矢倉 源義経 ゆかりの地
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奈良県 吉野山観光協会H.P
http://www.yoshinoyama-sakura.jp
横川の覚範の首塚から少し階段を登った所が
「佐藤忠信花矢倉」です。
この小高い丘から矢を射り僧兵を撃退したそうです。
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見晴台がありますが倒壊しそう、立ち入り禁止です。
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佐藤忠信花矢倉
この下の横川覚範の首塚で見てきたように、
源義経の身代りとなって主従を落ちのびさせるために、佐藤忠信が一人ふみとどまり、
追いすがる敵を切り防いだ古戦場で、ここが佐藤四郎兵衛忠信の花矢倉です。
忠信は小高いこの丘に上って、攻め寄せる僧兵、なかでも妙覚院の豪僧、
横川の覚範に向って、矢を雨のようにあびせかけ、深い雪で血刀をふるって戦った、
その昔のいくさの様子が、そぞろ思い起こされます。
忠信は、奥州信夫(福島市)の庄司、佐藤元治の子で、源義経が金売り吉次に伴われて、
平泉(岩手県)の藤原秀衡のもとに身を寄せたときに兄継信とともに、
義経の家来になった侍で、弁慶とならんで義経の片腕として、おおいに活躍したのでした。
忠信はここで攻め来る敵を追い散らした後、命ながらえて京都へ潜入し、
身を隠していたところを襲われ、自殺して果てました。
年わずか二十八歳だったと、「義経記」は伝えています。
吉野町観光課
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謡曲「忠信」と花矢倉
謡曲「忠信」は、義経が吉野山脱出の折の、忠信の勇壮の様を描いた曲である。
頼朝と不和になり、都落ちして吉野に忍んでいた源義経を、
この山の僧兵が今夜夜討ちにするとの情報を得たので、
佐藤忠信とその郎党が留まって防矢することになり、義経主従は山を落ち延びた。
義経の鎧を身につけた忠信は、高櫓に上って襲いかかる敵を射散らし、
空腹を切って谷に飛び下り、なおも追いすがる僧兵を斬り払い、
九死に一生を得て蝶鳥の如く逃げのびたのであった。
現在この花矢倉は桜の名所であるが、防戦には格好の地形で、
忠信が敵将横川覚範を打ちとったといわれるのはここである。
謡曲史跡保存会
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吉水神社に所蔵されている「佐藤忠信花の兜」です。
その他、弁慶の七つ道具や源義経の鎧(重文)なども拝見できます。

