キトラ古墳・奈良県高市郡明日香村




キトラ古墳・奈良県高市郡明日香村

奈良県高市郡明日香村

7世紀末から8世紀初め頃に造られた壁画古墳「キトラ古墳

1983年に壁画「玄武」が発見され、高松塚古墳に続き

日本で2番目に大陸風の壁画が発見された古墳です。

古墳内には、青龍・白虎・玄武・朱雀の四神すべてが描かれており、

四神の下には、動物の頭と人間の体で十二支をあらわした人身獣首の十二支像も描かれ、

歴史的・学術的にも非常に価値の高い壁画です。

周辺は国営飛鳥歴史公園として整備されています。

国営飛鳥歴史公園とは、祝戸地区、石舞台地区、甘樫丘地区、高松塚周辺地区、

キトラ古墳周辺地区の5つの地区を指し、

飛鳥の豊かな自然や文化的遺産の保護とその活用を求めて整備されたのだそうです。

また、この日は休館日のために立ち寄ることが出来ませんでしたが、

キトラ古墳について学べる体験型施設「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」が併設。

館内には、実物大の石室のレプリカの展示や、壁画に描かれた四神を高精細映像で

実物の最大100倍規模まで映し出す4面マルチビジョンなどがあり、

古墳ファンでなくとも楽しみながら学べます。

また期間限定で、壁画実物の特別公開も行われています。

キトラ古墳

キトラ古墳(キトラこふん)は、奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。国の特別史跡。亀虎古墳の表記もある

墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められている。

二段築成作りの円墳である。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置している。

円墳であり、四神を描いた壁画があるなど高松塚古墳との類似点がある。

名称の「キトラ(亀虎)」の由来は

  • 入り口から内部を観察すると亀と虎の壁が見えることから。
  • 古墳の南側の小字「北浦(きたうら)」が訛った。
  • 古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあることから、四神で北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名された。

などの説がある

現在ではカタカナ表記の「キトラ古墳」が多く使われている

年代

壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている

1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風壁画古墳として注目を集める

1998年の探査で青龍、白虎、天文図が確認され、2001年には朱雀と十二支像が確認された。カビなどの被害が発生していたため壁画ははぎとられて保存されている

2000年7月31日、国の史跡に指定され、同年11月24日には特別史跡に指定された。

2013年に石室の考古学的調査は終了したため石室は埋め戻されて墳丘の復元整備が行われている

2018年10月31日付けで壁画と出土品が国の重要文化財に指定され、、2019年には壁画が国宝に指定された。

被葬者

誰が埋葬されているかは未だ判然としていない

年代などから、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。金象眼が出土したことから身分や地位の高い人物であるが、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。

白石太一郎は、被葬者は右大臣の阿倍御主人であったと推定し、その根拠として、古墳周辺の一帯が「阿部山」という名前の地名であることを挙げている。岸俊男などもその蓋然性が極めて高いと考え支持している。直木孝次郎も阿部御主人を第一に挙げ、皇族では弓削皇子も考えられるとした。阿倍御主人は大宝3年(703年)4月右大臣従二位、69歳で没した(『続日本紀』『公卿補任』)。

京都橘大学の猪熊兼勝は、天武天皇の皇子の高市皇子という説を主張している。

千田稔は、百済から渡来した百済王昌成(しょうじょう)を被葬者に挙げる。

構造

二段築成の円墳である。上段が直径9.4m、高さ2.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さ90cm。

内部構造は横口式石槨で天井は家形になっている。石槨は凝灰岩の切石を組み合わせて作られており、内部は幅約1m、長約2.6m、高さ約1.3m。 奥壁・側壁・天井の全面には漆喰が塗られ、壁画がほどこされている。

壁画

東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれている。

東壁の青龍と西壁の白虎は右向きであり、すなわち青龍は南壁の朱雀のほうを向いており、白虎は北壁の玄武のほうを向いている。しかし中国においては、これとはことなり青龍も白虎もいずれも南壁の朱雀のほうを向いている。

四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれていると想定されているが、北壁・玄武の「子(ね)」、東壁・青龍の「寅(とら)」、西壁・白虎の「戌(いぬ)」、南壁・朱雀の「午(うま)」「巳(み)」など6体の発見に留まっている

同時代の中国や朝鮮半島では獣頭人身を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見されているため、キトラ古墳は中国や朝鮮半島などの文化的影響を受けていたと考えられている。しかし、2005年になって発見された「午」の衣装は、同じ南壁に描かれている朱雀と同じ朱色であった。このことは、十二支像がそれぞれの属する方角によって四神と同様に塗り分けられていることを推測させる。これは中国・朝鮮の例には見られない特色である。2021年には蛍光X線分析により「巳」の衣装の塗料に水銀が使われていることが確認され、朱色だったと推測されている

