山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ) 静岡県富士宮市 世界遺産




山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ) 静岡県富士宮市 世界遺産

山宮浅間神社 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/山宮浅間神社

静岡県富士宮市の山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)

県道180号(通称 登山道)を車で15分程行った先にあります。

富士宮口五合目口もすぐ近くです。

この浅間神社は拝殿・本殿が無く、直接ご神体の富士山を拝する

原始信仰の形を留めています。

また、全国に1300社ある浅間神社の中で最も古い歴史を持ちます。

山宮浅間神社

山宮浅間神社は、富士山そのものを神として祀った場所と言われ、
浅間大神(富士大神)として現在の富士山本宮浅間大社に遷されることで
「山宮」と言われるようになりました。
富士山信仰の中で最も古い神社と考えられています。
境内には本殿がなく、富士山を直接遥拝するための遥拝所があり、
古代からの富士山祭祀の形が今も息づいています。
神社の年代は不詳ですが、社伝によれば、山宮に遷される前、
山足の地へ浅間大神を祀り、
その後、日本武尊が山宮の地に祀ったと伝えています。
かつては、富士山本宮浅間大社の春秋の大祭先日に、
大社の祭神が山宮を訪れる「山宮御神幸」が行われていました。
この行事に使用された行路を「御神幸道」と呼び、
道筋の50丁(1丁=約109メートル)の間には、一丁目毎に目安の石碑が
建てられていましたが、現在は4基だけが残されています。
現在は、かつての山宮御神幸をしのんで、毎年4月に初申祭、
10月に例祭が行われています。

概要

山宮浅間神社には富士山を遥拝するための遥拝所がある。
これは、古い富士山祭祀の形をとどめているものと考えられている。
遥拝所は溶岩流の先端部に位置し、
遥拝所の周囲には溶岩礫を用いた石塁が巡っている。
遥拝所内部の石列は、主軸が富士山方向に向いている。
「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮浅間神社の地から移転されたとある。
山宮浅間神社の創建年代は不詳だが、発掘調査では祭事に使用されたと推定される
12世紀の土器(カワラケ)が出土しており、文献史料では16世紀から確認できる。
また、かつては、浅間大社の祭神が春と秋に浅間大社と山宮浅間神社を往復する
「山宮御神幸」が行われていた。
山宮御神幸の道筋(御神幸道)50町(1町は約109メートル)には、
元禄4年(1691)に1町毎に標石が置かれた。
明治7年(1874)以降山宮御神幸は行われなくなり、
標石の大半も失われているため、現在正確な道筋は不明である。


世界遺産の碑

富士山表口 富士山本宮浅間大社の本宮である山宮浅間神社は

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として

世界文化遺産に登録されている


手水舎


籠谷


鉾立石

鉾立石

籠屋(社務所)をくぐり遥拝所へ続く参道に、
「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための石が置かれている。
石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、
石段の手前に1つの計2つが置かれている。

神様が休んだと言われる「鉾立石」

参道途中からの段差は噴火寺の溶岩流の末端にあたると言われています。

石段の手前の鉾立石


遥拝所

「美しい富士山も、ある時期突如として大爆発を起こし、
人々の生命財産を奪う恐ろしい山であった。
その火を噴く不思議な力を人々は畏敬し、山そのものを御神体として祀り、
噴火の度に富士山を拝み、朝廷でも山の神の位を上げ、使いを派遣して富士を拝ませた。
その富士山を拝んだ場所が山宮浅間神社だと考えられている。
山宮浅間神社には本殿がなく、いつのころか、
この神社に神様を祀る本殿を建てたいと村人が本殿造りに取りかかった。
しかし、上棟式までこぎ着けたとき、大風が起こって吹き倒されてしまった。
こうしたことが何度か起こり、「山宮浅間神社に本殿を造ろうとすると、
風の神の祟りがあるので本殿を造ってはいけない」というようになった。
こうした伝承に託して、昔の人々が古い信仰の形を今に伝えてきたのである。」
(富士宮教育委員会案内板より)

山宮浅間神社

山宮浅間神社は、富士山そのものを祭神として祀られた場所と言われています。
境内には社殿がなく、富士山を直接仰ぎ見る遥拝所があります。
拝殿や本殿が存在しないのは、富士山体を遥拝する場所として、
その祭祀の形を留めているものと推定されています。
遥拝所には、南北15.2m、東西8,4mにわたり30~40cm程度の
溶岩で築かれた最上となる石列があります。
この石列は玉垣で囲まれ、さらにその周囲には約45m四方を区画する
溶岩を積み上げられた石塁が見られます。
神社の創建電代は不詳ですが、富士山本宮浅間大社伝によれば、
山宮の地に祀ったと伝えています。
かつては、浅間大社の春秋の大祭前日に、浅間大社の祭神が
山宮を訪れる「山宮御神幸」が行われていました。
この行事に使用された行路を「御神幸道」と呼び、道筋の50丁
(1丁=約109メートル)の間には、一丁目毎に目安の石碑が
建てられていました。(現在は4基だけが残されています。)
また、「山宮御神幸」の祭かみは、鉾に宿り山宮へ向かったことから、
御神幸の途中休憩する際に鉾を置く「鉾立石」が設けられました。
鉾立石は道筋に幾つかあったといわれますが、
現在は浅間大社楼門前と山宮浅間神社の参道に残っています。
拝殿や本殿が存在しない山宮浅間神社ですが、境内には籠谷と呼ばれる
建物があります。
かつて神事の際に浅間大社の神官らが参籠したとされるもので、
現在の籠谷は、昭和8年に建築されたものです。

遥拝所石列

遥拝所の石列については、江戸時代に書かれた「駿河記」や
「駿河志料」に、「(山宮浅間神社は)今は荒れ果て、社殿はないが、
石壇や鳥居などがある。
神の鎮座する所の中心には、榊を植えてご神体の石を安置している。」
とあります。
「浅間神社の歴史」によると「この石礎は今も現存する並石(石列)をいう。」
とあり、江戸時代より遥拝所には石列があったと考えられます。
また、ここには山宮御神幸などの祭事に参列する本宮(富士山本宮浅間大社)の
大宮司以下の社人(神官)や供僧(社寺の僧侶)などが着座して
並ぶ配置を区画したものだとも記されています。
この石列を囲む玉垣、昭和25年度(2013)に実施された発掘調査では、
玉垣の西南(正面)側下部において、石列が2カ所(石列1・石列2)
で確認されています。
この2か所の石列は玉垣内の石列と同質の溶岩を使用しており、
ほぼ同時期に配置されたものと考えられています。

境内、二の鳥居横 駐車場内に案内所があります。

御朱印もこちらで頂きました。


御朱印

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