矢奈比賣神社(見付天神)霊犬神社・静岡県磐田市見付
見付天神 矢奈比賣神社 公式H.P
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静岡県磐田市見付に鎮座する矢奈比賣神社(見付天神)
静岡県無形民俗文化財指定「見付の裸祭り」や「悉平太郎伝説」で有名で、
学問の神、菅原道真公をお祀りする見付のお天神様として
地域の人々の信仰を集めています。
御祭神の矢奈比賣命はどのような神格なのか解りませんが、
山城国風土記や和名抄に見られる、
賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)の御子神
「建玉依比売命」ではないかと考えられているそうです。
旧東海道見付宿の入り口横から始まる参道
坂道をしばらく登ると一の鳥居
ここからさらに傾斜が増します。
国指定重要無形民俗文化財
見付天神裸祭
平成十二年十二月二十七日指定矢奈比売神社は矢奈比売命 ・ 菅原道真を祭神とし、
別名、見付天神 とも言われています。
矢奈比売命は六国史に「矢奈比売天神」と記載が あり、
また、菅原道真を祭神として祀ったのは
正暦四年(九九三)八月 十一日と記録があります。
当神社に伝わる裸祭は旧暦八月十・十一日に行われていましたが、
昭 和三六年(一九六一)からその直前の土・日曜日に行われるようになり ました。
この祭は当神社の御神霊が遠江国総社・淡海国玉神社へ渡御する際に行われる祭で、
渡御に先立ち裸の群衆が見付地区内を練り歩き、
神社拝殿で乱舞することからこの名があります。
大祭は一週間前の元宮天神社例祭(祭事始)から始まり、
見付地区の 清め(御斯葉おろし)、三日前の福田海岸における心身の清め(浜垢離)、
前日の社殿・境内等の清め(御池の清祓)と続き、
大祭では御神霊の渡御、 翌日には御神霊の還御で一連の祭礼が終了します。
この祭は、厳粛な物忌みと心身の清めにより、 祭事を行うという、
古代の祭儀の法を伝承して いるものと推定されます。
裸祭に参加する者は褌・草鞋・腰蓑を着けた いでたちをし、
また、地区内の祭礼組織は古く からのしきたりが継承されています。
以前より綺麗になったような気がします。
まだ新しい両部鳥居。
悉平太郎 像
住吉神社
山神社
参道が折れ曲がる途中に鎮座する「山神社」
御祭神は「大山祇神」「高龗神」「軻遇突知神」の三神
奇祭(裸祭り)で最後の重要な祓いの神事を行なう場所です。
拝殿
矢名比売神社
相殿菅原大神(天満大自在天神)は
一条天皇正暦4年(993年)に勧請奉祀されております。
慶長8年徳川家康より神領五十石が寄進されており、
明治6年県社に列せられましたが、戦後はこの制度は廃止となりました。
御神徳は、古くから学業成就・健康守護・五穀豊穣の神として、
「見付のお天神様」と崇敬され、遠近からの参拝者も多く、
天下の奇祭といわれる裸祭り、人身御供の伝説とともに世に知られております。
歩みは遅いが、尾でうるさいハエをはらいながら
黙々と草を何度も何度も噛み直して大きな体に成長する牛に、
基本を繰り返し練習して、体得していくことの大切さを見ることができます。
そんな牛の性質を天神様は愛していたのです。
矢奈比売天神社の創立年月は、詳らかでありませんが、
延喜式内社に列しており、古くは市内元天神の地に祀られておりました。
いつの時代にか現在地に奉遷されましたが、その年月は詳らかでありません。
古記録によれば、続日本後記に承和7年6月戊辰(840年)奉授、
遠江国磐田郡無位矢奈比売天神従五位下とあり、
また三代実録に貞観2年正月戊寅(860年)詔授、
