大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)・神奈川県伊勢原市大山




大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)・神奈川県伊勢原市大山

大山阿夫利神社H.P

神奈川県伊勢原市の大山(1252m)にある神社、

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)

大山 山頂には本社・奥社・前社の三社

下社及び拝殿は、中腹(大山ケーブル終点 685m)地点に鎮座します

大山は、またの名を「あふり山」(雨降山)と言います(古くは大福山)

あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすので

この名が起こったとも言われています

山頂からは、縄文式土器や土師器・須恵器などが発掘されており、

素朴な原住民達の信仰が原始時代から古代にかけて

既にあったのではないかといわれています

天平勝宝4年には良弁大僧正が入山し不動堂を建立、

その後神仏習合・修験道の一大聖地となり

山頂の霊石の由縁を以って石尊大権現と称し、雨降山大山寺と号しました

江戸時代には「大山詣」が年間20万人にも達したという

今でも参拝する人が後を絶えない 関東総鎮護の社として知られる古社です

阿夫利神社 下社への基本アクセスは

最寄り小田急線「伊勢原駅」からバスにて「大山ケーブル バス停」へ

ケーブルカー乗り場まではバスを降りて「こま参道」を徒歩約15分程歩きます

大山ケーブルカー駅(山麓駅)より阿夫利神社駅(山上駅)へ

《通常時》 1,120(子供 560)

その他いくつもの参道(登山道)よりアクセス可能です

拝殿

大山阿夫利神社

御祭神

大山祗大神(オオヤマツミノカミ)
高オカミノ神(タカオカミノカミ)
大雷神(オオイカツチノカミ)

御主神大山祗大神(オオヤマツミノカミ)は、またの名を、大水上御祖神(オオミナカミノミオヤノカミ)とも、大水上神(オオミナカミノカミ)とも言い、神威炳焉(つまり、霊験あらたか、ということです)、生活の資源はもちろん、海運・漁獲・農産・商工業など、熱心に祈願すれば、成就しないことはありません。
さらにまたの名を、酒解神(サカワケノカミ)と言い、酒造の祖神としてもあがめられています。 大山は、古来よりたびたび神意が現れ、天狗の来住する神山であるとも言われています。
大雷神(オオイカツチノカミ)、高オカミノ神(タカオカミノカミ)も共に、殖産・灌漑・桑蚕の生業を守護する神で、その神徳(いわゆる、御利益です)は明らかで、生活に必要なあらゆる物資はみな、その神徳によるものだと言われています。
多くの人智では計り知れない神異からも、大山の霊験あらたかぶりを窺い知ることができます。境内外の摂末社は20有余にのぼり、神徳は高く、神蹟も数多く存在します。

御由緒

大山阿夫利神社は、大山の山嶺に三社があり、本社は大山祗大神(オオヤマツミノカミ)を祀り、摂社奥社に大雷神(オオイカツチノカミ)が、前社に高オカミノ神(タカオカミノカミ)が祀られています。
摂社の両社は、古くは大天狗・小天狗と言われていました。
底津磐根(ソコツイワネ 地の底です)に鎮座して、高天原(タカマガハラ 天上の神々の国のこと)に千木高知り座して天下の神蹟と言われているのが、両部時代より大山石尊大権現(オオヤマセキソンダイゴンゲン)と称せられた、本社の御霊体であり祭神です。
大山阿夫利神社の御鎮座、神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。
古来より大山は山嶽神道の根源地であり、別名に雨降山、古名を大福山と呼ばれていました。
標高1253メートルの山頂に本社があり、延喜式神名帖に登載されている式内社です。
天平勝宝4年(752年)に良辯(リョウベン)大僧正が入山してようやく不動堂建立以来の時運到来、神仏習合の機が熟し、堂塔僧坊を建て、霊石の由縁をもって石尊大権現と称し、雨降山大山寺と号しました。
この号は、神山の山頂にある、常に雨滴がたたえられている霊木にちなんで名付けられたもので、今なお、雨降木の名をもって残されています。
以後、数百年の間、神職・修験・僧侶などが入り交じって奉務することになりました。
聖武天皇の勅願所であった時など、房相総3ヶ国の租税から一山の費用をまかなうなどして報賽(祈願成就のお礼参り)を欠かさなかったものですが、元慶3年、大地震があって神火に遭い、一山すべてが無に帰してしまったのでした。その時、鎌倉の僧、願行上人が来られて、再興を計られたのです。
その後、元暦元年9月、源頼朝は幕府所在国の霊社として、特に社嶺を寄せて篤く信仰しました。
徳川氏の時代になってからは、朱印黒印などをもって社領157石を寄進、また、神池境域の内外に除地・山林 200町歩を置いたりしたのですが、中でも三代将軍家光公は、18万両の巨費を献じて、本社以下、摂社末社を改築し、実に12坊8大坊でもって一山をとりしきらせることとしました。
ところが、安政年間の大火で全山が灰燼に帰してしまい、以前の盛観はまったくなくなってしまいました。
崇敬者は再建に努力し、明治元年、神仏混淆の廃止・同年10月の鎮守府の命によって、石尊大権現らなびに大山寺の称を廃止して、阿夫利神社の旧号に復し、明治6年7月、県社兼郷社と定められ(初代祠官権田直助翁)、続いて昭和27年8月、宗教法の制定により阿夫利神社本庁として出発、神社・祀職・先導師・講社一連の組織を確立し、神道の実践と日本神社宗教の確立を計ることとなり、現在に至ります。 大山阿夫利神社H.Pより

