大山(1252m) 蓑毛 裏参道・神奈川県伊勢原市大山
神奈川県の丹沢山系 大山(おおやま)へ
日本三百名山 関東百名山の一座で、
その整った山容で古くから山岳信仰の対象とされてきました。
大山の名は山頂に大山祇神を祀ったことからとされます。
また別名を「雨降山」とも呼ばれ、山中には阿夫利神社が鎮座し
雨乞いの神として農民からの信仰を集めました。
大山(おおやま)
標高 1252m | 登山日 2020年2月21日 |
古くからの山岳信仰が残る日本三百名山 | |
所在地 神奈川県伊勢原市大山 |
難易度 ★ オススメ ★★★ | 登山口(ナビ検索) 蓑毛バス停 |
蓑毛(06:41)→宝蓮寺の大日堂(06:41)→蓑毛(06:50)→蓑毛越(07:27)→阿夫利神社下社(8:00〜08:13)→大山の二重の滝(08:16)→見晴台(08:30)→不動尻分岐(09:08)→大山(09:25〜09:45)→25丁目(09:52)→20丁目(9:59)→16丁目(10:10)→阿夫利神社下社(10:26〜10:34)→蓑毛越(10:53)→蓑毛(11:20)→ゴール地点(11:23) 所要時間 4時間50分 累積標高 1298m / 1296m 距離 12.0m | |
■丹沢山塊の東部、伊勢原、厚木、秦野の3市の境に位置している。今から1200年前の開山と伝えられ、山麓から均勢のとれたピラミッド型の山容がひときわ高く望まれ、農業の神、雨乞い、海上安全、商売繁盛の神として多くの信者を迎えていた。そのほとんどが伊勢原から阿夫利神社への参拝だったので、実際には大山は伊勢原にあったというべきだろう。 江戸時代には大山参りとして、江戸市民のレクリエーションの場にもなり、江戸から伊勢原への道が大山街道として賑わった。山麓には、大山講中の門前町も残っている。 ■大山への登山は伊勢原市側からケーブルカーを利用して、大山阿夫利神社の下社まで登り、そこから山頂を目指すのがメジャーなコースです。秦野市側から登る場合は、蓑毛から登るか、ヤビツ峠から登るかの2つの起点が考えられます。 蓑毛から登る場合は一度ヤビツ峠まで進み、そこからイタツミ尾根を登るか、ヤビツ峠を経由せずに蓑毛越から尾根道を上り富士見台を経由して山頂を目指すかになります。 ただヤビツ峠まではバスが出ていますので、そこから登る方が一般的になっています。秦野駅からヤビツ峠へのバスは本数が少ないので事前に時間等を確認しておくのがよいでしょう。蓑毛からヤビツ峠までは約1時間、ヤビツ峠から大山まではイタツミ尾根を登ると約1時間20分です。蓑毛から蓑毛越を経由して山頂を目指すと約3時間5分かかります。 帰りはのんびりケーブルカーでるのもよいですし、歩いて秦野の自然を満喫するのもよいでしょう。 ■ー ■ー |
蓑毛バス停前にはトイレ完備
大山めぐりルート案内
法蓮寺 大日堂
宝篋印塔 金目川の脇を登る
裏参道 蓑毛越への道を行きます
左へ行くと表参道16丁目へ合流
蓑毛越
浅間山(679.5m)山頂
麓からもよく見える電波塔が立つ浅間山の山頂
裏参道 蓑毛の道
古の石垣が残る 裏参道 蓑毛の道
大山阿夫利神社 下社
境内より ミシュラン2星の眺め
大山めぐりルート案内
見晴台コースより山頂を目指しました
丹沢 大山名物「ルーメソ」の のぼり
横に登山道が続く
見晴台コース登山口に建つ社
二階滝
二重の滝について
大山川の源流をあんし、大自然の巨岩が二段にわかれ、上流の断崖(八ケ)より突如として湧水し水場(ヤツボ)を形成、二段の岸壁に流れ出ずる所より二重の瀧を言われております。神聖にして清浄なる所から浄めの瀧とも呼ばれ、修験者の禊の行場でありました。
又、江戸時代には、新年早々大工、鳶、左官職等の代表者が数日間下社に篭り二重の瀧に打たれ、心身を浄めてその年の賃金を決議したといわれています。
二重社
二重社について
二重社は阿夫利神社の摂社で、高壟神が奉祀されております。
御祭神は殖産、灌漑、雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、よく知られている所であります。特に萬物の生命の根源である「水」をつかさどり、俗に龍神にもたとえられて、廣く根強い信仰と崇敬が集められています。
真摯なる祈りを捧ぐとき神威炳乎(しんいへいこ 輝くの意) 諸願は成就すと言われております。
呪いの杉について
震災前までは、二重の瀧つぼのほとりに、樹齢千年をこす老杉がありました。この杉は、呪いの杉とよばれ神秘的凄愴の伝説が伝えられております。毎夜「丑の刻」に参り呪いの相手を形どった人形を杉の木にうちつけて呪いをはらしたといわれておりますが、現在は参道、道下の2本の杉がその面影を伝えております。
見晴台
見晴台より、山頂部は雲の中
秦野駅から続く尾根、浅間山の電波塔が見える
雷ノ峰尾根 木段が続く
相模平野 相模湾と江ノ島
大山の肩
樹氷
鳥居と前社
山頂へ至る最後の鳥居と前社
山頂には前社のほか、本社・奥社の三社が祀られています
奥社
大山(1252m)山頂
碑の奥に見える木は「雨降木」と呼ばれています
この木に常に露が滴っていたことから
雨降り山と云われるようになったと伝えられています
三等三角点
下山は表参道を下ります
山頂下 27丁目の銅鳥居、明治34年(1901年)奉納の刻印
富士見台
富士見台
大山の中で、この場所からの富士山は絶景であり、江戸時代は、浮世絵にも描かれ茶屋が置かれ、来迎谷(らいごうだに)と呼ばれている。
大山観光青年専業者研究会
十六丁目追分の碑
十六丁目追分の碑
この碑は、一七一六年に初建され総高三米六十八センチメートルもあり、江戸期の大山信仰の深さをしめしている。この石は麓から強力たちが担ぎあげた。
天狗の鼻突き岩
天狗の鼻突き岩
石段左側の岩にある、拳がはいるくらいの穴のこと。これは天狗が鼻を突いてあけた穴だといわれている
牡丹岩
牡丹岩
足元などに見られる球体の岩のこと。ぼたんの花のように見えることから、その名がついた。 大山観光青年専業者研究会
夫婦杉
夫婦杉
左右円形の巨木です。樹齢五、六百年を経ている縁起のいい大木である。
大山観光青年専業者研究会
白山神社
白山神社
大山修験(山伏)は山中で行う修行の中で、白山神社を拝するのがその一過程であった。当社は加賀国、白山神社と関係深く大山寺開山(七五二年)前に建立されたといわれる。 大山観光青年専業者研究会
表参道 登拝口