大岩寺 岩屋観音堂・愛知県豊橋市大岩町火打坂
愛知県豊橋市、岩屋緑地の岩屋山にある岩屋観音堂です
岩屋山の山頂部には聖観音像が立っており街のランドマークになっています。
天平2年(730)行基がこの地に諸国巡行に訪れた際、
岩屋山の景観に魅せられ一尺一寸の千手観音像を刻み、
岩穴に安置したのが岩屋観音の起源とされています。
岩屋緑地公園
岩屋緑地は弓張山系の最南端、大蔵山と岩屋山に造られた公園で
大蔵山には展望台、岩屋山には観音像が建てられています
ここから5分ほど登ると岩屋観音堂がある
天平2年(730)、行基がこの地に赴いたとき、その風景に見せられて千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが起源とされています。以来、東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。岩屋山頂の聖観音立像は明和2年(1765)に建立されましたが太平洋戦争中に供出されてしまい、現在のものは昭和25年(1950)に再建されたものです。岩屋山の南側にある観音堂の天井板には、恩田石峰をはじめ当時の吉田(豊橋の旧名)画人による絵が描かれています。 また、岩屋観音周辺は公園として整備され、春はさくらまつりが開催されにぎわいます。
弘法大師 鯖大師像
岩屋観音堂
岩屋観音は730年、行基が諸国巡業の際に千住観音像を刻んで
岩穴に安置して開いたと言われます。
江戸時代には街道を行き交う人々から信仰をあつめ、ことに備前
岡山藩主池田綱政はこの観音を崇敬し、元禄から宝永にかけて、
観音経。黄金燈籠・絵馬などを寄進しました。
山頂に立つ聖観音像は、吉田大橋の架け替え工事を担当した江戸
下谷の大工茂平と善右衛門の二人が工事の難しさに困りはてて
観音堂に参籠し、霊夢によって難工事を完成させることが出来た
恩返しとして1765年に建てたもので、現在のものは昭和25年
に再建されたものです。
岩屋観音堂
観音堂は、天正13年(1585年)の岩屋山火災で焼失、
元文3年(1738年)に再築されるまでの記録は不明
その後は修築や再築を繰り返して文政8年(1825年)に再されたのが
現在の観音堂(寄棟造り、桁行3間、梁間4間)である。
現在このお堂は、二川本陣の北西およそ150mのところにある
大岩寺(曹洞宗 亀見山大岩寺)境外仏堂となっています
本堂の右側の岩屋には沢山の石仏が建つ
行基が諸国を巡ったときこの岩屋に千手観音を彫って安置したのが始まりだという
岩屋山の聖観音像と大蔵山
奥に湖西連峰が連なる
大蔵山(106m)の山頂には展望台が建つ