高野山 奥の院(おくのいん)・世界遺産




高野山 奥の院(おくのいん)

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高野山真言宗 総本山金剛峯寺 名所一覧
http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html

長年、高野山に来るのが夢でした。

もう20年近くも前、仏教哲学や密教に興味が沸き沢山書物を読んで来ました。

日本で密教というとやはり弘法大師(空海)

いまでも絶大な人気を誇る、日本仏教界のスーパースターです。

その天台宗が誇るもう一つの聖地 教王護国寺(東寺)や

日本密教のもう一派である、天台宗の総本山 比叡山延暦寺へは訪れたことがありましたが、

ここ高野山にだけはなかなか来れずにいました。

念願かなって初の高野詣です。

奥之院(おくのいん)

高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。
正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、
おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、
慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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朝6:30過ぎ、車を止め 一の橋からスタートです。

もちろん聖域中の聖域、「弘法大師御廟」を目指します。

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一の橋前手水舎にて、

外気温は4℃ 今年初のダウンコートを羽織ります。

周りの寺院からは朝のおつとめ、読経をBGMに進みます。

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前を歩く人は一人もいない。

まわりの空気は冷たく澄んでいます。

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中の橋を渡り汗かき地蔵に参拝。

奥の院には数多くの歴史上の人物、全国の藩主・大名の墓、

珍しい形の墓や供養塔があります。

奥の院について調べ尽くしているすごいサイトがありました。

高野山 奥之院 かなり完璧ガイド

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法然上人の墓も、本当に色々な人の墓があります。

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頌徳殿(しょうとくでん)

頌徳殿(しょうとくでん)

大正4年(1915年)、高野山開創1100年の記念事業として建立された、
高野山で数少ない大正時代の建築物です。
和歌山市の寺院が発起人となり、たくさんの方々のご寄付によって造営されました。
桁行十間、梁行五間の平屋造りで、創建当初は檜皮葺(ひわだぶき)
屋根であったそうです。
現在は茶所として、参拝の方々の休憩所として開放しており、
セルフサービスでお茶を召し上がることができます。
開扉時間は午前8時30分から午後5時までです。

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御供所(ごくしょ)

御朱印はこの建物で頂くことができます。

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護摩堂(ごまどう)

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なぜか道を間違えバリアフリー経路から

ここからは撮影が出来ません。

*公式サイトや関連サイトからの掲載です。

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燈籠堂(とうろうどう)

燈籠堂(とうろうどう)

高野山第二世真然大徳(しんぜんだいとく)によって建立され、
治安3年(1023年)に藤原道長によって、
ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられています。

堂内には消えずの火として祈親(きしん)上人が献じた祈親燈(きしんとう)、
白河上皇が献じた白河燈、祈親上人のすすめで貧しいお照が大切な黒髪を切って献じた
貧女の一燈(いっとう)、昭和の時代にある宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が
燃え続け、その他たくさんの方々の願いが込められた燈籠が奉納されています。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺H.Pより

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名の通り、中には沢山の灯籠が灯り神聖な雰囲気

燈籠堂 中心の一番奥は、ガラス窓になっていて御廟を望むことができる。

こちらのお堂でご廻向(ごえこう)やご祈祷などが行われる。

また御廟地下部分に弘法大師が入定しているといわれ、

御廟 礼拝後、燈籠堂の地下では空海が入定した霊窟と同じ位置からの

礼拝することができる。

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弘法大師御廟所(高野山発行書物から)

弘法大師御廟(こうぼうだいしごびょう)

大師信仰の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、
わたしたちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという入定信仰を持つお大師さまの御廟所です。
現在も参られる方々を救い続けていると信じられ、日夜多くの参拝者が絶えません。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺H.Pより

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