鎌倉大仏(浄土宗 大異山 高徳院 清浄泉寺)・神奈川県鎌倉市長谷




鎌倉大仏(浄土宗 大異山 高徳院 清浄泉寺)・神奈川県鎌倉市長谷

鎌倉大仏殿高徳院
http://www.kotoku-in.jp

鎌倉で数ある観光地の中でも最も有名な「鎌倉大仏」

鎌倉市長谷にあることから「長谷の大仏」とも呼ばれています。

正式には「大異山高徳院清浄泉寺」とう浄土宗の寺院です。

仁王門

高徳院の山号「大異山」を記す扁額が掲げられた山門は、
18世紀初頭、内部に安置された一対の仁王像とともに
他所より移築されたものと伝えられています。

礎石

創建当初大仏像を収めていた堂宇は60基の礎石に支えられていたようです。
今日境内に遺る同礎石は56基。
いずれも根府川産の輝石安山岩を石材とするそれらのなかには、
庭石や水盤にも転用されているものもあります。

鎌倉大仏(高徳院)

由来
鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、
鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。
「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して
浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。
北条泰時もその建立に援助をした。
そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)6月11に行われた。
泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造であった。
そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、
建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。
大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。
更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、
以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。
本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンである。
鎌倉の大仏は鎌倉の仏像の中で唯一の国宝。

蓮弁

大仏像の背後には青銅製の蓮弁4枚が安置されています。
これらは江戸中期に蓮台の製作を企図して鋳造されました。
当初全32枚の製作が予定されていた蓮弁のうち、
完成をみたのが同4枚に当たり、表面には寄進者の名前が刻まれています。

鎌倉大仏は、像の内部を見て回る「胎内拝観」が

¥20-という驚きの価格で出来ます。

胎内では、先人たちの高度な技術で鋳造された大仏の様子に圧倒されます。


観月堂

観月堂

5世紀中頃、漢陽(今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、
1924(大正13)年当時これを所持されていた
「山一合資会社」(後の「山一證券」)の社長、杉野喜精氏によって、
東京目黒の私宅から移築・寄贈されました。
鎌倉観音霊場23番札所ともなっている当山では、
今日この建物の中に、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像を安置しています。


御朱印帳


御朱印

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