遠江国従五位上矢奈比売天神正五位上と神階を授けられております。
菅原道真公がこよなく愛した梅は冬の最も厳しい寒さの中で花を咲かせ、
春の近いことを告げます。
人のできるあらゆる努力を尽くした後でひらめく知恵の象徴だと言われています。
また、梅という名前には「埋め」ている才能を開くという意味もあるのです。浜垢離の神事
静岡県無形民俗文化財指定
例大祭の三日前に市内鮫島海岸で行なわれます。
大祭に奉仕する氏子の方々が遠州灘の荒波に身を浸し心身を清めて
神事に奉仕する準備をする禊ぎの神事であります。
かつては屋形船を仕立て笛、太鼓、の音も賑やかに今之浦川を下って
海岸へ赴いたものですが、今では各町内は数台づつのバスに分乗して参りますので、
さすがの鮫島海岸も老幼の氏子で埋まる盛況であります。見付の裸祭り
静岡県無形民俗文化財指定
例大祭の夜、裸祭りの神事が行なわれます。
起源は花園天皇の正和年間から始まったと伝えられ、
旧暦8月10日宵から11日の暁に及ぶものでありましたが、
時代の変遷に伴ない現在は旧暦8月10直前の土曜日に行なわれております。
当夜は氏子の男子は老幼を問わず裸体に腰蓑(こしみの)をつけ鉢巻、
草鞋掛(わらじがけ)の姿でかけ声も勇ましく天神社へと練り進み拝殿内で乱舞します。
これを鬼踊りと云っております。
いよいよ神輿渡御の時刻となりますと全町灯火を消して
幾千の裸の群は全く暗黒の中を神輿を奉じて総社(淡海国玉神社)へと
ひた走りに走って渡御が目出度く終るのであります。
これを比佐麻利祭(ひさまり)と申し上げております。
この祭りは天下の奇祭として親しまれ、
近年遠近からの参拝者も数万人の多きに達しております。悉平太郎伝説
当神社には昔人身御供が行なわれたらしく、悉平太郎伝説として残されております。
伝説によりますと正和年中(約660余年前)信濃国上伊那郡赤穂村光前寺より、
悉平太郎という名犬を借り受けて怪物を退治して、
人身御供という見付の悲しいならわしを断ち切って平和な見付の町にもどしたというもので、
その謝恩のために当社々僧が奉納した大般若経は、
現在寺宝として光前寺に保存され、
磐田市と駒ケ根友好都市縁結びのきずなともなって現代に生きております。北野天神縁起絵巻
市文化財指定
北野天神縁起絵巻は京都の北野天満宮の国宝のものを初めとして
全国に三十種類以上が知られています。
当社の絵巻は北野天満宮の絵巻の系統を引く物で
各場面の描き方がよく似ていると言われています。つつじ公園
むせかえるような若葉の香りにつつまれて
の園内の散策は市民をはじめ遠来の観光客の目を楽しませてくれます。
天神社境内地の一部約2200㎡ には、約200本の桜、
2500本のつつじ、200本の赤松が植えられており、
現在市営「見付天神つつじ公園」として、市民の憩いの場、
県内外の観光地として利用されており、利用者は年間二十万人内外を数える程です。
ミヤマツツジの可憐な風情、桜と赤松の織りなすコントラスト、
真紅の球を思わせるミヤマキリシマ、むせかえる「県一花」
つつじの咲きほこる園としては県内随一とも言えるでしよう。
本殿
遠江國磐田郡 矢奈比賣神社
旧県社御祭神
矢奈比賣大神
相殿
菅原大神
合祀
愛宕神社
火之迦具土神
住吉神社
表筒男神・中筒男神・底筒男神
矢奈比売天神社
卸祭神
矢奈比売命(やなひめのみこと)
菅原道真公(すがねらみちさねこう)
例祭日
旧歴8月10・11日前の土・日曜日
由緒
※延喜式内社・※国史現在社として磐田の里々をはじめ、
京の都にも名か知られ崇敬されていた。
相殿の御祭神(蒼原道真公)は一条天皇の正暦4年(993年)に