本殿

由緒

大山阿夫利神社

御祭神 大山紙神 高おか神 大雷神
大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起ったこいわれる。
標高は、1251.7mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は,丹沢山塊東端の独立峰となっている。
阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、国御岳(国の護りの山)・神の山として、あがめられてきた。山野の幸をつかさとる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。
山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。
仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、国幣の社となった。武家が政冶をとるようになると、代々の将軍たちは、開運の神として武運の長久を祈った。
引目祭・簡粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、昔のままに伝承されている。
全山か四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、山頂からの眺望も素晴らしい。都市に近いため、多くの人達に親しまれ、常に参詣する人の姿が絶えない。
昭和57年11月3日(平成10年10月吉日 修復)
伊勢原ライオンズクラブ

獅子山

富士山の岩を用いて復興された五頭の大山獅子

客殿

境内より、ミシュランガイド2星にも選ばれた眺望

大山 名水神泉

大山 名水神泉

浄き明き直きを象徴する神の恵の泉で湧き出るお水は、山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。最も清らかな尊いお水です。水は萬物の生々発展の原動力であります。殖産の泉、長寿延寿の泉として御愛用ください。

浅間社

浅間社 御由緒

当摂社「浅間社」は木花咲耶姫と磐長姫を御祭神としてお祀りしております。この二神は大山阿夫利神社の主祭神である大山祇大神の娘神であり、木花咲耶姫は木の花の様に美しく繁栄する事を司る美の女神として、磐長姫は岩のように盤石な生命を司る不老長生の女神として広く御崇敬を集めております。
大山と富士山は、古来より父子の霊峰として崇められて参りました。「大山に登らば富士に登れ、富士に登らば大山に登れ」とも伝えられ、大山と富士山の両方を参詣する「両詣り」が盛んに行われた事もあり、大山街道を始めとした参詣の道は大きく賑わったと記録されております。
父神の許、固く親子の絆で結ばれた木花咲耶姫と磐長姫の二柱の女神がお鎮まりになる当浅間社お参り頂き、人の絆を取り持ち、繁栄と長生を司る広大無比なる御神威と深遠なる御神徳を頂かれ、心穏やかに日々をお過ごし頂ければと存じます。

菅原社

学問の神 菅原社

菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、天菩日命を御祭神としてお祀りされております。当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である、竪川睦太刀講の手により、宗社氏神様の御分霊を奉戴して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光被いたしております。学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝ください。

入山祓所

こちらでお祓いをしてから大山への登拝します

入山お祓い初穂料¥100-を支払い、お守りをいただきます

登拝門(登拝口)

片開きの「登拝門」について

大山は、古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めているお山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、この登拝門は夏の山開き大祭(7月27日~8月17日)期間以外は固く閉ざされ、山頂への登拝は禁止されていました。
登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、毎年7月27日の夏山開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、現在もその精神は連綿として継承されています。
その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大楽(当時は4月5日~15日) が新たに設けられ、この期間も山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。
更に、みのげ・日向・ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定をされ登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。
然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。
よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。
●頂上参拝をされない方は、当所より遥拝して下さい。

神奈川県の丹沢山系 大山(おおやま)へ日本三百名山 関東百名山の一座で、その整った山容で古くから山岳信仰の対象とされてきました。 大山の名は山頂に大山祇神を祀ったことからとされます。また別名を「雨降山」とも呼ばれ、山中には阿夫利神社が鎮座し雨乞いの神として農民からの信仰を集めました。

鳥居と前社

山頂へ至る最後の鳥居と前社

前社は水を司る神として知られている髙龗神がお祀りされているお社です

山頂本社の奥に見える木は「雨降木」と呼ばれています

この木に常に露が滴っていたことから

雨降り山と云われるようになったと伝えられています

本社

山の神として知られる 主祭神 大山祗大神をお祀りしているお社

奥社

大雷大神がお祀りされているお社

名の通り雷神がお祀りされております

御朱印

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