犬居城跡




犬居城跡

wikipedia 犬居町
https://ja.wikipedia.org/wiki/犬居町

静岡県春野町犬居にある犬居城跡へ

犬居城は行者山(標高255m)とも呼ばれています。

一応、記事を分けてあります。

それまでの経過はこちらから。

行者山(255m)・犬居城跡の記事 

行者山山頂部分、物見曲輪があった部分には現在展望台が立っています。

犬居城跡

犬居城は領主・天野氏の居城だったもので、行者山(標高250m)の頂き
東西600m、南北650mに広がる中世城館跡は静岡県史跡に指定されている
貴重な文化財です。
断崖絶壁に南側に対し比較的なだらかで攻撃を受けやすい北側と西側には物見曲輪・
本曲輪・東曲輪などが配置され、現在も空堀や堀切等の遺構が確認できます。

居城主・天野氏

犬居城・居城主である天野氏は、承久の乱(1221年)の後、山香庄に地頭として入り、
以降犬居の地を中心に北遠地方を代表する在地領主となり、
鎌倉時代には、幕府の御家人として活躍、南北朝時代には一族が
北朝・南朝と分裂し争いが起こり、北朝方についた一族が後に勢力を大きくし、
室町時代から戦国時代にかけて国人領主に成長するまでに至ります。
戦国時代には、今川氏の支配下にはいり、今川義元の忠実な家臣として、
北遠の要として位置づけられていました。
しかし永禄3(1560)年桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、
本格的な徳川家康の遠江侵攻が始まり今川氏の手を離れ徳川に属することとなりますが、
武田信玄の領国美濃と境を接していることもあり、信玄からの圧力と巧みな勧誘工作により
信玄に寝返ってしまいます。
これに激怒した徳川家康は犬居城を2回攻撃し、1度は徳川軍を後退させた天野氏でしたが、
2回目は守り切れず甲斐に落ち、北遠の地には戻ってくることはない、
という運命をたどります。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加