筑前国太宰府天満宮より勧請される。
慶長8年(1603年)徳川家康公より神領五十石を寄進される。
明治六年社格が県社に列せられる。
※延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(十世紀前半)に著わされた
延喜式神名帳に載せられている、古い格式のある神社。
※国史現在社とは、
六国史(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・文徳実録・三代実録)
に記載のある神社。
当社は、続日本後紀と三代実録に記載されている。
御神徳、
古より学業成就・安産・子育て・諸産業振興の神として
「見付のお天神様」と崇敬され、天下の奇祭(裸祭り)
人身御供伝説とともに世世に知られている。
大神宮遥拝所
伊勢神宮を礼拝する神殿です。
遥拝所は全国至るところにありますが、
このように建物を建てているところは珍しと思います。
御池のいわれ
当社大祭の折、池中央に神籬を立て、天神地祇を招き奉りて、
大祭の無事執行、氏子崇敬者の安奉を祈願する。
この神事は伊勢神宮と当社に於いてのみ行なわれる
氷室神社
氷室神社の御祭神は「少彦名命」「言代主命」「闘鶏稲置大山主命」
忠魂碑
境内を出るとつつじ公園の駐車場
ステージなどもあり市民の憩いの場です。
霊犬神社 鳥居
境内を抜けつつじ公園方面へ歩くと霊犬神社の鳥居が現れる
霊犬神社
周りはつつじに囲まれた素敵な参道です。
霊犬神社は「悉平太郎伝説」に由来します。
今では磐田市のゆるキャラ「しっぺい」有名です。
悉平太郎伝説
その昔、毎年、家の棟に白羽の矢が立った家の娘は、
8月10日の見付天神の祭りに人身御供(生きたまま神に供えること)として
捧げられるしきたりがありました。
村人たちは、祭りのたびに泣いて悲しみました。
ある年、見付を訪れた旅の僧侶がこの話を聞き、
このしきたりを無くせないものかと思案しました。
そして、これが怪物の仕業であることを突き止め、
怪物たちが「信濃の国の悉平太郎に知らせるな。」とささやくのを聞きました。
そこで、悉平太郎が光前寺(長野県駒ヶ根市)で飼われている犬だということが分かり、
この犬を借りてきました。
次の年の8月、祭りの日に人身御供の身代わりに悉平太郎を柩に入れて、
見付天神に供えました。そして、怪物が柩を開けた瞬間、
悉平太郎は怪物に襲い掛かり、長い格闘の末、怪物を退治しました。
その怪物は大きな年老いたヒヒでした。
その後、人身御供のしきたりは無くなったということです。
この闘いで傷ついた悉平太郎は、光前寺までたどり着き息絶えたとも、
帰る途中で亡くなったとも言われます。
磐田市と駒ヶ根市は、この悉平太郎伝説が縁となり、
友好都市となっています。駒ヶ根市では、悉平太郎は早太郎と呼ばれていて、
光前寺には早太郎のお墓があります。
しっぺい太郎のお墓は各地にありますが、
一説ですが、浜松市引佐町の観音山の頂上近くにあった清水寺跡
(今では観音堂があります)が終焉の地とも伝わります。
霊犬神社
当神社には、人身御供の伝説が残されております。
正和年中(約六百六十余年前)現在の駒ケ根市光前寺より
悉平太郎(しっぺいたろう)という名犬を借り受けて怪物を退治し、
人身御供という悲しいならわしを断ち切り、平和な見付の町にもどしたというものです。
その感謝のために当社社僧が奉納した大般若経は、現在寺宝として光前寺に保存され、
磐田市と駒ヶ根市友好都市(※ママ)のきずなとなっております。
霊犬神社は、犬を祀った日本唯一の神社として、
近年はペット愛好家の方々に深く崇敬されております。
例祭日 四月十五日
御朱印