高野山 苅萱堂(かるかやどう)




高野山 苅萱堂(かるかやどう)

s_s_IMG_6961.JPG

高野山真言宗 総本山金剛峯寺 名所一覧
http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html

奥の院への参拝を終え金剛峰寺へと向かう途中に

苅萱堂(かるかやどう)があります。

まだ開いたばかりでお坊さんが掃除をしていました。

苅萱道心(かるかやどうしん)と石童丸(いしどうまる)の物語で有名な

苅萱堂(かるかやどう)本尊の周りには物語のあらすじが木彫り画で描かれています。

s_sights_karukayado_main.jpg

苅萱堂(かるかやどう)

苅萱道心(かるかやどうしん)と石道丸(いしどうまる)の話は、
悲話として広く知られています。
このお堂は苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく
仏道修行に明けくれたと伝えられています。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺

s_20130625151935.jpg

石童丸

石童丸の父である加藤左衛門繁氏は、筑紫の国の領主でしたが、
わが身の罪の深さに驚き、出家して後に高野山に入山し、
苅萱道心と称して修業の生活に入りました。

父の出家直後に生まれた石童丸は十四歳のとき、
父に会いたい一心で母千里とともに高野山へ旅に出ましたが、
当時は女人禁制であった高野山の掟により、やむなく母を山麓の学文路(かむろ)の宿に残し、
一人で父を捜し求めて山に登った石童丸は、御廟の橋で一人の僧と出会いました。

この僧こそが石童丸の父、苅萱道心その人だったのですが、
浮世を捨てて仏門に励んでいた繁氏にとっては、親と名乗ることもできず、
「そなたの父はすでにこの世にはいない。」と偽り、石童丸を母のもとに帰したという。
そうして学文路に戻った石童丸を待っていたのは、
母千里が急病で亡くなったという悲しい知らせでした。

石童丸は高野山に戻って出家し、実の父とは知らずに刈萱道心について厳しい修行を積んだという。

この哀しい話は浄瑠璃「苅萱道心」や高野山苅萱堂縁起の仏教説話にも取り上げられ、
現在も全国に語り伝えられ、人々の涙を誘っています。

お坊さんがチャーミングな方で色々とお話を伺えました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加