村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)世界遺産・静岡県富士宮市村山




村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)世界遺産・静岡県富士宮市村山

村山浅間神社 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/村山浅間神社

静岡県富士宮市の村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)

県道180号(通称 登山道)山宮浅間神社手前を曲がり

車で数分行った先にあります。

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)世界遺産の記事

村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)

村山は、富士山における修験道の中心地であり、
明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があった。
鎌倉時代には、末代上人に関連する修行者により寺院が成立したと考えられ、
村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。
文明18年(1486)には聖護院門跡道興の来訪があり、
この頃には本山派に加わるようになったと考えられる。
戦国時代初めには、今川氏の庇護を受け、修験者や道者が集まり、
周辺には坊が建ち並んでいたと考えられている。
16世紀作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」には、
興法寺で諸堂を礼拝したり垢離をとったりする道者の姿が見える。
また、興法寺周辺(元村山集落)は周囲の集落より一段高い場所に位置し、
戦国時代には東西の見附で出入りを取り締まっていた。
近世には、村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)が興法寺や集落とともに、
大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理した。
近世の村山は、興法寺を中心とする、修験者や門前百姓の住む修験集落だった。
登山期には、三坊の免許を受けた各地(主に富士川以西畿内まで)の先達が、
道者を連れて村山を訪れた。
また、元禄年間に、幕府の寄進を受け、現在の境内の基礎が整えられたと考えられている。
明治初年の神仏分離令により、三坊の修験者は還俗し、興法寺は廃され、
興法寺の中心的堂社であった浅間神社と大日堂は分離された。
また、大棟梁(だいとうりょう)権現社(ごんげんしゃ)は廃され
場所を変え高嶺総鎮守として祀られた。
明治39年(1906)の登山新道の開削により、登山道から外れた。
なお、修験道は明治5年(1872)に禁止されたが、
村山の法印(ほうえん)(修験者)の活動は1940年代まで続けられた。


世界遺産の碑

富士山表口 富士山本宮浅間大社の本宮である村山浅間神社は

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として

世界文化遺産に登録されている


社務所


記念碑


村山浅間神社の大杉


水垢離場

水垢離場

山伏修行(修験者)や富士登拝の道者(どうじゃ、どうしゃ)が垢離をとって身を浄めた所。
境内の中段に、間口約6.5m・奥行き約4mの長方形、深さ約0.6mに掘り込み、
底に石を敷きつめ、周囲は石積みとなっている。
水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置されている。
水源は、古絵図や発掘調査の成果から、「龍頭の池」の水を引いていたと推定される。


護摩壇

護摩壇

大日堂東側にあり、正面奥に不動明王石像が祀られている。
一辺5.3mの四囲の石組の中に、丸い石組の護摩壇がある。
護摩壇の前には、「于時安政四年九月」の年号と造立者銘が刻まれた石があり、
安政四年(1857)に龍宝院などの村山下修験によって造立されたと推定される。
古絵図から、かつて大棟梁権現社の拝殿にあたる部分と推定される。


二の鳥居


拝殿

村山浅間神社社殿

浅間神社は、神仏分離によって境内社富士浅間七社を相殿として造られた。
中座に木花開耶姫、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、
右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。
現在の社殿は大正2年に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、
その後鉄筋コンクリート一部木造に建て替えられている。


本殿

村山浅間神社はかつては興法寺と呼ばれ

富士山における修験道の中心地でした。

明治期の廃仏棄釈以前、

いわゆる神仏習合 当時の名残を残した境内が印象的です。

ここからは現在は廃道となった村山口登拝道がひかれ

数多くの修験者が頂上を目指したといいます。

今は富士山本宮浅間大社の奥宮である頂上社は

大日堂と呼ばれ、富士山興法寺の管轄でありました。

富士山本宮浅間大社奥宮 富士山頂・世界遺産の記事


富士山興法寺大日堂

富士山興法寺大日堂

明治初年まで存在した興法寺(こうほうじ)の中心的な建造物で、
部材の状況や絵洋彫刻の特徴などから江戸末期の建造と考えられ、
江戸時代の建造物としては現存する唯一のものである。
建物内には、木造大日如来坐像や役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られ、
柱には富士峰修行の打札が残り、かつての修験信仰の面影を強く伝えている。
※「大日堂」から「富士山興法寺大日堂」に名称が変更されました(平成25年8月)

山岳信仰、修験特有の形を残す

美しい大日堂の社殿


村山浅間神社のイチョウ

村山浅間神社のイチョウ

静岡県指定天然記念物
名称
村山浅間神社のイチョウ
樹種
イチョウ
樹高
16m
目通り幹囲
9.2m
推定樹齢
300年以上
所在地の地名
静岡県富士宮市村山

村山浅間神社社殿の右横から氏神社へと続く参道がのびる。

先に述べた現在の富士山本宮浅間大社 奥宮(大日堂)は

村山浅間神社の開祖、末代上人が建立したとも伝わる。

氏神社

村山浅間神社の開祖「富士上人末代」は、
「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、
頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、
自ら「大棟梁権現」と号し、
村山の地で即身仏となって当山の守護神となった。
当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、
高嶺総守護と称する。


氏神社

■ 2018/5/12 再訪

土日祝 10:00 〜 18:00 間のみ大日堂・社務所が開いています。

時間内に訪れることが出来ました。


拝殿


富士山興法寺大日堂

大日堂を拝観することが出来ます。

大日堂

大日堂は文明10年(一四七八)の銘がある大日如来坐像を本尊として祀る
興法寺の中心的な建物で、室町時代の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」(重文)
にも中心として描かれています。
建物は江戸時代末期の建築として考えられます。
平成二十六年に解体修理を行い、内陣の形状や向拝など、
後年に改変された部分の復元を図りました。
屋根は金属板葺きで、かつての茅葺屋根の形状を再現しました。


碑伝木(ひでぎ)

碑伝とは、峰入という修験者が修行のために

山に入ることの証として立てるもので、

峰入年月日、峰入回数などを木の板や石に記したものです。


村山に伝わる彫刻


絹本著色富士曼荼羅図

有名な「絹本著色富士曼荼羅図」(重文)の中腹に描かれている大日堂


御朱印

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