なお、このような十二支を獣頭人身で表す事例は、他に奈良市法蓮佐保山にある「隼人石」が知られている

天井には三重の円同心(内規・赤道・外規)と黄道、その内側には北斗七星などの星座が描かれ、傾斜部には西に月像、東に日像を配した本格的な天文図がある。この天文図は、中国蘇州にある南宋時代(13世紀)の淳祐天文図より約500年古く、現存するものでは東アジア最古の天文図になる。描かれている星の総数は、277個である。

保存事業

研究・保存・公開などは奈良市にある奈良文化財研究所が主となっている。

発掘後、湿気のため石室内にカビが発生し、壁画の変質が進行していることが判明した。このため壁画をはぎ取り保存する作業が行われることとなった。文化庁は2004年8月より、損傷の激しいものから順次はぎ取り作業を開始。同庁によれば、2007年2月15日までに南壁の朱雀がはぎ取られ、確認されている壁画のはぎ取り作業は(天井の天文図を除き)完了した。壁画の一部は2009年5月8日から同24日まで奈良文化財研究所飛鳥資料館にて一般公開された。2010年11月までにはぎ取り作業を完了

2013年3月までに石室の考古学的調査は終了。同年8月には石室の一般公開が実施された。1983年に石室南壁にあった盗掘穴(高さ65cm、幅25〜40cm、奥行49cm)からのファイバースコープ撮影で壁画が発見され石室調査がスタートしたが、2013年の石室調査終了によって穴は二上山産の凝灰岩2個で封印された。穴を封印している石材には「キトラ古墳石室の盗掘口を閉塞する」の文字を刻んだ銅板が取り付けられている。古墳一帯は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として整備が進められ、2016年度までに「体験学習館(仮称)」が建設され墳丘遺構が整備されることとされた。「体験学習館(仮称)」は2016年9月、「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」として開館した。同館の1階は文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設となっており、地階には石室のレプリカ等の展示がある

特別史跡 キトラ古墳

キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め頃に造られた古墳で、墳陵の南側斜面に位置します。墳丘は二段築成の円墳で、発掘調査の成果などから、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。現在の墳丘は、下段部分を築造当時の大きさに復元しています。内部には二上山産凝灰岩の切石を18枚組み合わせて作られた石室があります。石室内部は奥行2.40m、幅1.04m、高さ1.24mの大きさで、鎌倉時代に盗掘を受けていましたが、刀装具片、琥珀玉などの副葬品の一部と、木簡片や棺の飾金具、人骨などが出土しています。

昭和58年に行ったファイバースコープによる石室内部の探査で、北壁に玄武が描かれていることが分かり、高松塚古墳に次ぐ我が国で二列目の大陸的な壁画古墳であることが明らかとなりました。

その後の小型カメラによる探査では清流、白虎、朱雀、十二支像、天文図が見つかりました。

石室内部の小型カメラによる探査では、壁画が危険な状態にあることも明確となりました。そのため、早急な対応が必要とされ、平成15年に仮設保護覆屋を設置し、平成16年に石室内の調査を行いました。その結果、全ての壁画が取り外され、修理が進められました。

現在は壁画の保存・公開が行われています。 平成28年 文化庁

国宝 キトラ古墳壁画

キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月の壁画があります。四神は天の四方を司る神獣で、壁画は対応する方位に合わせて、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれています。高松塚古墳では、盗掘により南壁の朱雀が失われていたため、我が国で四神の図像が全て揃うのはキトラ古墳壁画のみです。

四神の下には、獣頭人身の十二支が描かれています。北壁中央の子から時計回りに、方位に合わせて各壁に3体ずつ配置されています。現在確認できているものは、子、丑、寅、午、戌、亥の6体です。
天井には天文図と、東に金箔で太陽が、西に銀箔で月が描かれています。この天文図は、赤道や黄道を示す円を備えており、本格的な中国式星図としては、現存する世界最古の例といえます。壁画5面は、令和元年に国宝に指定されました。 キトラ古墳壁画保存管理施設

重要文化財 キトラ古墳出土品

キトラ古墳の石室内からは、被葬者が納められていた木棺の部材や飾金具、副葬品である刀装具、玉類などが出土しました。
木棺は漆塗りで、金銅製鐶座金具、金銅製六花形飾金具、銀環付金銅製六花形飾金具などの飾金具が取り付けられていたと考えられます。大刀に関連するものでは、金線で直線とS字文を象嵌した鉄地銀張金象嵌帯執金具や、刀装具、刀身の断片があります。銀装の大刀は全面を黒漆で仕上げたもので、正倉院の大刀にも匹敵する優美なものであったと考えられます。玉類では琥珀玉やガラス小玉、径1㎜ほどのガラス粒があります。主な出土品は、平成30年に重要文化財に指定されました。
石室内からは被葬者の人骨と歯牙も発見され、分析により50~60歳代の男性1体分とわかっています。 キトラ古墳壁画保存管理施設

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