定光寺(じょうこうじ)源敬公廟・愛知県瀬戸市定光寺町




定光寺(じょうこうじ)源敬公廟・愛知県瀬戸市定光寺町

定光寺 – Wikipedia

愛知県瀬戸市、

臨済宗妙心寺派の寺院「応夢山 定光寺」へ

名古屋城は、徳川家康の九男・徳川義直

尾張徳川家の初代藩主として、居城した城ですが

その義直が眠る廟所が境内にあることでも有名です。

また尾張の嵐山といわれる景勝地で、春は桜、秋は紅葉がとても美しい所です。

瀬戸市の定光寺公園と道路を隔て北隣りにある参道より


直入橋

直入橋は1653年に尾張徳川家二代藩主 光友が作ったものです。

瀬戸市文化財に指定されています。


山門

山門の脇には向月台


由緒

定光寺観光案内

臨済宗妙心派に属し建武三年西暦一三三六創建定光寺駅より
一粁昔より景勝の地として尾張嵐山と言われている
開山覚源禅師は諸国を遊歴しついに人跡未踏のこの地をこのみて
日頃信仰する延命地蔵菩薩を本尊とし教化に専念す
一夜衆僧等が定光佛の像を掘出した夢を見寺を定光寺と名ずけ
山号を應夢山とす
かくて崇敬厚き当寺は世々国守の帰依特に深く
三五〇年前尾張国守徳川義直公も巡行狩猟の途次当寺に立寄り
自から墓と定めたのが藩祖廟所である
廟所は中国式の儒教建築にて陳元贇の設計である
各所の扉の彫刻及び獅子門の獅子は左甚五郎の作である
義直公に付いて殉死した九名の墓は東側に主君を守る如く
並んでおります定光寺本堂とともに藩祖廟所も重要文化財に指定
山主


鐘楼


本堂

定光寺本堂

定光寺本堂は、典型的な禅宗様仏殿を持つ建造物で「無為殿」とも呼ばれる。
定光寺は建武三年(1336)覚源禅師の創建と伝えられる。
本堂は、暦応三年(1340)に建立されたが、
室町時代に何度も災害にあったため、天文三年(1534)に修理再興された。
そして、昭和一三年(1938)の解体修理のおりに
杮葺きの入母屋根が架けられ、現在の姿となる。
本堂内部には、室町時代中期の優秀な様式が残されており、
特に須弥壇の高欄に鯱形が刻んであるのは珍しい。


本堂内部

本堂は1500年築で重要文化財です


方丈(敬霊閣)


庫裡(聚星寮)


薬師堂


経蔵

源敬公廟

獅子の門・龍の門・焼香殿・宝蔵・唐門・源敬公墓・築地塀・計七棟
この廟は、定光寺北東に、尾張藩祖徳川義直公を祀るために
つくられたものである。
慶安三年(1650)に義直が没したため、翌四年に墳墓と石楼が、
承応元年(1652)に焼香殿などが墳墓の周りに建てられ完成した。
また、この廟は、帰化明人陳元贇の設計によるものとされ、
当時としては珍しい儒教式の配置となっている。

源敬公略歴

源敬公は家康公の第九子にして母は相応院なり
慶長五年十一月二十八日大坂城内の西の丸に生る。
幼名を五郎太のち義直と改め生母相応院とともに駿府にいた
慶長十二年正月甲府二十五万石に封ぜられ
松平忠吉公歿後清洲城に入り慶長十五年名古屋城が竣工して
これに移り尾張美濃信州に於て六十余万石を領した
寛永三年五月権大納言に任ぜられ天下諸侯伯の首位にあり
徳川三家の随一として政治を執った
平素は武事に心を留め常に深く神佛を祭り学問を好み
国史を極め政治に意を用い治水産業の発展に力を尽した
格別練武のため水野の地に狩猟を試み
定光寺附近の風光や自然を愛し生前に自ら墓地をば当寺に定めた

殉死者墓
廟所内には源敬公に殉死した九名の墓も祭られている

源敬公廟

本廟は徳川義直公の遺命により中国人陳元贇の設計になり
儒教式の配置であり江戸時代初期の廟建築中の異彩あり
代表建造物として注目すべきである
一段高き壇上内に円形の墳墓、石標唐門を立て正面に焼香殿敷石参道竜ノ門を作り
側面に宝蔵及び殉死者九名の墓標を立てり周囲には築地塀をめぐらし
屋根は全部銅葺である各所の扉の彫刻は名工の左甚五郎の作と伝えられる
廟の前の庭は敷石参道を挟み蓬莱山鶴島亀島を作り
枯山水の平庭で小石を敷き廟前庭園として清楚なる眺めである先般伊勢台風のため
巨樹老木が倒壊し風池を害したるは残念である


獅子の門

重要文化財の獅子の門、

劣化から守る、覆堂が配されています。


龍の門と築地塀

龍の門と築地塀は共に重要文化財に指定されています。

この廟は、明人の陳元贇(ちんげんぴん)が設計したと伝えられています。

建物の配置構成は、儒教に基づく祠堂に倣っており、

焼香殿・宝蔵・竜の門に用いられる棟飾の中国風の意匠が見られます。

他は基本的に禅宗様です。

屋根の棟に中国風に魚形の正吻(棟飾り)をのせ、

四隅には蕨手(わらびて)を二段に突き出しています。


源敬公廟 焼香殿と宝蔵

左は焼香殿・右は宝蔵、ともに重要文化財


唐門と源敬公墓

唐門は、平入りである平唐門です。

腕木で軒を支える腕木門の形式で本柱は御影石製、

扉や主要部材は銅板張、屋根も銅瓦葺で銅板製の鬼板を配しています。

奥に見えるのが、重要文化財の源敬公墓の石標


唐門と葵紋


源敬公墓の石標

徳川義直の死後、

殉死した9人の家臣や陪臣(家臣の家臣)の墓


秩父宮殿下(昭和天皇の弟宮・大正天皇の第二皇子)来臨記念樹


常陸宮殿下(天皇陛下の弟宮・昭和天皇の第二皇子)御手植記念樹


御朱印

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